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過食の言葉に囚われない為に

こんにちは。私は摂食障害はじめ、精神疾患経験者で経験談から考え方、メンタリティーについて X @mgmgpai で質問やお悩みを頂いて Ameba blog @konpaichan でお答えさせて頂いています。

はじめに


今回は「過食」をテーマに、ダイエッターから摂食障害になり約5年間「健康」や「美・容姿」などの意味と向き合い続けた私が思う事を書くnoteです。

皆さん「過食」と聞いて、どんなイメージを抱きますか?過食について悪いイメージを抱く方も多いのではないでしょうか?

体のメカニズムから、最近の「過食しない体作り」というダイエットの方法や健康の認知についての思考の偏りにフォーカスしながら過食」に囚われない為の考え方をシェアしていこうと思います。




過食のメカニズム:体

過食の原因は「栄養不足」や「体のSOS」として体に栄養が必要な時に「食欲」と言うカタチで脳から指令されるサイン。例:月経前症候群(PMS)は、体の栄養不足。月経に必要な血液やエネルギーが不足するので、脳が“食べろ”と命令する。

目には見えないところで、心臓や肺が動き続けていたり「思考」を司る「脳」という臓器も、骨も筋肉も血液も、体には「栄養」というガソリンで生かされています。必要不可欠なのです。

三大欲求でもある「睡眠」「性欲」そして「食欲」は本来人間の生命維持に欠かせない行為であることから、本能で感じる「体からのサイン」です。

生きていれば、自然と消費するカロリーに対して「食欲」が働き我々は食事から栄養というガソリンを補充して生きているのです。

何かしらの原因で「体の栄養が足りていない」or「心の満足」が不足している場合に過食衝動(つまり "沢山食べて!"のサイン)となるのです。

多くの方が、沢山食べた経験はあると思います。要はそのくらいでは「過食症」とはなりませんし、"そういう時もある" 程度なのです。

食欲自体、そもそも当然の感情でその意識に「良い・悪い」の考えや「容姿基準」で判断する事自体が、ここ最近の思考の偏りだと認識してください。


過食のメカニズム:心

悩みやストレスなどで過食を伴う“非定型うつ” など、過食の原因・背景には心の満足が感じられない「抑制」の反動として過食が引き起こされる。

” 非定型うつ”は「一部の方」と認識して頂ければと思います。誰にも大なり小なり生活の中の悩みやストレスはあります。病気のセルフ診断は思い込みで余計な自己負担にも繋がるので要注意。

ですが、ここ最近の美への関心や誤認識などから派生した偏見により、多くの方が「心の満足」という本能を満たす事ができていない傾向にあります。

これは鬱を招く思考の偏りや最近の偏見の影響でもあると考えています。

「心の満足」とは、食べたいと思うものを五感で味わい幸せを感じる事。それらに何らかの理由で「食べて”しまった”」や「罪の意識と罪悪感」を持っていることで心から味わう事ができず満足感が得られない状態になります。

心の満足は体の満足。心が味わう事で脳にもセロトニン(幸せホルモン)が分泌され過食の原因となる「物足りなさ」も自然と解消されます。


体と心のバランスが大事

どちらかを偏った方法で整えようとする事が「バランスの乱れ」となります。体が満足すれば心も満足する、心が満足すれば体も満足する。

体の「SOSのサイン」を心の都合で抑制・罪の意識を持って抑え込む事のリスクは、危険です。体に栄養が足りなければ、どんどんと脳の働きも低下します。脳は心を司る臓器です。

次第に「ボーッとする」「疲れが取れない」「イライラする」と、思考の変化にもなります。正常な判断力は失われ、集中力の低下など思考の幅も狭まり満腹中枢の反応も鈍くなります。(ホルモンバランスの乱れ)

そこからまた(足りない栄養に対する)食欲のサインが引き起こされてループした状態に陥ります。

過食を止めようと、我慢・抑え込む事で反動として大きな食欲となるのです。

過食した分を消費したり調整をしようとするのも「過食の原因」になります。理由があって出された体のSOSに応えたはずが、また体に負担や心に不安を持たせることで、過食の原因を作り出しているのです。間違ったダイエットや健康維持の方法と距離を置いて本能を信じる事が大切です。


「過食」⇄「沢山食べた」の言い換え

過食という言葉が抱かせる悪いイメージが先行しています。本来のメカニズムを知った上で、体と心に必要な栄養を摂れた事の「言い換え」をする意識で、罪悪感を払う。

体と心のメカニズムを把握した上で、過食を「意味あるもの」つまりは"沢山食べたい気持ちの理由"として「納得」できるような意識が大切です。

そこで、最近「過食」という言葉が抱かせる「悪いイメージ」を一掃して言い換えることをオススメします。

沢山食べたと、表現するだけでも過食の響きよりは軽い印象になると思います。

健康意識の偏りは不健康に繋がる

そもそも食べ物を沢山食べてしまう事に罪の意識を強く感じてしまう方や「消費活動(運動)や排出行動(下剤乱用。嘔吐)」をする方は、摂食障害予備軍なので言い換えの間に自身の「健康」に対する価値観の偏りと向き合うべきと思います。

過剰な意識は何事に置いても「影響」のパワーが強まります。良い方向へ向く事もあれば反面に悪い方向へ影響力が作用してしまいます。

健康も同じです。「ダイエット方法」や「健康管理方法」などの需要が高まり情報過多な世の中ですが、必ずしも自分に見合った方法とは限りません。

距離を持つ意識と、自分が今行っている事に無理がないかどうかを考えるのは今後の自分の健康に繋がる1番の方法だと思います。


最後に


健康とは、継続があって成り立つものだと思います。美容も健康も意識としては自己を磨き肯定感や自信、時に他人からの評価となる「幸せ」の基準なのかもしれません。

ですが、「痩せている」「完璧な健康を追求する」事自体がもたらしてくれるのは、幸せとは限りません。

これらから得られる「本当の幸せ」は日々の心の余裕と健康な体があって成り立つとも思います。

幸せの過程に過剰になって犠牲にした "当たり前の幸せ" を噛み締め味わう事、それがあって良いんだと認めてこそ、幸せや自信になるものではないのでしょうか?

低体重やBMIの低さは不健康を示す数字であり、この先もずっとその数字を保つ為に生活を送り心の犠牲を払う事ができるのか?ダイエットや健康は、そもそも何の為の存在なのか?考えて欲しいと思います。



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