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ブラジル式「カオス」は人の成長にどう影響するか

皆さんこんにちは!かずまです!

昨日、ご縁をいただき、教育事業を新しく立ち上げようとしている元中学教師の方と意見交換をしました。それがものすごくおもしろくて、その話の中で「カオス(混沌)は人の成長にどう影響するのか」という話になり、さらに盛り上がりました。話が終わって、色々考えてみると、なんだかブラジルの日系社会にそのヒントが結構あるんじゃないかと思いましたので、まとめることにしました。

ブラジルの日系社会とは

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あまり知られていないのですが、ブラジルは、日本に次いで日本人の子孫が最も多い国です。その数は150万人から190万人(近年具体的な調査が行われていないため正確な数は不明)とも言われており、皆さんサンパウロを中心に様々な場所で生活されています。

ブラジルへの移民は1908年(明治41年)から、大戦時を除き1973年(昭和48年)まで続きました。初期の頃に渡った日本人は、ブラジルに着くと、当然言葉も文化も気候も全く異なる場所での生活をするわけで、助け合って生きていく必要がありました。そうして各地で誕生したのが「日系団体」と呼ばれる共同体です(日系人が多い地域を日系社会と呼んだりもします)。

現在もブラジルのあちこちに日系団体が存在しますが、世代が進むにつれて若い人は都市に移るようになり、地方では過疎化が進み、存続の危機にある団体も増えています。

僕は、そんな日系団体のうちの一つの要請を受け派遣されました。今振り返っても、その独特の文化から学ぶことは多かったです。今日はそのうちの一つをご紹介したいと思います。

カオスな日系団体

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僕が派遣されたのは、日系団体が経営する現地の小中一貫校でした。日系団体が経営していると言っても、ブラジルの教育省認定の私立学校で、生徒は日系人に限らず様々なルーツを持つ子供が通っていました。

ブラジルという国自体、移民国家であり、本当に様々なルーツを持つ人たちで成り立っているのですが、学校も然り。日系、イタリア系、ドイツ系、アフリカ系、中国系、韓国系、その他本当に多様で、ルーツが多様すぎて分からないという人も少なくありません。ですから、子供達は街でも学校でも、様々な人たちと生活しています。

そんな中日系団体は、元々生きていくための共同体でしたらから、みんなで協力して行うイベントが多いのが特徴です。たとえば、資金集めのための「焼きそば祭り」「すき焼き祭り」「うどん祭り」「フェイジョアーダ(ブラジルの代表的な料理)祭り」「ブンカ祭り」「ビンゴ大会」、日本語を学ぶ生徒たちの「お話発表会(スピーチコンテスト)」や「ダンス発表」などです。

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特に、資金集めのためのイベントはおもしろくて、イベントの準備から「カオス」が始まります。たとえば、ビンゴ大会では、夜に”カイカン”(kaikan, 日系団体の会館のこと。日系人の間で使われる言葉。)に集まり、ビンゴカードに不正防止のためのスタンプを何百枚も押していく作業があります。集まるのは団体の会員で、農家の方や医者、弁護士、商店の店主、サラリーマン、市議会議員、それからその人たちが連れてくる子供たち(日系人でない会員も多くいます)。本当にいろんな人が集まります。そこで、ガヤガヤおしゃべりをしながらポンポンスタンプを押していく(子供は勝手に走り回ってる)のですが、その話が本当に面白い。

移民当時の苦労や楽しみの話、息子が留学でアメリカや日本にいる話、ブラジルのここが良い・悪いという話、旅行にいくならここに行けという話。僕が事前に勉強していた内容と全然違うんです。本当のリアルな日系人のストーリーがたくさんありました。
(日本でも「移民」についてテレビで見ることがありますが、もうそんなものは極々一部です。あくまでその人の体験だったり、物語で、それは人によって全く違うんだと知りました。)

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そんなふうに、職業も年齢もルーツもバラバラな人たちがワイワイ話しながら、協力して一つのイベントを作っていきます。そこに相互の尊敬心を感じたのを覚えています。問題や課題にあたった時、その意見の重さに年齢や職業は関係せず、互いに尊重しあっているのが見えたからです。一介のボランティア隊員にすぎない僕も、会長や校長に直接話をすることができました。とてもやりがいを感じましたし、辛いことがあっても乗り越えることができました。


子供にはどんな影響があるのか

親が日系団体に関わっていると、当然子供も関わります。イベントのたびに連れてこられ、いろんな大人を見ながら育ちます。僕はこの経験は、実はすごいことなんじゃないかと思っています。小さい頃から多様性が身の回りにあるわけです。いろんな人からいろんな影響を受けることができるわけで、その分感じたり思うことも多い。もちろん、トラウマになるようなマイナスのことも起こらないわけではないと思いますが、それでも吸収力が大きい子供時代からいろんなものに触れる機会は、今の日本でいってもそうあるものではありません。

一様に同じ年齢、同じルーツの中で、同じ経験を繰り返していると、自然と「こうあるべき」「これが普通」という一種共通の価値観が芽生えます。これは別にいけないことではなく、こういう仲間は「同じ釜の飯を食った」友になり、それはそれで素敵なコミュニティだと思います。ところが、それが全てになってしまうとよろしくない。肌の色や考え方、行動が違う「みんなと違う人」は共通の価値観から外れた「異様なもの」「違うもの」として認識されます。極端な場合はいじめなどの排除行動につながることもありますし、そういう対象にならないように、個人は「なるべくみんなと同じにしよう」と思うようになります。

ですがもし、幼い頃から全てがバラバラな世界にいたとしたらどうでしょう。周りにいる人間はみんな違うのが当たり前な世界です。且つ、年齢や職業によらず、みんなが尊重し合い、互いに高め合う世界だったらどうでしょう。

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当然、いろんな人がいるわけですから、心地いい事ばかりではないでしょう。衝突の嵐だと思います。しかし、「自分は自分」でいられるのではないかと思っています。

僕の周りで言うと、「なんとなく学校に馴染めない。私は変なんだろうか。」などと悩まれているお子さんや保護者さんとお会いすることがありますが、これはまさに、形のない「普通」というものが蔓延しているからだと思います。これが、先のようなバラバラな世界だったら、そもそも「普通じゃないかも?」と言う発想にはならないわけです。「自分は自分」で「他人は他人」です。こう書くと冷たいように見えますが、別にそうではなく、逆に「私もあなたも一人の違う人格として尊重している」状態なのです。

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日本だって元々カオスだった

自分に翻って思い返してみますと、僕の小学生の頃は身の回りにいろんな大人がいました。近所の駄菓子屋のおばちゃん、お向かいのおばあちゃん。同じアパートには笑顔が素敵な老夫婦、シングルマザーのパワフルお母さん、サンリオ大好きなお姉さんなど、みんな相互に関わって住んでいました。今考えると、まさにカオスです。

今の日本の子供を取り巻く環境を見てみると、壁があるように感じます。基本的にクラスは同じ年齢の空間で、知っている大人は親か先生くらいという子供も少なくないでしょう。それでは世界がとても小さい。世の中にはもっといろんなカオスで溢れています。そのカオスに触れることは、すなわち世の中に触れることです。

もちろん、悪質な事件も増えている昨今、「知らない人」=「危ない人」です。その危機意識は悪くないと思います。時代とともに変化していくべきだとも思います。しかし、だからこそ、いろんな年齢、性別、人種、価値観、考え方の「知り合い」を作ることが大事なんじゃないかと思っています。いろんな人たちがいろんなことを思い、いろんなことをする、そんな面白い社会になったら、これほどおもしろいものはないんじゃないでしょうか。(というわけで、いろんな大人を知ることができる何かを考え中です!(´艸`*))

以上、「カオスは人の成長にどう影響するのか」を考えてみました。
ブラジルの日系社会はその土地土地によってカラーがかなり異なりますし、同じブラジル人でも「普通は〜であるべきだ!」と言う人ももちろんいます。あくまで一例・一面とご理解いただけましたら幸いです。



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