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わたしはしあわせもの

真夜中です。
時計の針の動く音が聴こえる。


夏から
たくさん自分を開きました。
自己開示ていうやつ。

つかれたみたいに
夢中に書いて書いて書いて
やっと終わり、提出した。

印刷物になったと
聞いたら

いっしゅん
すごく怖くなったんです!

小さなこどもにかえったみたいに
あれ?あんなに、裸になるみたいなことを書いてよかったのかな?て
心がおびえてぶるぶるしたんです。笑

まあ、その後書いたものを読み返して、いや、これでいいんだと思いました。




小さな頃の自分は

“ほんとうは存在すべきではない子やから
仕方なく置いてもらっている子やから
だからお前は可愛がられないといけないよ
反抗とかしたらあかんよ”

そう、3年生くらいで、おばあちゃんに言いきかせられたのです。

だから
それをわたしは
自分の胸の奥に刻み込んでいたのですね。



そのことを
11月のあの日に
きゅうに思い出したのでした。


同時に思いました。

“小さな頃のわたしってがんばっていたんだな。
がまんして、かわいそうだったな。”


たぶん
“自分がかわいそうだ”なんて、
そんなおこがましいことを、感じることさえ禁じていたんでしょう。

でも、そうっと言ってあげられました。
「頑張っていたよ。かわいそうな場面もたくさんあった。でも、愛されもしたよね?
もう今は、すべて、すぎていったよ。もう大丈夫だよ。」

そう
やっと11月に
じぶんに言ってあげられたのでした。

 


わたしは存在してよかった。


存在してよかった。



わたしが存在してはならない子のように
感じさせた大人が
あのときまちがっていただけだった。

そして
あの大人たちも、神様から見たらまだまだ未熟で、
たぶん毎日迷いまくって、悩み苦しみ
葛藤し、不安だった。
吐口を求めていた。


ああ、
神様を信じた日に
みんなをすっかり赦していた、
そのことを思い出したんです。



赤ちゃん時代の写真が数枚しかなくても大丈夫

よちよち歩きのアルバムが一冊もなくても大丈夫

私は生きていた



あそこに
ちゃんと
いっしょうけんめい 
生きていたんだよ。


それを
きみが
気づかせてくれました。
きみはもしかしたら天使じゃない?
夏 
神様にポンて
背中を押されたのかな?
2024年のこの夏に…..



きみは
あんなに小さかった頃から
周りになにがおこっていようと
ちっとも動揺しないで
わたしのそばに、ぴたっとついていてくれたね。
だまって、ちょこんと座っていた。
きみは、ただただ優しい天使だった。



そして
あとふたり
わたしには
天使がいるよ。
わたしの味方、何があっても。



なんて
私は幸せものなのかな。


ありがとうね 


みんな
ありがとうね