サルトルは神を信じた?
今朝なーんとなく疲れを感じたまま、ある信頼している学者が書いたものをポーっと読んでいると、”神はいない”と語っていたサルトルは、老い、弱り、死ぬ数週間前、神を信じたらしい。神がいると。
人間は我が思うままに生きることのみを良しとしたサルトル。といっても詳しくは知らない。わからない。受け売り情報でしかない。が、事実のみ書くと、彼は1905年に誕生したユダヤ人である。ユダヤ人であるがゆえに迫害を受け続け、レジスタンスの渦中、気の狂ったふりをして生きながらえた経験をもつ人だそうだ。ユダヤ人は常に生存権を求め続ける。今もそうだと言えるだろう、と私は思う。
今戦争中のパレスチナ自治区の人々と、イスラエルのユダヤ人は、実は異母兄弟だ。聖書の創世記にその歴史的な経緯が書いてある。アブラハムの奴隷の女性ハガルの子イシュマエルは現代のイスラム教徒の先祖。アブラハムの妻サラの子イサクは、現在のユダヤ教徒の先祖。イシュマエルが兄、イサクが弟。その悲しい歴史が、これまでも現在も、残念で悲しい結果を生んでいる。
ただ、本も、ニュースも、もちろんSNSの投稿も全て遠くから眺め、精査する必要がある。そして、わからないことは、わからない。わたしなんか、ほとんどなにがなんだかわからず、非常に困っている。ただ、ただ、平和を求めて祈っているだけ。毎日毎日。
震災も、なんで、しかも、寒い時期に、しかも1月1日に起きたんだ?わからない。わからない。全くわからない。ただ早い回復を祈るしかない。
まったく毎日、わからないことだらけだ。でも、小さなわからないから大きなわからないまで、混乱したりつらく感じる時、幸運にも私には夫がいて、共に痛みを分かち合ってくれる。なんでなんやろ…なんでかはわからないなあ。でも、事実に抗わず、淡々とありのまま受け入れ、ひとり、あるいは夫と共に、幸せを祈るだけ。私のため、家族のためなら文字通り命も捧げてくれる夫の存在に、とても感謝している。混乱した時も、なんとか通り抜けられるから。
サルトルは思うに、鉄のような論理、哲学で武装した孤高な人だったのだろうな。でも、病的なまでに複雑なその世界を理解しようと努力し、彼の文章校正から看取りまでをしてくれたパリ生まれのフランス人ボーヴォワールがいた。彼は、幸運だったとしか言えない。