見出し画像

日本人なら知っておきたい、29年間終戦を知らなかった男を描いた『ONODA 一万夜を越えて』

【個人的な評価】

2021年日本公開映画で面白かった順位:39/212
   ストーリー:★★★★★
  キャラクター:★★★★★
      映像:★★★☆☆
      音楽:★★★☆☆
映画館で観るべき:★★★★☆

【以下の要素が気になれば観てもいいかも】

ヒューマンドラマ
第二次世界大戦
フィリピン
小野田寛郎

【あらすじ】

終戦間近の1944年。陸軍中野学校二俣分校で秘密戦の特殊訓練を受けていた小野田寛郎(遠藤雄弥/津田寛治)は、劣勢のフィリピン・ルバング島にて、援軍部隊が戻るまでゲリラ戦を指揮するよう、命令を受ける。

「君たちには、死ぬ権利はない」

出発前、谷口教官(イッセー尾形)から言い渡された最重要任務は、“何が起きても必ず生き延びること”。玉砕は決して許されなかった。

しかし、彼を待ち構えていたのは、ルバング島の過酷なジャングルだった。
食べ物もままならず、仲間たちは飢えや病気で次々と倒れていく。それでも、小野田は生きるために、あらゆる手段で飢えと戦い、雨風を凌ぎ、仲間を鼓舞し続ける。

小野田と一緒に最後まで生き残った小塚金七(松浦祐也/千葉哲也)は、幾度となく小野田といさかいを起こしながらも、二人三脚で生死を彷徨いながら潜伏していた。しかし、ある日突然、小野田と小塚は島民らしき人間たちからの奇襲を受け、小塚は小野田の目の前で帰らぬ人となってしまった。

そこからは小野田1人きり。孤独の中で息を潜めていた小野田だったが、ある日、”旅行者”と名乗る若い男・鈴木紀夫(仲野太賀)と出会うのだった。
終戦から実に29年。永遠に続くかと思われていた日々は、この青年との出会いによって終わりを迎えることに…。

【感想】

この話、日本人ならみんな知っておいた方がいいと思います。僕は日本史の授業でも習ったかどうか覚えていないぐらいですが、他に類を見ない強すぎるエピソードですし、忘れてはならない歴史だと思いました。

<フィクション?いいえ、実話です>

そもそも設定が信じられません。終戦したことを知らず、29年間もフィリピンのジャングルで彷徨っていたって。「そんなことある?」って疑いたくなりますが、れっきとした実話です。詳細はウィキペディアを見るとわかります。

<彼の行動をどう捉えるか>

現代では信じ難い話ではありますが、当時の状況を考えると、そうならざるを得なかったのかもしれないっていうのが何となくわかります。「お国のために戦う」という当時の思想。上官の命令は絶対という軍隊の環境。油断したら殺されるという極限状態。そんな状況において、任務解除の命令が届かなかったら、とりあえず任務を継続するしかないかもしれません。

このときの小野田さんを、今ならみんなどう思うでしょうか。忠誠心の高さを褒め称えるか(帰国後はそういう声も大きかったらしい)。それとも、柔軟性のなさを非難するか。29年ですからね、さすがにおかしいって思わなかったのかなっていう気もしますよね。

<終戦を知る機会はあった>

小野田さん、一度捜索隊の姿は目にしているんですよ。父親もその中にいたりして。結局、罠かもしれないと思って行かなかったんですけど。でも、彼らはラジオや新聞を残していったんですよね。それを見て、当時の日本の様子は知れたんですよ。ただ、終戦から時間が経っていたからか、すでにその報道はされていなかったんですけど。

結局、新聞の記事もラジオの内容も「手の込んだ細工」と判断し、戦争は続いているっていう認識のまま。ある意味、「人は信じたいものしか信じない」っていうことの表れにも思えますね。とはいえ、それも平和な今だからいくらでも言えるだけかもしれません。当時のその状況に自分も置かれたら、常にまわりを疑い、正式な命令がない限りは任務を続けたかもわかりません。戦争ですから。巧妙な細工を施して誘い出し、罠にかかったところを捕らえられてしまう可能性は大いにあり得ます。何よりも、上官の命令が"生き残ること"ですからね。むやみやたらと投降するわけにもいきません。

<すべてを物語る表情の演技>

この映画は、日本の歴史を学べる側面もありますが、やはり出演している方たちの演技もよかったと思います。特に成年期の小野田さんを演じた津田寛治さん。冒険家の鈴木さんと話し、ようやく本当に戦争が終わったんだと悟ったときのあの涙。29年間にも及ぶ長く辛い戦いからやっと解放された安心感と、失ってきた仲間たち、いや本来は失うこともなかったはずの仲間たちに対する想いが一気にこみ上げてきたようで、僕も泣きました。

<驚きの生命力>

それにしても驚くのは、29年間も大きなケガや病気もなく、サバイバル生活を続けていたことですよ。食事はまあ何とかなります。ジャングルにはいろんな木の実もありますし、最悪、現地住民の畑に忍び込めば作物も家畜もいますから。

一方で、医療道具はほとんどありません。幸い小野田さん自身は致命傷になる事態にはならなかったようですが、逆によく健康でいられたなってことの方がびっくりですよ。衛生的にはよくない状況だったのに。

<帰国後の小野田さん>

帰国後は完全にタイムスリップした気分だったんじゃないでしょうか。1945年と1974年の日本じゃ、まったく違いますもんね。映画では描かれていませんが、小野田さんは日本での生活に馴染めず、帰国した後にブラジルに渡り、牧場を開拓したそうです。また、少年犯罪が多発していることに心を痛め、「小野田自然塾」というサバイバル塾を主宰し、健全な日本人の育成にも努めたそうです。

<その他>

享年91歳。あんな過酷な生活を29年も続けていたにも関わらず、かなり長生きされたようで。こういう人がいたということ、こういう歴史があったということ、日本人として知るべきだと思いましたし、決して忘れてはならないなと感じました。


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?