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夜想曲

仕事から帰ると、暗い誰もいない部屋の電気をつける。

僕は死んでいるのに生きている。

散らかった埃っぽい狭い部屋のテーブルに、スーパーで買った半額弁当と安酒の缶を置く。

僕は生きているのに死んでいる。

タバコを火を付けると前日飲み干してそのままになっている空缶を探して灰皿にする。

テレビを付け再生ボタンを押す。初期のモーニング娘。のライブ映像が流れてくる。

その瞬間、僕は昔に戻る。 



僕が大学生だったころは、モー娘。の全盛期だった。音楽番組で彼女らを初めて見たその日からどハマりした。

僕は昔から女の人が苦手だった。

何故だかわからないけれど、女の子と話そうとするだけで僕は身体が固くなり緊張するのだ。顔が赤くなり、声や身体が強張ったり吃ってしまうのだ。

だから僕は女性を避けている。女の子も僕に関心をもたない。

そんな僕にモー娘。は画面越しに話しかけてくれた。微笑みかけてくれた。

僕は自分が救われるような気分になった。心が軽くなり、自分が認められたような気がした。

それは生まれて初めて味わった女の子からの幸福な経験で、僕の心に彼女らの笑顔は砂に水を撒くように染み込んでいった。



そして20年が過ぎた。

僕は大学の時に一人暮らしをしていた部屋で、同じ映像を見ながら、同じように1人で、同じように暮らしている。

大学を卒業しても僕は同じ部屋に住み続けた。部屋を変えると卒業という変化が手応えのある現実として目の前に現れるような気がして受け入れられなかった。少しでも名残を残したかった。

でも時間は過ぎていく。

僕は髪も薄くなり、腹も出てきた。顔もたるみ、肌もシミだらけになった。鏡で見る自分の顔はもう年老いたおじさんだ。

何も残せていない。何もやり遂げていない。

何も残したくない。何もやり遂げたくない。

不安が襲ってくる。漠然とした焦りと孤独が体に覆いかぶさる。絡みつくように重くのしかかるのを感じる。もがけばもがくほど沈んでいく泥沼のようだ。考えれば考えるほど気持ちが暗い方へ堕ちていく。

変わるのが怖い。変わったことを認めるのが怖い。変わったことを受け入れたくない。

だから僕はいつも昔を思い出している。僕は今を生きていない。昔の思い出の中に僕は生きている。

モー娘。は昔に僕を連れて行ってくれる。

画面のなかの彼女らは歳を取らない。僕に何も求めない。僕が初めて見た時と何も変わらない。

戻りたい、あの頃へ。

そんなにいい思い出があるわけじゃない。でも今よりまし、ここよりはましだ。

あの頃に帰って、時間をとめて、永遠にそこにいられたら。

僕は毎日そう思いながら、死んだように生きている。


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