見出し画像

青春は密なのか

夏の甲子園は、仙台育英高校の初優勝で幕を閉じた。
東北勢としても、100回を超える歴史の中で初めての優勝となる。
その仙台育英高校の須江監督の言葉が話題になっている。

「青春って、すごく密なので」

そうだ。
青春は密なのだ。
集まり、体をぶつけ合い、声を掛け合い、語り合い、笑い合い、時には怒鳴り合い、殴り合い、でもまた肩を抱き合い、涙を流し合う。
いろんな「合う」の積み重なりが青春なのだ。
そのかけがえのない時間が奪われた高校生に対する言葉として語られた「青春って、すごく密なので」

須江監督の高校生に対する暖かさが伝わる言葉だし、恐らく今後、高校野球の歴史の中で語り継がれていく名言だと思う。

でもねと、へそ曲がりな僕は思う。

それだけが青春なのだろうかと。
密であることだけが青春なのだろうかと。

密になれない、あるいは、はなから密になどなろうとしない、それも立派な青春なのではないだろうか。

誤解しないでほしい。
僕自身は、高校野球の大ファンであり、自らも高校球児の端くれの端くれの端くれの、さらに端くれくらいではあった。
女の子を追いかけるのと同じくらいの情熱で白球を追いかけた。
密な瞬間もいっぱいあった( もちろん野球の方で )。

でも、本当にはその密にとけ込めていない自分を、どこかに感じてもいた。

青春の代表格が高校生なら、そんな高校生も数多くいるのではと思う。
もし僕が今の高校生だったとしたら、みんなが密になれないこの状況が続いてくれればいいのにと思うのかもしれない。
もちろん、そんなことは不謹慎な考えだろう。

この状況は1日でも早く収束して、みんなが元の生活に戻れるように多くの人たちは頑張っているし、願っている。
そんな時に、この状況が続けばなんて、なんということを。

しかし、体育が苦手な人は、運動会や体育祭の前日に、明日雨になればと願いはしなかっただろうか。
遠足は多くの生徒にとって楽しいものだが、もしかすると、密になる友達のいない、前日にいっしょにお菓子を買いに行く友達のいない子供は、明日雨になればと願っていたのかもしれない。

密な時には、みんなの目はその密の中心を向いている。
そして、自分の前には密な集団があり、自分の後ろにもそれが果てしなく続いていると考える。

でも、そこから少し離れたところに、ぽつんと立つ人が必ずいる。
そんな人のことを僕は考えたいと思う。
だからといって、君も青春なんだから、さあ、などと声をかけたりはしない。
ただ、見つめていたいのだ。

もちろん須江監督の言葉は、そんな生徒のことも含めて語られていると思う。
だからその結びは、
「ぜひ、全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」

この記事が参加している募集

夏の思い出

高校野球を語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?