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『僕と彼女の楽しみ方』

自分ではそこそこできると思っていた。
いや、そこそこ以上にできると思っていたんだ。
そもそもは小学校3年の時、ひとりでボールを壁にぶつけて遊んでいた。
日曜日で、たまたま友達は誰も出かけて留守だった。
ふと、振り向くと見たことのないお兄さんが立っていた。
「君、いいセンスしてるね、少年野球のチームに入らない?」

「スカウトされたんだぜ」
僕はみんなに言いふらした。
もちろん、お兄さんはチームの人数がそろえば誰でもよかったんだ。
でも、子供にはそんなことはわからない。
まるで、ジャニーズにスカウトされたかのように、有頂天になった。

僕は、そのチームでメキメキと頭角を表した。
6年生なると、エースで4番、もちろんキャプテンになった。
県大会で優勝はできなかったが、ベスト8まで勝ち進んだ。
その自信は、中学になっても続いた。

一年生からエースで活躍した。
僕が試合でマウンドに上がると、女子はグラウンドに群がった。
僕は、サインに首を振るふりをしながら、チラチラっと見ていたよ。
もちろん、期待通りの結果を出した。

田舎の中学には、必ず悪い上級生がいるものだ。
何であっても、女子に人気のある下級生は目ざわりだ。
ある日、学校の近くの神社でのこと。
練習の後で、もう日も暮れかけていた。
その神社を抜けると近道になるので、毎日その境内を抜けて帰っていた。
「おい」
と声をかけられて、振り向くと、3、4人の上級生が立っている。
「お前、最近生意気だと思わない? 自分でさ」
顔を突き出して、やる気満々だ。
こちらは暴力事件を起こすわけにはいかない。
それを十分見込んでのことだろう。
1人が胸ぐらをつかんできた。
「どう思うんだよ、自分でさ」
さて、この場をどうして切り抜ければいいのか。

その時声がした。
「お前ら、何やってるんだ」
見ると、野球部の顧問と女子生徒が立っている。
彼女は、小学校からの同級生だ。
田舎の中学の野球部に正式なマネージャーなどいなかったが、彼女はいつの間にかそんな役回りになっていた。
普段はいるはずのない上級生が練習を見ていたので、練習後顧問に相談して後をつけていたらしい。

僕は、県内の強豪校からのスカウトに応じて進学した。
私立の男子校。
人生2度目のスカウトだ。
野球をやることを条件に、学費はかなり免除してもらえる。
意気揚々と、甲子園常連校の門を叩いた。
そこそこ以上にやれるはずだ。
自信はたっぷりあったんだ。

しかし、そこはそんな奴らの集まりだったことに僕はすぐに気づいた。
中学やリトルリーグで実績があって、どこに行ってもそこそこやれると疑わず、自信はもう溢れて溢れて留まるところを知らない。
そんな奴らが、何十人も集まっていた。
僕の自信は、たちどころに枯れてしまった。
初めての挫折だった。
自分の実力がないわけじゃない。ただ、それ以上の奴らがこんなにいるなんて。
頑張っても、頑張っても、追いつけない。
どんなに優秀な猫でも、いくら頑張ったって、猫は猫で、虎にはなれない。
つまり、思い知ったんだ、そこで。

もうこれ以上続けていく意味があるのか。
問題は、野球部を辞めると、学校もやめなくてはならない。
本当は学費さえ払えば、やめる必要はない。
しかし、特待生ではなくなる時の暗黙の了解のようなものだった。
練習帰り、駅を出て歩いていた。
覚えのある声に振り向くと、彼女が立っていた。
中学時代に、上級生から救ってくれた彼女だ。
「近くに新しいラーメン屋できたの、知らないでしょ」

ラーメンを啜りながら、お互いに近況を話した。
中学時代のチームメイトは地元の高校の野球部で頑張っているらしい。
彼女もそこのマネージャーをやっている。
「みんな楽しくやっているよ。もちろん、甲子園なんか目指してないけどね」
あの頃の野球は楽しかったなと思った。
その楽しい野球を今も続けているという、かつてのチームメイトが羨ましかった。
「だから、あたしを甲子園に連れて行ってなんて言っても、みんな笑うだけだけどね」
でも、と彼女はレンゲにすくったスープを見つめて僕の名前を言った。
「あなたは甲子園、忘れられないと思うよ。あの人たちも、行けるんだったら、喜んで行くよ」
僕は、スープの底のメンマを探しながらうなづいた。
「うん。でも、やっぱり、僕は猫なんだよね」
「そうかもね」
彼女を見ると、彼女もこちらを見つめていた。
初めて目があったような気がした。
僕は思わずうつむいて、目をそらした。
「猫には、猫の楽しみ方があるんじゃないの。猫に聞いたことないけどさ」
彼女は、テーブルの僕の手に触れそうなところに、同じように手をついて続けた。
「とにかく、このラーメン、奢るよ。これ食べて、明日からまた野球、楽しんでみたら。でもね、食い逃げは許さないからね」

店を出ると、彼女は大きく伸びをした。
「男子校じゃ、私、行けないよ」

その後、僕は野球部をやめることはなかった。
2年生の秋、新チームの結成が終わった後、監督のすすめでマネージャーになった。
話を聞いているうちに、これがいちばん自分に向いているような気がしてきた。
これが、僕の楽しみ方なんじゃないかと。
彼女に連絡をすると、スコアブックの付け方を毎日練習後に待ち合わせをして教えてくれた。
最後の夏は決勝で敗れたけれども、流した涙は、レギュラーの奴らと同じだと感じられた。
ともかく、最後までプレーしたと思えた。

結局、あの時のラーメンの食い逃げは許されなかった。
僕は今、夕食のしたくをしながら、彼女の帰りを待っている。
後ろでは、幼稚園から帰ってきた長女が、弟の相手をしてくれている。
いつもの、テンポのいい足音。
長女が玄関に駆けていった。
火を消して僕も向かう。
僕と彼女の楽しみ方だ。





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