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『夢叶わずとも』

今年も押し詰まってきた。
忘れてはいけないと、余った夢を返品しに行った。

毎年訪れてはいるが、年に一度しか行かない店だ。
それに、周囲の建物はどんどん変わっている。
昨年は工事中だった駅前には、綺麗なバスロータリーが完成している。
小さな川は暗渠となり、そこまで道路が拡張されている。
目印の角の店は、いつの間にか看板が架け替えられている。

それでも、かすかに残っていた記憶と方向感覚を頼りに何とかたどりつけた。
新しいビルに囲まれて、時の流れに取り残されたようにひっそりと建っている。
いや、取り残されたというよりは、時もその攻撃を諦めたというべきだろうか。
その証拠に、時から受けたダメージだけはしっかりと残っている。
ここに盗みに入るのは至難の業だと思われるような大きな音を立てるドアを押し開けた。

ニスの剥げたカウンターに、返品する夢を並べた。
「確か、叶えられなかった夢は返品できるって約束だったよな」
カウンターの中の女はいこいを吸いながら、チラッとこちらを見た。
女はかなり高齢だと思われるが、つばの大きな帽子をかぶっているため、その表情はわからない。
ふんと鼻で笑ったような気がした。
「何よ、これ。ほとんど全部じゃないの」
「勝手だろ、ほっといてくれよ。叶えれない夢ばかり売りやがって」
「おいおい、買ったままで開きもしていないじゃないか。そんな夢が叶えられるものか」
「一度開いたら、返品できねえだろうが」
「馬鹿だね、返品前提で夢を買ってるのかい、呆れてものが言えないよ」
女は、いこいを灰皿で揉み消すと、カウンターの夢をさっとひとまとめにして片付けた。
そして、小銭をいくらかカウンターに叩きつけた。
「何だよ、こんなに安かったかな」
「安い夢ばかり買って、どれも叶えられなかったくせに、生意気言うんじゃないよ。そんなに文句言うんだったら、セレブ用夢叶えますサービス付きっての買ってみな。どうせあんたなんか、一生かかっても買えやしないさ」
「セレブがこんなチンケな店に来るわけねえだろ」
「チンケで悪かったな、チンケな夢も叶えられない癖に」
「うるせえ。とにかく、そのはした金で来年の夢を買ってくよ」

女はヌッと立ち上がった。
案外背は高かった。
俺と変わらない。
だが、その顔はつばに隠れたままだ。

「あんたに売る夢なんてねえよ」
「何だと」
「夢もないのに、どうやって来年を過ごせって言うんだ。この、無責任ババア」
「ババアだと。あんたこそ、夢の無駄遣いばかりしやがって。この、豚の獏野郎。いや、それじゃあ、豚も獏も可哀想か、あはははは」
俺は、一瞬、豚と獏の混ざった姿を想像してしまった。
「そうだ、どうしても夢が欲しいってんなら」
そう言ってババアは通路の奥を指差した。
「そこに積んであるやつをどれでも持ってきな。どうせ、処分しようと思ってたんだ」
俺は、山積みにされている古びた夢の中から、無造作にひとつをつまむと店を飛び出した。
まあいい、夢さえあれば、中身なんて何でもいいんだ。

部屋に帰ると、その薄汚い夢を覗いてみた。
これがひどい夢だったら、また怒鳴り込んでやろうと思っていた。
どうやら亡くなった男の夢だったらしい。
どうりで、薄汚れていたわけだ。
俺は、一杯やりながら、その夢を再生してみた。

男の妻は、結婚して間もなく重い病にかかり、ほとんど寝たきりになった。
男は、妻の看病をしながら、懸命に働いた。
そうしないと、治療代や入院代が支払えないからだ。
懸命に働いて、病院に支払いながらも、わずかずつ貯金をした。
男は枕元で妻に何度も言った。
「僕の夢はね、君とまた2人で旅行することなんだ。絶対に叶えるからね」
しかし、仕事と看病の疲れがたまったのか、男の方が先に亡くなってしまった。
妻と夢と僅かばかりの預金を残して。

翌朝、俺はまた無責任ババアの店を訪ねた。
ドアは昨日にも増して、これでもかと大きな音を立てた。
案の定、またカウンターの向こうでいこいを吸ってやがる。
いったいどこに売ってるんだ、今どき、いこいなんて。
俺はババアの前まで行くと、通路の奥を指差して言った。
「そこに積んである夢、古臭いけど捨てるんじゃねえぞ。俺が一個ずつ叶えてやるからな」
店を出る俺にババアは、
「気をつけな、本当の獏になっちまうよ」

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