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夢見ることは罪なのか〜「短くて恐ろしいフィルの時代」

彼は貧しい家庭に育った。
母親が冷蔵庫を開け閉めするためには父親が流し台の上に座らなければならず、父親がアイロン台を出す時には母親が冷蔵庫の上に登らなければならない。
そんな狭いボロ家で少年時代を過ごした。
父親は何気なく隣国に放った石を妻と子の前で咎められ、屈辱に耐えきれずに家族の前から姿を消した。
父親がいなくなった家は広くなり、冷蔵庫も開けやすくなったがもう開ける必要はなくなった。
もう冷蔵庫は空っぽだったのだ。
また彼は高校時代に、身体的特徴のせいでひどいいじめにもあっていた。
成長した彼は、自国に無断で侵入を繰り返していた隣国から税を徴収することを提案し、自らその業務についた。
誰も思いつかなかったことで、彼のおかげで国は大いに栄えた。
やがて彼は、もはや政治的能力を失っていた大統領にかわりその地位についた。
彼は民主制を重んじて、新しい法案には必ず国民に意見を求め多数決で決した。
時にはひとりひとりと契約書を交わすこともあった。
自国への侵略者には毅然とした態度で望み、平和を乱す者を許すことはなかった。
だが、自国よりもさらに大きな国からの侵略を受け、味方にも裏切られ、膨大な民のために汗水を流した彼は非業の死をとげる。

さて、この悲劇のヒーローは誰だろうか。
貧しい家庭に育ちながらも、その境遇に負けずに、国のために働き、やがてはその国のトップにのぼりつめる。
しかし戦況が不利になると味方に裏切られ、最後は落胆の中でその一生を終える。
いい映画にでもなりそうではないか。
監督はスピルバーグかクリント・イーストウッドか。

しかし、これは残虐者の一生である。。
この物語のタイトルにもなっている短くて恐ろしいフィルの一生なのだ。

全ての独裁者がヴィランとは限らないが、ヴィランはまず間違いなく独裁者である。
そして、ヴィランは生まれながらにしてヴィランではなく、そこに至る過去と大義名分を持っている。
視点をヴィランの側に映してみれば、ヴイランがヒーローに、ヒーローがヴィランに変身してしまう。そんな物語はいくらでもある。
桃太郎の鬼退治から、アベンジャーズ対サノスの戦いに至るまで、恐らく無理なく書き換えることは可能だろう。

また彼らは民主的でもある。
それが半強制的であろうと何であろうと変わりはない。
物語の中の外ホーナー国の国民は、時に内容をよく読まずにサインをする。
個人の主張や各党のマニュフェストなどをよく読まずに投票するどこかの国の国民と何か違いがあるだろうか。

大統領に就任したフィルが「民よ」と呼びかける、その言葉。
「ひとつわれわれについて話そうではないか! われわれとは如何なる民であるか? われわれは雄弁な民であり、だが寡黙な民である。われわれは感性豊かで、だがみっともなく感情をさらけ出すことをしない。われわれは意志が強いが決して強すぎるということはなく、楽しみを愛するが自分たちが阿呆に見えるような馬鹿げた楽しみ方はしない、もしそう見えるときは、みずからの意思でそうしているのである」
長くなるので省略するが、これってどこの国民のことと言いたくなる。
これは我々のことではないかと思うのは日本人だけではないだろう。

外ホーナー国の虐殺を大ケラー国が収めたところで、創造主の巨大な手が空から下りてくる。
突然現れた創造主の手は外ホーナー国の国民だけでなく、彼らに虐げられていた内ホーナー国の国民も解体してしまう。
その部品を使って新たに15人の小さな人々を造った。
想像主は「こんどこそは、互いに慈しみ合うのだよ」とささやく。「お前たちは善なのだよ」と。

この残酷な物語を読んできた僕たちは、いまさらこんな言葉を信じることはできない。

恐らく想像主はこれまでにも何度も何度も現れたのだろう。
そして新しい人々が何度も何度も造られ、彼らにいつもいつも同じことをささやいてきたのだろう。

時が経ち、フィルの所業は忘れられる。
そこに、フィルについては知らないがそれでもフィルを美しいと感じる少女(多分少女)が現れる。
彼女はまだヴィランではない。独裁者でもない。ただ、「よりよい世界を夢に見る」のだ。
「偉ぶらない、ずんぐりとしたボール型の体つきをした人々によって支配され、いつだって短いセンテンスでわかりやすい正義が語られる、そんな世界」を。

「短いセンテンスでわかりやすい正義」を語る人は、こちらの国にもあちらの国にも最近いたような気がするが。

そして物語は繰り返される。夢見ることは罪なのか。

この物語を、いつかの時代のどこかの国の話として読むのは無責任に過ぎるだろう。
この物語は今の時代のこの国の話なのだ。
さらにはこの物語は僕たち自身の中で繰り返される物語なのだ。
誰の中にもフィルがいて、フリーダがいて、またキャルがいて、キャロルがいて、そして創造主がいる。
誰もが夢破れまた夢を見る。
夢を見て、楽しむことを忘れてしまう。

楽しみの国大ケラー国大統領の言葉が涙を誘う。
「人生は喜びに満ちています。なぜ、争うのです? なぜ憎み合うのです? 楽シムことを知れば、争う必要などなくなるし、争いたいとも思わなくなります。さあ、人生を愛し、円の上を歩き、おいしいコーヒーを飲みましょう!」


まずはデュシャンのオブジェのような、キュビズムの絵画のような奇妙な登場人物たちが織りなす物語を、心から楽シミ、そして、おいしいコーヒーを飲もう。
いろいろ考えるのはその後で。そう、その後で。外ホーナー国の国民が、内ホーナー国の国民が、いつもそうであったように。

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