『綺麗な部屋』
大家さんは、丸顔の優しそうな女性だった。
ご主人を病気で亡くされて、一人で管理をしているらしい。
そんな話を聞きながら、5分ほどの距離を歩いてアパートまで来た。
「こちらです」
と、大家さんは鉄製の階段を登り始めた。
僕たちもそれに続く。
大家さんは、他の住民もいるのに大丈夫かと思うほど、大きな音を立てて階段を登った。
僕と裕子はこの春から同居することにした。
いわゆる、同棲だ。
今後それが結婚にまで至るのかはわからない。
お互いに自由なところも残しつつ、一緒に住んでみようということになった。
今後、付き合いは続けるけれども、また別々に住むということもあるかもしれない。
「だから、安いところでいいよね」
というのが2人の考えだった。
それで、駅近ではあるけれども、築年数の古いこの部屋を候補に入れてみたのだ。
「前の人が綺麗に使ってくれていましたから」
ドアを開けると大家さん言った。
確かに悪くない。
角部屋で明るく、収納も十分だ。
僕たちは他の部屋を見ることなくここに決めた。
暮らし始めて、一ヶ月した頃、
「何となく視線感じない?」と裕子が言い出した。
「そんなことないよ」
とその時には相手にもしなかった。
ある休みの日。
その日は裕子は緊急とのことで仕事に出ていた。
昼寝から覚めてぼんやり天井を見ていると、小さなシミに気がついた。
2つの丸いシミは何となくこちらを見ているように見える。
もちろん気のせいだ。
木目が顔に見えたりというのはよくある話だ。
夏も過ぎ、少しずつ肌寒くなってきた頃。
2人で外出から帰ってきて、着替えていると、裕子が叫び声を上げた。
柱のひとつを指差している。
「これ、なんか変よ」
「どうしたんだよ」
「触ってみて」
言われて触ってみると、確かに変だと感じる。
少し冷えこんでいる部屋の中で、その柱は温かい。
それも、何となく人肌に近い温かさがある。
次の日、大家さんに念のために確認しに行った。
事故物件ではないですよねと。
当然だが、大家さんは否定した。
「あの部屋は、これまで皆さん、良い方に住んでもらっているのですよ」
自分でもインターネットで調べてみたが、何も出てこない。
その夜、眠っているとドアの近くで何か音がした。
翌朝、ドアが開かなくなっていた。
繋がらなくなった携帯は、バッテリーも切れてしまった。
電気は止まっている。
同じように水道も出ない。
窓も開かない。
壁を叩いても反応がない。
そもそも隣に人が住んでいるのかも知らなかった。
こんなことなら、挨拶しておくんだったと悔やんだ。
ドアが開いた。
「この部屋なんですけどねえ」
と大家さんの声がする。
一緒に入ってきたのは、僕の上司だった。
無断欠勤を心配してやってきたのだろう。
叫ぼうとしたができなかった。
その頃には、僕の体はもう柱の中に埋もれてしまっていた。
裕子はと見ると、彼女はキッチンの壁に溶け込んでしまっている。
今では、その気配を感じるだけだ。
僕たちの荷物が運び出されて一ヶ月ほどしたある日、大家さんがやってきた。
若い男性を連れている。
「どうですか。前の人が綺麗に使ってくれたものですから」
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