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そういえばあの街に行ってない①:ダブリン


行ってない街に思いを馳せる

普段当たり前に享受していた「移動の自由」に制約が入ると、却って移動好きの虫が騒ぎ出します。自由自在に世界の街を巡る生活に憧れながらも、色々な事情から予定を先延ばし、先延ばししている内に年齢を重ね、もう51歳……、間もなく52歳になります。

そういえばあの街に行ってない…… あの街にも行っていない…… あの街には死ぬまでに一度行っておきたいな…… 私にはそんな街が沢山あります。そんな妄想と悔恨を記録に残します。第1回は、ダブリン(Dublin)です。

ダブリンの概要

アイルランド島東部、リフィー川の河口に位置し、その南北に町が広がるダブリンは、アイルランド共和国の首都であり、全人口の1/3が集中する 政治・経済・交通・文化の中心地です。

◆人口: 553,165 (2016年)
◆面積: 115 km² (44.40 平方マイル)

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ダブリンへの憧れ

この街を訪れたい理由は、『パブと音楽の街』という別名もある通り、世界的に人気なギネスビールの本場であり、多くのミュージシャン、文学者を生み出した『文化の街』だからです。

ジェイムズ・ジョイス、オスカー・ワイルド、ジョナサン・スウィフトなど優れた文学者を生んでいます。

音楽では、私の敬愛するフィル・ライノット(シン・リジィ)やU2、ボブ・ゲルドフ(ブームタウン・ラッツ)はこの街の出身であり、デフ・レパードのボーカル、ジョー・エリオットはこの街の住民です。ジョン・レノンもポール・マッカートニーもアイルランドからの移民にルーツを持ちます。

この街には、私好みの雰囲気が詰まっている気がして、憧れの気持ちがあります。アイリッシュウイスキーは世界五大ウイスキーの一角であり、タラモアデューやジェイムソンは私のお気に入り銘柄です。街中のパブで、ギネスビールやアイリッシュウイスキーを飲みたいという希望もあります。

北アイルランド問題への関心

大学4年生の時、私は国際法上の民族自決権問題の事例として「北アイルランド問題」を取り上げ、ゼミ論文を書き上げました。調べていく過程で、アイルランド現代史に関心を持つようになりました。

アイルランド島は、アイルランド共和国とベルファストを首都とする英国領・北アイルランドとに分断されています。ダブリンを首都とするアイルランド共和国が英連邦を離脱して国際社会に承認されるのは1949年です。その成立の過程では、1916年のアルスター蜂起、1919-1921年のアイルランド独立戦争を経てのアイルランド自由国の成立など、苦難の歴史があります。

プロテスタント系住民が支配する島の北西部、北アイルランドにあたる地域は、英連邦に止まる決断をするのですが、域内のカトリック系住民は様々な差別的取り扱いを受け、両者の対立で緊張感が高まっていきます。私がゼミ論で取り上げたのは、北アイルランドでのカトリック系住民とプロテスタント系住民との衝突が活発化し、英国が軍事介入してテロ、軍事行動が活発化し、緊張感が高まった1960年代後半から1980年代前半です。

U2の『Sunday Bloody Sunday』という曲は、1972年1月30日、北アイルランドのロンドンデリー市で、デモ行進中の市民27名がイギリス陸軍落下傘連隊に銃撃され、14名が死亡、13名が負傷した「血の日曜日事件」が題材です。英国軍が非武装の市民を殺傷したこの事件は、現代アイルランド史における重要な事件と言われています。

アイルランド紛争は、1998年4月10日のベルファスト合意 (聖金曜日協定/グッドフライデー合意)により、現在は長年の抗争に一応終結をみた形になっています。但し近年は、北アイルランドではカトリック系住民の人口が増加傾向にあり、全人口の40%以上を占めるようになっています。

アイルランド島は、EU加盟国である アイルランド共和国と2020年1月末にEU離脱(Brexit)が確定した英国に属する北アイルランドという異質の体制が共存しています。英国政府は「北アイルランドの帰属は住民の民主的決定に従う」を基本方針としています。これから先、再び政治問題化する可能性もあるのでは… と注目している次第です。



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