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知識よりも実践が価値を持つ時代に

本日は、『知識よりも実践が価値を持つ時代に』というテーマで掘り下げてみたいと思います。

知識を蓄積することが好き

私は、自分が未知のことや、うろ覚えで自信のないことを、そのまま放置しておくのが嫌いです。自分では理解していると思っていたことを他人に適切に説明できなかったり、周りの人達が知っていることを自分が知らなかったり、ある物事を完全に誤解していて、誰かから指摘をされて糺されたり、論破されたりすると、気分が落ちます。

その性分もあって、子供の頃から、興味を持った色んなことを詳しく調べ、知識として蓄積する作業を繰り返してきました。知的好奇心が強く、自分の未知の情報を入れることに抵抗が少ないことは長所かもしれません。

広く浅い知識を身に付けていることで、過去にはそれが評価されて、得することもありました。私は、一昔前に重宝された『物知り博士』タイプだったかもしれません。

『物知り博士』や『評論家』の株は急落中

しかしながら、単に多くのことを記憶しているだけの『物知り博士』や、的確な解説と分析はできても実践の場での戦闘力に疑問符がつく『評論家』が尊敬を集めたのは昭和の時代の話です。

Google先生が進化を続け、探究と検索が容易になってしまった現代では、生半可に知識を詰め込んで武装しただけの人の価値よりも、リアルに数奇な経験を多くして、血肉化している人の方が強い時代だと言われます。

私自身も、ネット検索すれば簡単に発見できる内容の記憶に、自分の限りある脳のメモリー機能を使うのは、時間と能力の無駄遣いだなとは感じます。そもそも、日々の生活の中で知らないことや曖昧なことに出会う回数が多過ぎて、毎回真剣に疑問に対処していたら時間がいくらあっても足りず、脳が疲れ切ってしまいます。自分にとって本当に重要なこと以外は適当にスルーしていかないと、無駄に時間と体力が奪われてしまいます。

自分の目的を達成する為に必要な知識 ~知りたい情報をどうやって検索するか、信頼に足る人間はどうやってみつけるか、良い人間関係を築くにはどうするか~ は重要です。自分の幸せに資する重要な情報を掬い取る能力は意識して養成すべきです。でも、知識は取捨選択していかないと、ごちゃごちゃになってしまいます。

実践力+知識

知識を蓄積しただけでは戦闘力として不十分な時代です。知識は不要ではないにせよ、絶えず新陳代謝をはかっていかないと、先の見通せない時代をしたたかに生き抜くことがとても難しくなっています。

現代は、自分の感性が揺さ振られる情報に触れたら、素早く実践に移して結果を(成功・失敗に関わらず)経験として蓄積することに時間と体力を使った方が価値が出る時代だと思います。『実践力のない人』以前に、実践経験のない人は話にならない、ということだと思います。

確信するのは、自分では手を動かさず、行動しない頭でっかちはダメだということです。後数年は、観客席や解説席で満足するのではなく、辛くてもグラウンドで勝負し続けるように、自分を戒めていきたいと思います。

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