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『1984』的社会の住人

本日は、内田樹『コロナ後の世界』(文藝春秋2021)の中の「1984年のディストピア」(P135-153)を読んでの読書感想文になります。

ディストピアは小説の世界ではなく

『1984』は、小説家ジョージ・オーウェル(George Orwell 1903/6/25-1950/1/21)が1949年に発表した作品です。内田氏は、最初に読んだ時にはリアリティを感じなかったが、新訳版で読み返すと、小説の世界と現実の日本の境い目がわからなくなっている、と言っています。

社会心理学で、同一人物と繰り返し接触をしていると親近感を感じて好感度が増すことを「単純接触効果」というようです。

「単純接触効果」は、「今ここで自分が触れているものに支配される」ことになるので、

過去と未来にわたる時間の流れの中で考えることを放棄する(P137)

ことになってしまう危険があると言います。過去も未来もなく現在だけ。過去は為政者によって都合よく修正される為、歴史は正確な過去ではなく、修正された現在になってしまう訳です。内田氏は、

「今ここ」という定点に釘付けにされていて、過去を正確に記憶することも、未来を先入観抜きに予想することもできない人間たち、それが『1984』的社会の住人である。そして、それはそのまま現代日本人である。(P137-138)

と、興味深い考察を書いています。

二重思考に支配された社会

思考を二重底にして、自己に都合よく「忘却」したり、「想起」したりできる能力のことを、二重思考と説明されています。意図的に嘘をつくこと、都合の悪い事実を忘れること、必要な時は必要な期間だけの記憶を引き戻せること、をさす概念です。どこか、思い当たるフシのある話です。

P138~141の”政治家、官僚たちの破綻した言葉”の項の書きぶりは圧巻で、何度も頷きながら、自分の胸に手を当てながら、引き込まれて読みました。日本は管理する側の能力が乏しいので、高度管理国家・監視国家にすらなれない、という皮肉に満ちた結論が書かれています。

集団的幼稚化

世界的にディストピア化は進行しているものの、日本のディストピア化は、中国やロシアのような強権的な政治由来でも、欧米のようなポストモダン思想が台頭した結末でもなく、集団的に幼稚化してしまった結果である、と内田氏は分析しています。私は、あたっていると感じます。

日本人は権力関係を「父子関係」としてよりむしろ「母子関係」としてとらえる傾向がある。(P145)

あらゆることを親疎の感覚で判断する母子癒着的な関係が、戦後の日米関係にも見て取れるという分析は鋭いと感じました。癒着する母的存在は、戦前の天皇陛下から、戦後のアメリカに代わっただけで、日本人のアイデンティティを深いところで支えているのは、「母に愛されている」という安心感だという分析にも深く肯首します。

日本が、アメリカと母子癒着的な関係にあることは事実でしょう。いかに自分たちがアメリカから好かれているか、頼りにされているかが、自己評価の拠り所になってしまっているのではないか、と思わされる場面に何度も遭遇します。冷たくされると拗ねる、依存する相手から「愛されていない」と知ると「憎さが百倍」になり、一転して悪態を衝くようになる、相手と冷静な距離感が保てていない状況は危険だと感じました。

幼稚な精神からの脱却を

私はこの章を読んで、かなりの衝撃を受けました。自分の精神状態が、内田氏の語る母子癒着的な日本人の精神を確実に受け継いでいることを自覚し、その未熟さの指摘を受けたような気分に襲われたたからです。自分自身に絶対の自信が持てていない証拠です。誰かからの温情のこもったことば、誰かの庇護、誰かの好意の大小に依存していて、その反応で自分自身の価値を上下させている気がします。

どうやってこの幼稚さから脱却して、自由になれるのか…… 弱さを自覚した上で、真剣に努力していこうと感じています。

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