『もしも一年後、この世にいないとしたら。』を読む
本日無事に51年と199日目、無職生活19日目を迎えることが出来ました。感謝!
本日の読書感想文は、清水研『もしも一年後、この世にいないといたら。』です。この本は乗っていた電車の車内広告で目にし、題名が今の自分の気持ちにばっちりと合致していて惹かれるものがあったので、その場でアマゾンに注文しました。
精神腫傷医とは?
著者の清水研氏は、国立がん研究センター中央病院に精神腫傷医として勤務されている現役のお医者様です。精神腫傷医ということばは、聞いたことがありませんでした。本のカバーの裏には、
との説明があります。『がん患者の精神状態に寄り添う仕事』と理解します。
がんに罹患したとわかると、大抵の人は激しく動揺します。最近は治療技術が進化し、早期に発見されて適切な治療を受ければ、完全寛解できる事例も増えているようです。それでも、「がんは不治の病」というイメージはまだまだ根強いので、死への恐怖心と常に隣り合わせでいることの不安から、メンタルをやられてしまう人が少なくないようです。
また、がん患者のみならず、患者を支える家族の方も身体的、精神的に弱ってしまう例もある、とよく聞きます。精神腫傷医とは、そういう人たちの心に寄り添うなかなかタフな仕事です。
もし一年しか生きられないなら…
もしあと一年しか生きられないなら、与えられた時間をどう過ごすだろうか、という問いに思いを馳せてみました。
真っ先に思ったのは、できる限り明るく振る舞って、家族や親しい友人との楽しい思い出を残したい、ということでした。変に気を遣わせたり、私と関わったことを後悔して欲しくはありません。
そして、考えられ得る限りのワクワクする企画を考えて、それを目一杯楽しむ毎日を送りたい。読みたい本も、行きたい場所も、逢いたい人も、聴きたい音楽も沢山あります。周囲を必要以上に不安にさせないよう、享楽的で知的な生活を目一杯謳歌してから、潔く散りたいと願います。
私がこの世に生きた証を刻む為にも、「書く」という作業は最後まで続けたいと思っています。後世の人に役立つかどうかは、二の次です。残された時間を、不器用でも一生懸命に生きようとした人の心の動きと行動を文字にして残しておきたい、というわがままです。心情をそのまま吐き出すのは難しいにせよ、その日その日の心模様と耐えず向き合うことで、滲み出てくるものは必ずある筈です。
私は今年、会社員を卒業しましたが、その理由には、家族との時間をもっと大切にしたい、自分が主導権を握って好きに過ごせる時間をもっと増やしたい、という強い願望がありました。この決断と行動に後悔は皆無なのですが、正直なところ、先々暮らしていく為に必要となるお金の不安が目下の最大の悩みです。
ゴールが宣告されている人生もまたよし
死ぬのは確かに怖い。でも、私は、「あなたの人生ここまで」とゴールをはっきり言い渡されている方が覚悟が決まっていい、と考えています。人生は有限です。期日がはっきりしている方が、生きる目的がクリアになり、生きる気力が沸いてくる。優先順位が自然に決まり、自分が嫌なこと、不快に感じることを削ぎ落して、人生後半戦を悔いなく生きられるように思うのです。
余命宣告をされて、先のゴールが計算できることで、心のブレーキが外れ、より強く生きる勇気が芽生えてくるかもしれません。現実から逃げず、一日一日を等身大で大切に生きることに徹する気持ちがより強くなると思います。
不謹慎な話ですが、もしも一年後にこの世にいないことがはっきりしているのなら、今囚われているお金(生活費)の心配なんて、ほぼほぼ消え去ります。もっと大胆でダイナミックな挑戦ができるかもしれないと真剣に思います。
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