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40年前の記憶~箕島ー星稜

昨日から今日にかけて、台風10号が西日本を縦断し、各地で多くの被害が出ました。被害の大きかった地域では、避難生活や停電・断水など不便を強いられている方もいます。一刻も早い平常への復旧を祈念します。

昨日は雨天中止となった第101回全国高等学校野球選手権大会は、本日から熱戦が再開されました。本日のnoteは、時計を丁度40年前の1979年8月16日に戻し、甲子園史上最高の死闘に出会った思い出を語りたいと思います。


40年前の甲子園

第61回大会9日目の第四試合、三回戦は和歌山代表・箕島高校と石川代表・星稜高校が激突しました。あの日、当時小学五年生だった私は、朝から親戚の叔父さん、お兄さんと甲子園球場の三塁側内野席で観戦していました。目の前で興奮しながら見た奇跡のゲームは、終生忘れられない思い出です。

名将、尾藤公監督率いる箕島は、その年の春の選抜で、牛島和彦ー香川伸行のバッテリーを擁する浪商(大阪)との近畿勢対決の決勝戦を制して優勝を飾っており、今大会には1966年の中京商(愛知)以来の春夏連覇がかかっていました。後に社会人を経てプロへと進む石井毅-嶋田宗彦のバッテリーを中心に、走攻守にバランスの取れた好チームでした。

対する星稜は、こちらも名伯楽の山下智茂監督に率いられ、左腕の堅田外司昭投手を中心に粘り強い野球が信条でした。

息詰まる攻防 不思議な予感

試合は下馬評通り、1点を争う好ゲームになりました。延長戦にもつれ込んだ後の劇的な展開は、メディアで何度もリプレーされています。絶対絶命の延長12回裏と16回裏、二死無走者からの起死回生のホームランで追いついた箕島が、延長18回裏に遂に勝ち越し点を挙げて、サヨナラ勝ちします。

今考えても不思議なのですが、この試合、何度先攻の星稜がリードしても、最後は箕島が勝つような予感が私にはありました。16回裏に有名なファールフライの落球が起こりますが、あの打球が上がった瞬間もこの試合が終わるとは全く思えませんでした。敗れた星稜のエース、堅田投手は本当に気の毒でした。あの二本のホームランは、打った嶋田選手と森川選手の精神力や能力も勿論素晴らしいのですが、実力以上の奇跡的な力に後押しされたものだったように思えてなりません。

甦る美しい光景 甲子園は最高の劇場

延長戦になってからの甲子園球場は、異様な雰囲気でした。夕日が暮れてナイターになり、照明で浮かび上がった甲子園のグラウンドは、カクテル光線を受けて幻想的で、とても美しかったことが脳裏に焼き付いています。

この日の熱戦を制した箕島はその後も勝ち進み、決勝では蔦文也監督率いる徳島・池田高校を破り、春夏連覇を達成します。

この年の甲子園大会の影響で、私は野球(といってもソフトボール)に一段とのめり込んでいきました。全国の多くの少年たちと同様、私も甲子園球児になることに憧れた野球少年でした。今でも、プロ野球よりも高校野球が好きなのは、あの試合を生観戦した経験があったからだと確信しています。

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