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イギリスから受けた影響

本日は、この記事を書き始める5分前まで、全く意識もしていなかった『イギリスから受けた影響』というテーマで、言語化してみようと思います。

抜け殻の火曜日の夜

先週末は、妻と息子が長野に遊びに来てくれたので、予定満載で動き回りました。一緒にクルマで移動し、一緒に御飯を食べ、一緒の部屋で寝て、1カ月分くらいの量を喋りました。そんな充実の休日を過ごして、元気をもらい、ここまで飛ばしてきたのですが、部屋に戻って、寂しさが込み上げてきました。年に数日襲われる誰かと話したい症候群です。

しかし、『咳をしても一人』(尾崎放哉)の現実は動かせません。まだ明るかったので、着替えて部屋を出て、初めて入った焼き鳥屋でひとりビールを飲んで、焼き鳥を食べている間も無言です。アルコールが入ると余計辛くなるとわかっていてもやめられず、抜け殻状態に陥りそうになっていました。

思えばイギリス文化に影響されている

私は自他共に認める海外かぶれで、とりわけアメリカ文化の影響を強く受けている人間だという自覚があります。ただ、ベッドに寝転んで枕元にあった、長谷川貴彦『イギリス現代史』(岩波新書2017)が目に入った時、「実は自分がアメリカ以上に興味を惹かれ、無意識下で強く影響を受けているのは、イギリス文化ではないのか?」という問いが頭に浮かびました。

検証はしていませんが、これまでに私の書き残した1300以上のnote記事の中には、意外と多くのイギリス関連書物の紹介やイギリス人アーティストの楽曲を取り上げたものがある筈です。確かに、イギリスに関する書物は大好物で、タイトルだけで買うことも少なくありません。

深く根差しているイギリス的なもの

本来ならば、「イギリス」という表記は適切ではないかもしれません。英文を書く時は、国名には大体"U.K."か“Great Britain"を使います。

イギリスという国の動向を普段注意深く見守っている訳ではないし、強い親近感があるかと言うとそんな意識は全然ありません。ロンドンには20年前に一回しか行ったことがありませんし、その訪問時の印象も決して芳しいものではありません。イギリス伝統の紅茶よりも、断然コーヒーの方が好きですし、英国紳士のファッションや価値観にも強く影響されている訳ではありません。

それなのに、気がつくとイギリス的なものに自身の感情や嗜好が絡め取られている気がしてなりません。若い頃に夢中になって聴いていた音楽(デフ・レパード、シン・リジィ、アイアン・メイデン、エイジアなど)や衝撃を受けた文学(アラン・シリトー、ジェフリー・アーチャー)が自分の中に確かな形で残っていて、場面、場面で顔を出してきます。

再訪計画

この疑問を確かめる為、イギリス連邦を訪問すべきだという気もします。何年後になるかわからないものの、自分を形作った欠片を探しに歩いてみるのも面白いかもしれません。

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