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自分の価値観を他人に押し付ける人間が1番ダサい【マコなり社長の全身UNIQLOが1番カッコいい発言について考える】

こんにちは、ユニクロ好きのまーくと申します。

本日は、マコなり社長が先日物議をかもした「全身UNIQLOが1番カッコいい」発言ツイートについての動画を紹介しつつ、自分なりの考えを書いていこうかな、と思います。


☆マコなり社長の動画

マコなり社長自身は全身ユニクロじゃなかったんかい!とツッコミを入れたくなりましたが、まあ、一応「社長」という立場の方ですから、服もそれなりのものを着ていて欲しい、というのが個人的な願望です。笑


ちなみに、世間(Twitter民)の物議をかもしたマコなり社長のツイートがこちらですね。


私自身そもそもユニクロ好きな人間なので、マコなり社長にはかなり同意する部分が多いですが、

私のTwitterのフォロワーにはファッションコミュニティMBLABOの会員たちもいるので、そのリアクションは賛否両論でした。


ひとつだけ言えるのは「UNIQLO」という”ブランド”は、もはや「安価で粗悪なだけの衣料量販店」のレベルではない、ということですね。

ユニクロが「安かろう悪かろう」だった時代はとっくに「過去の話」ということです。


ファッション系インフルエンサーのほとんどがYouTubeやInstagramで「ユニクロ」「GU」の服の紹介をしているように、

「粗悪品」扱いされるほど、品質が低いような商品を提供しているわけではないのです。

商品だけ見れば、セレクトショップで取り扱っているような洋服と大して違いはない、と私は思っています。



それはさておき、数々の「炎上案件」などを見ていて思いますが、

基本的に犯罪や迷惑行為でもない限り、この手の「非難を浴びる話題」というのは、

だいたいが、ただの「価値観の押し付け合い」だと、私は考えています。



☆動画紹介:DaiGoさん

ここで、もう一つ動画をご紹介します。

メンタリストDaiGoさんの動画です。


私は、上記のマコなり社長のツイートを見て、「あー、ちょっとマコなり社長の発言が過激なところもあるな」と思っていました。


私は一応、元MBLABOにいた経験もあるので、ある程度「服好き」だと思っています。

しかし、基本的には私の洋服はほとんど「ユニクロ」や「GU」ばかりです。


これは、あくまで「私の価値観」ですが、ただのTシャツに1万円も払うような勇気はありません。正直5000円でも躊躇します。

それだったら、1500円のTシャツを5~6枚買ったほうがマシだと、自分では思っています。


ですが、好きで1万円のTシャツを着ている他人に対して「え?ユニクロのTシャツで良くない?」とは絶対に言いません。

なぜなら、この発言は「他人の価値観」を否定することにつながるからです。

逆に言えば「自分の価値観の押し付け」です。



ネット上でもたびたび「ユニクロはカッコいいか、ダサいか」という論争が起こりますが、

ぶっちゃけ「きのこの山」と「たけのこの里」のどっちが好きか、という論争並みに不毛な議論だと思っています。

(ちなみに私は「たけのこ」派。)


「カッコいい」かどうかはその人の「ファッションとの付き合い方」や「価値観」によりけりなので、始めから「議論」として成り立っていない、と私は思います。


☆「どれが1番カッコいい?」は”議論”にできない

そもそも論として、「議論」と「価値観の押し付け合い」は少し”別”のものだと思います。


たとえば「ユニクロのTシャツ」と「ブランドもののTシャツ」、どちらが「コスパが良いか?」、

という問いは、どちらかと言えば「議論」の対象にできると思います。


「値段」と「商品の品質」や「クオリティ」という観点であれば、まだ「客観的指標」で「数値化」したり「見える化」することができ、まだ「比較」の余地があると思います。

(洋服を何かしらの形で比較・評価すること自体は「ナンセンス」な気がしますが…)


しかし、「ユニクロのTシャツ」と「ブランドもののTシャツ」、どちらが「カッコいいか?」、

という話題は、そもそも「カッコいい」という概念自体が「主観的」なものになり、「議論」の対象ではなくなります。


Aさんが思う「カッコいい」と、Bさんが思う「カッコいい」は、別の価値観になってしまうからです。


Twitter等の発言で物議をかもして批判を浴びたり”バズっている”発言というのは、こういった「価値観」の違いによる問題が大きいのではないかな、と私は思います。



個人的に、「ユニクロがダサい」と”思う”のは、別に「個人の自由」だと思いますし、そう言いたくなる気持ちも多少は理解できます。

ただ、それをSNSなどの公の場で「ユニクロはダサい!!!」と発言するのは、ちょっと待て、と反論したくなります。

それはちょっと違うだろ、と。

時にそのような発言が批判や非難を呼んでしまうのだと思います。


「思うのは自由」だと私は考えますが「その思いを発言すること」には注意を払った方がよいと思います。


SNSなどネットの世界で言うのであれば、「自分のスペース」であれば発言してもまだマシだと思いますが、「他人の発言」に直接返信するような、「他人の家に土足で上がり込む」みたいな真似は控えた方がいいかな、と思います。


誹謗中傷もそうですが、「独り言レベル」ならまだ放置できると思うんですけど、他人のコメントに対して自分から「殴り込み」に行っているような人がけっこういて、そこが様々な「トラブル」の原因なんじゃないかな、と思っています。

(しかも、そういう人に限って言葉遣いが荒い。なぜか煽り口調。)

普通に考えて、道ですれ違った他人の態度が気に食わないからといって、いきなり殴りかかる人とかリアルでは絶対いませんよね。


そういう「リテラシー」というか「マナー」みたいなものが、昨今のネットの世界には求められているように思います。


(たまに、フォロワーでもないのに、他人のスペースに向こうからいきなり殴りこんでくる「危ない人」もいますけどね。お前誰だよ、ってなります。笑)


☆「価値観の押し売り」は非難を浴びやすい

ビーガンやフェミニストなど、たまに非難を浴びるほど過激な言動をしている人たちがいます。


外野の私からしてみれば、

あなた方がそう思うのは勝手だ、お好きにどうぞ。

という感じですが、

さすがに好き放題やってると「他人の自由や権利を奪う権利」はないでしょ、と少しあきれてしまいます。


某漫画の女性キャラの献血ポスターが、「大きい胸を強調していた」という理由で「女性差別」として扱われて問題になっていましたが、

正直、あれは私からすれば「やりすぎ」、「過剰反応」な事例だと思います。

(だったら『ワンピース』の女性キャラ、ほぼ全員アウトじゃん…)


「献血者」を増やすためのキャンペーンとして、基本は「良いこと」をしようとしているのに、なんでそれを「邪魔する」の?

と、私なんかは思ってしまうわけです。


女性目線では違うかもしれませんが、私からすれば「キャンペーンを中止させた人間」の方が「悪」のように見えます。


自分たちの意見を主張したりするのは勝手だが、こっちにまで手出ししてくんな、と。

(犯罪として法を犯していたりした場合は、さすがに別問題ですよ。)



☆「コロナの脅威」の捉え方と「感染予防するかどうか」は別問題

今のこのご時世もそうですよね。


私は正直に言って、「日本で広まっているコロナは大した病気ではないだろうな」と現時点では思っています。

これは、感染者数に対する重症者や死亡者の傾向を私なりに見た印象を基に考えた、「私自身の捉え方」です。


私はまだ30代でそれなりに若く持病もないため、私自身が感染したところで大した症状は出ないだろう、と思っているからです。

一人暮らしで家族と同居していないため、気を使うような高齢者や子どもも身の回りにほとんどいません。


しかし、だからといって「マスクをせずに外出する」ということや「他県に旅行に行く」「帰省する」などという「他人に迷惑がかかるような行動」はしないようにしています。


もちろん、「家族や他人にウィルスを広めたい」わけではないので、自分にできる感染予防は出来る限り行います。

お店がアルコール消毒や検温を呼び掛けているなら、それに従います。


ですが、さすがに「自粛警察」と揶揄されていたような「他人を非難する」ような言動は慎むようにしています。


ニュースで感染した人などを見て、「あー、そりゃいかんやろ」と”思う”ことは多々あります。

しかし、だからと言って、街中でマスクしていない人に向かって「マスクしろよ!!」なんて言葉を浴びせるようなことはしません。


「あー、あの人マスクしてないな。感染しても知らねーぞ」と思うことは正直言ってしまえばありますが、だからといって、わざわざ正義の鉄槌を振りかざすような真似をする必要はないと思います。

相手には相手なりの事情だったり考え、価値観があります。

もしかしたら「熱中症」を気にしているのかもしれません。

そのような他人に対して正義を振りかざすような行為は、明らかに「やりすぎ」です。


親しい友人や知人なら一言物申すこともあるかもしれませんが、何の関係もない赤の他人を”攻撃”する大義名分にはならないと思います。


一方、「経済も回さないとヤバい」という状況下にあることも、多少は理解しているつもりなので、「GoToキャンペーンやめろ」みたいな極端な発言をするつもりもありません。

(個人的には、政府はある程度”冷静な判断”をしていると信じていますが、あくまでこれは私個人の勝手な”考え”にすぎないので、他人にその”考え”を押し付けるつもりはありません。)


過激な人たちは、自分だけでなく他人に対しても、自分の価値観や正義を「押し付けてくる」、「強制してくる」というのが、

個人的には、やりすぎな行為、行き過ぎた行為に見えて「ダサい」と思います。


どうも、特にネットの世界では「自分にとっての正義」が大義名分としてあれば、他人をボコボコにしてもいい、という風潮が一部の人にあるような気がしますけど、

リアルの世界でそんなことをしたら暴行罪になるように、ネット上でも、今ではそういうことは許されない世界になってきていると思います。



他にも、ネズミ講や新興宗教などで怖いのが、そのようなものに誘ってくる「本人」は「自分は良いことをしている」と信じて疑っていないんですよね。

そこには悪意がないんです。善意100%です。


善意100%なのに、結果的には知人や友人を「悪い道」に知らず知らずのうちに導いてしまっているんですよね。

本人に悪気がないだけに、断るにも断りづらいというのが辛いところです。

もう、そういう友人知人は、そっと縁を切るしかないんでしょうね。悲しいことですが。



☆まとめ:「思想は自由」だが「言動には注意」

話があちこち行ってしまいましたが、

結局のところ、他人がどうこう言っていようが、自分が信じて進むと決めた道を行くのが、

最も良いのかな、と思います。


頭の中で「思う」のは自由だと思いますが、「言動」には気を付けた方が良いですね。


特に、人だったり物だったりに対して「好き」「嫌い」というのは価値観として「あっていい」「仕方がない」ことだと思うんですが、それを「嫌いなものを好きになれ」と他人に”強制”するようなことっていうのはやっちゃダメだと思います。

(自分が「嫌い」なもの・ことを無理に「好き」になろうとすることも、同じです。おそらくそれは無理な問題です。)


また、マコなり社長のようなビジネスの第一線に立つような人なら、ファッションにこだわるよりも、ビジネスに時間やお金といったリソースを投入する方が、明らかに「良い」と思います。

それは、「着飾るのがダサい」とかそういうことではなく、人生の優先度の話だと思うんですよね。

単純に、「洋服」にお金や時間を使うよりも、「仕事」「ビジネス」にリソースを割く方が、マコなり社長としては「良い成果」が得られる、ということでしょう。


身なりを整えたければ、それなりにお金も持っているでしょうから、パーソナルスタイリストに服を選んでもらうとか、そういう選択もできるでしょう。

ユニクロの存在によって、スタイリストすら必要ないと思っているのかもしれませんが。



そんな感じで、ちゃんとまとまったのかわからないですが、本日はこんなところで。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは、また。

もしこの記事が良かった、これからも私まーくのことを応援したい、と思っていただけたら、無理のない範囲で構いませんので、支援して頂けると跳び跳ねて喜びます!よろしくお願いします!