古代オリエントをルーツにもつ、魔除け・火除けの神獣「シーサー」 - 『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第五十二回)』
「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。
またの名を「使わしめ」ともいいます。
『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。
動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。
神使「シーサー」
古代オリエントをルーツにもつシーサー
今回は沖縄県の民家の屋根の上などに、魔除けとして置かれる「シーサー」を取り上げたいと思います。
古代オリエント文明に生息したライオンの存在は、インドを経由して中国に伝わります。中国では一角の瑞獣「獬豸(かいち)」に姿を変え、正義や公正の象徴と見做されるようになります。
この獬豸(かいち)が、朝鮮半島に伝わると角なしの「海駝(ヘテ・해태)」となり、魔除けとして建物の門前に置かれるようになったのでした。
こうした中国や朝鮮半島に流入した古代オリエント起源のライオンの存在が、日本の狛犬のルーツにあたるわけですが、シーサーも同様の源流をもちます。
仏陀一族を守護するインドライオンがモチーフとなった中国の獅子(唐獅子)が、14世紀頃に沖縄に渡り、これを沖縄語で「シーサー」と呼んだことが始まりだとされています。
石造のシーサーが首里城の門前などに残っていることから、魔除けの意味合いと同時に、王家の威信を象徴する調度品としての役目もあったように思われます。これは古代ギリシャの「ミケーネの獅子門」などとも重なります。
火除けの神獣シーサー
王家の威信を象徴し、守護する調度品としてのシーサーは、のちに一般民衆に広く伝わるようになります。
琉球王国の正史として編纂された歴史書『球陽』の巻八には、以下のような記述が見られます。
1689年頃のこと、東風平郡富盛村(現在の島尻郡八重瀬町富盛)は度々火災に遭い、村人は非常に困っていました。
村人は蔡応瑞という風水師に相談したところ、八重瀬岳(沖縄県島尻郡八重瀬町)の影響であると見立て、この山に向かって獅子の像を建てれば火災の被害はなくなると助言しまた。
村人はこれに従い早速、獅子像を建立すると、火事の発生はなくなったのでした。
このとき建てられたシーサーの像は、現存する最古のシーサーとなっています。
富盛のシーサーには、たくさんの穴が開いています。
富盛は1945当時、第二に世界大戦末期の沖縄戦の舞台の一つとなっていました。米兵はこのシーサーの物陰に隠れて、日本軍の様子を伺っていたのです。この穴は、その銃撃戦の弾痕なのです。
富盛村を火災から守った、この獅子像の伝承が沖縄全土に広がり、火除けや魔除け、また聖地を守護する神獣としてのシーサーが定着していったものとみられます。
民家の屋根に置かれるようになったのは、瓦屋根が普及する明治以降になってから。瓦屋根が少なくなった現在では門中に置かれることが増えているようです。