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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第1回)

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第2回(ゴールドシップ)
第3回(トウカイテイオー)
第4回(メジロマックイーン)
第5回(タマモクロス)
第6回(エアシャカール)
第7回(アグネスデジタル)
第8回(キングヘイロー)
第9回(ハルウララ)
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「『優駿図鑑』の問題点は、ゲームアプリ『ウマ娘』に便乗しようとするあまり、そこに未登場の馬についてはまるで触れていない点が最も大きい」

本稿の結論を最初に提示すると、そこに行き着くでしょう。

また、情報の誤記載、名馬に対する悪辣な評価といったものも目立ち、その内容について検証するため、この記事を作成しました。

私、ハンドルネーム真里谷は現在ライターをやっており、かつてはソーシャルゲームのデバッガーや、大学の講義要項校正、さらに一般企業の入社案内の校正などを担当してきました。競馬の知識は浅く、キャリアとしても人間としても未熟なところが多いですが、それでもこの『優駿図鑑』には見逃せない瑕疵が多いと感じたため、各項目について検証を行っていくものです。

以下、『優駿図鑑』が紹介している馬の順番に、公式機能の引用を交えながら紹介してきます。実際の画像については、発行者側からの注意喚起があったため、あくまで必要最低限のテキストの引用に留めます。

本ムックの序盤にはグラフィカルな内容が詰め込まれているものの、そこは個々人の感想の介在する場所として、ここでの言及は控えます。

小うるさい競馬ファンの記事ではありますが、「なつかしの名馬の想い出を振り返りたいベテランファンも、最近競馬にハマりはじめた入門ファンも楽しめるボリューム大の名馬図鑑です」と『優駿図鑑』が銘打っている以上、オールドファンも含めた本であるという判断のもと、記事を進めていきます。

なお、本原稿の引用は、特記していないものはすべて以下の書物を出典としています。

出典:優駿図鑑 - ホビージャパン

【2021年10月6日3時19分】
ツッコミの分量があまりにも多くなったため、全70頭中4頭が完成した時点で2万字弱に達しました。よって、いったんここまでで投稿し、続きは本記事の修正、または連載という形で新規記事で追加していきます。よろしくお願いします。

全体を3行でまとめると

●『優駿図鑑』の本文は、悪評どおりに一部のファンの感情を逆撫でする内容(全70頭中4頭検証終了時点)
● 付記されているデータに間違いがある(全70頭中4頭検証終了時点)
● 原稿が長いのは、検証と関係ない脱線も理由にある(筆者の能力の問題)

スペシャルウィーク(1999年宝塚記念まで)

スペシャルウィークの乳母となった農耕馬、『桃姫』に触れているのは良いですね。現代のばんえい競馬では、ペルシュロン種に代表される純血の「半血」ではなく、混血主体の「日本輓系種」が主流になっていますが、メイントピックではないので、さすがに文字数は割けなかったでしょう。

参考資料:桃姫(登録馬詳細) - 日本馬事協会

戦績一覧に目をやります。誤りの疑いがありました。1998年の菊花賞は18頭立てではなく、17頭立てです。ただし、これは出走取消を行ったコマンドスズカを計算に入れている可能性が高いので、言うほどではないでしょう。

実際、1999年ジャパンカップと1999年有馬記念も1頭ずつ多く記載されていましたが、前者は出走取消のアルボラーダ、後者は競走除外のインターフラッグを計算に入れたものと考えられます。以後も同様の案件があった場合は割愛します。

天皇賞(春)では常に相手を見る高い位置でプレッシャーをかけ続けてセイウンスカイを競り潰し、2年越しのリベンジに成功した。

1999年天皇賞(春)。セイウンスカイにリベンジを果たした記述がありますが、この本に共通する問題点として、紹介しない馬、すなわちゲームアプリ『ウマ娘』に登場しない馬は、ほとんど「いなかったもの」として取り扱われます。

同競走ではセイウンスカイを競り落としたのち、後方から迫るメジロライアン産駒の星、メジロブライトを振り切る戦いが残っていました。実際、この競走は1着スペシャルウィーク、2着メジロブライト、3着セイウンスカイという結果で終わっています。

参考資料:1999年 天皇賞(春)(GⅠ) | スペシャルウィーク | JRA公式 - YouTube

しかも、セイウンスカイには合計で3馬身つけましたが、メジロブライトは2分の1馬身差まで迫りました。鞍上も名手河内で、この組み合わせは翌年のアグネスフライト(アグネスタキオンの全兄・ウマ娘未登場)のダービーと同じ構図なのですが、完全スルーです。

ただ、スペシャルウィークの項目の最後、99年天皇賞(春)の写真の付記に、ようやくメジロブライトの名前が出てきます。ここで大体のスタンスが判明しました。

横綱が胸を出すように早めに先頭に立ったスペシャルウィークを並ぶ間もなく交わして3馬身差の完勝。好勝負にすらならない力の違いを目の当たりにして、G1直後の競馬場とは思えない白けた空気が漂った。

1999年の宝塚記念に関する記述です。グラスワンダーがスペシャルウィークを徹底的にマークし、猛烈な抜け出しで快勝したレース。

「99年、宝塚記念。標的はただ1頭、同期のダービー馬だった。今行くか。いや、まだか。いや、今か。一瞬の判断で未来を変えた、未知なる栗毛。その馬の名は、グラスワンダー」という、JRAのCMシリーズ『THE WINNER』のグラスワンダー編でも取り上げられた名勝負です。

その戦いが、白けてましたかね……。これはスペシャルウィーク陣営にもグラスワンダー陣営にも失礼な記載のように思えます。なお、的場均騎手も、もちろんまるで触れられていません。

スペシャルウィーク(1999年ジャパンカップ)

この結果を受けて、海外のホースマンに「ジャパンカップでは日本馬は手強い」と認識されるようになり、以降は海外の超大物がジャパンカップに参戦することは稀になった。

1999年ジャパンカップに関する記述。ちょっと首を傾げるところです。確かに、スペシャルウィークの走りは力強く、モンジューほかの海外勢を圧倒しました。この結果が海外に与えた衝撃も確かにあったでしょう。

ただ、ジャパンカップはそもそもが海外の二線級の草刈場的な立ち位置だったのも、ひとつの側面ではないでしょうか。超大物が集まった1999年がむしろ特異性の高いレースであった、と考えるべきです。

実際、第1回ジャパンカップ(1981年)はG1ホルダーがザベリワンのみでした。そして、勝ったのはアメリカのメアジードーツ。1着から4着が海外馬で、5着にようやく日本馬のゴールドスペンサー。「日本のG1馬は海外のG2馬やG3馬にも敵わない」という屈辱が、ジャパンカップのもたらした最大の功績だったでしょう。

以降も第2回はG2馬のハーフアイスト(アメリカ)、第3回は直前の故障もありながら勝利したスタネーラ(アイルランド)。第4回にカツラギエースがようやく一矢を報いて、第5回にシンボリルドルフが堂々たる勝利を収めます。

しかし、ジュピターアイランド(G3馬・イギリス)、ルグロリュー(独G1馬・フランス)、ペイザバトラー(G2馬・アメリカ)、ホーリックス(新G1馬・ニュージーランド)、ベタールースンアップ(豪G1馬・オーストラリア)、ゴールデンフェザント(米G1馬・アメリカ)、ランド(独G1馬・ドイツ)、シングスピール(仏G1馬・イギリス)、ピルサドスキー(G1馬・イギリス)といった面々から見ても、「適性のあう相手に負けてきた時代」が長かったわけです。

また、ピルサドスキーについては名称問題やJC戦前のJRA購入問題など、現代まで残るスキャンダルの種となりました。超大物だったピルサドスキーは、「JRAに買われたから来た」とも言えますし、以後もいくらかの大物が「日本でのお披露目興行」にジャパンカップを選んだ歴史があります。

そして、現代においては「香港国際競走に比べ、ローテーション的にも受け入れ態勢にも特殊な馬場にも無理がある」日本は、海外遠征の選択肢として魅力的ではなくなりました。超大物が来なくなった理由の主原因としてスペシャルウィークの1と2分の1馬身を持ってくるのは、筋が良いとは思えません。

サイレンススズカ(母馬ワキアの勝利数)

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【2021年10月6日 9:33追記】
本項目は私の知識不足、確認不足でした!

本項目の指摘が誤りであり、私のほうに多くの無知と調査不足があることが判明しました。ツイッターでの情報のご共有に強く感謝します。以下は原文を残しますが、正しい情報について、本追記に記載します。

情報の出典は『名馬を読む2(江面弘也/三賢社刊)』です。同書によれば、ワキアは日本の稲原牧場さんが3歳時に購入したのですが、購入前に3勝、購入後に4勝したとのこと。つまり、「アメリカでは7勝しているが、日本において購入が決定後には4勝」ということになります。

サイレンススズカのルーツについて、より詳しく知ることができました。感謝するとともに、『優駿図鑑』の本情報部分の担当者様にお詫び申し上げます。以下には誤った情報部分の原文を残しておきますが、自らへの戒めも含めて残しておきます。
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私、サイレンススズカが大好きなんですよ。1998年の天皇賞(秋)だけは、今でもつらくてまともに見ることができません。あの大欅の向こうから現れたときにふらふらと外へ向かっていき、後ろから追いついてきた騎手たちが振り返る……。あの光景の悲しみは、いつまでも忘れないでしょう。

サイレンススズカの母親ワキアはアメリカで4勝した活躍馬で、1200m以下のレースを得意とした才気溢れるスプリンターだった。サイレンススズカのスピードはおそらく母親譲りだ。

ワキアはアメリカで7勝しているようです。どの条件で絞っても、4勝は算出しづらいものでした。1990年に限れば4勝という程度でしょうか。同名の馬がほかの国にもいるようですが、下記データベースによればMiswaki産駒でアメリカで走ったWakiaなので、間違いないと考えます。ほかの資料も踏査しましたが、複数サイトが「Win:7」のエビデンスを提示しました。

参考資料:Horse Profile(Wakia) - EQUIBASE

上記サイトで特によく勝利しているLongacres(ロングエイカーズ)競馬場は、1992年までアメリカ西部のワシントン州にあった競馬場であることを確認しています。現在、同じ役割は新規開業したEmerald Downs(エメラルドダウンズ)競馬場が果たしているようですね。

類似名称がイギリスにもありましたが、競馬場に関してはアメリカのみと確認しました。よって、4勝は誤りと考えます。

また、サイレンススズカを褒めたいのはわかりますが、ワキアの勝鞍に重賞はなく、「才気溢れるスプリンター」と手放しでほめるほどでしょうか。無論、私が別の馬の戦績を参照している可能性もあるので、その場合はご指摘をお願いいたします。

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【2021年10月6日 9:25追記】
【2021年10月22日 19:20追記】
あれ、追記が消えてる!

再度書きます。ツイッターで情報提供をいただきまして、ワキアが日本の稲原牧場さんに購入されて以降に4勝なので、それではないかとお教えいただきました。「アメリカでは4勝」の文言が必ずしも正しくはないものの、そういう事情であれば、なるほどと見えてくる部分です。
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サイレンススズカ(最後まで)

豪腕の異名で知られる南井は馬を自由にさせず、4コーナーでひと息入れて後続を引き付ける形。金鯱賞に比べれば常識的なレース運びだった事から、G1を勝ったにも拘わらずファンの多くには物足りない思いが残った。

ずいぶんと南井克巳騎手、現調教師に失礼なように映ります。とはいえ、1998年の宝塚記念ではサイレンススズカ的ではない溜め逃げではありました。では、その競馬にも適応したサイレンススズカをほめるべきなのではと考えてしまいます。ステイゴールドやエアグルーヴさえも負かしたわけですから。

参考資料:1998年 宝塚記念(GⅠ) | サイレンススズカ | JRA公式 - YouTube

サイレンススズカは数少ない栗毛の名馬だった。栗毛は目立つので軍馬としては歓迎されなかった歴史があるが、競走馬としては別だ。

これからグラスワンダーやタイキシャトルやテイエムオペラオーを紹介するのに、「数少ない栗毛の名馬」はまずいですよ!

なお、戦国時代までさかのぼっても島津義弘が騎乗した「膝付栗毛」がいますし、近代戦もちゃんと栗毛馬は運用されていたはずなので、芦毛や白毛と勘違いしていらっしゃるのでは……。それはそれで、「名馬が少ない」はオグリキャップやタマモクロスや、多くの白き輝きをバカにすることになりますが。

また、ノーザンテーストが栗毛だったように、繁殖としても活躍しているので、競走成績とは違う部分でのことを言いたいわけでもなさそうです。

キーワードコーナーは「スターホース・悲劇の事故」で、サイレンススズカ以外の馬たちに触れられているんですが、ここで不思議な表記。ホクトベガの故障したレースが「'97ドバイワールド」に。なぜ「カップ」が消えたのか。「C」にすれば文字サイズそのままでも入ったのに、それを嫌がる理由は何だったのか。単に「ドバイワールドカップ」を知らないのか。謎です。

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【2021年12月2日 16時00分 追記】
ツイッターにて、情報提供をいただきました!

『日本競馬史第四巻』において、「明治43(1910)年に新馬戦に芦・河原・月(栗)毛の出走を避けるよう口達があり、帝国競馬協会の要望で昭和3(1928)年にその制限が緩和された」旨の記載があったよし、ご共有いただいたものです。

月毛ならびに栗毛が一時的に日本競馬に歓迎されなかった。それも、競馬の専門家というよりも、なるほど軍部による軍馬育成の観点から排斥されていたということのようです。実にありがたい知見です。
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こいつは只者じゃねぇーーーーっ!! サイレンススズカが強烈な印象を多くの競馬ファンに与えたのが'98金鯱賞だ。2着との差1.8秒は、グレード制導入以降、最も大きい数字である。

1995年の川崎のエンプレス杯で、先述のホクトベガが2着に3.6秒差をつけています。エンプレス杯はこの年から中央馬や他地区所属馬に開放され、ホクトベガがいきなりとてつもないパフォーマンスを見せつけたといえるでしょう。

1995年の南関東グレードはG1、翌年の1996年からG2で、この年もホクトベガが2着に1.5秒差で制しています。しかも、2着も同じ中央馬のスピードアイリスで、クビ差3着に地方馬のマキバサイレントだったので、決して地方競馬が劣っていたわけではなく、ホクトベガが規格外だったことがよくわかります。

同欄担当者の方としては、97年の統一グレードG2指定前だから対象外なのかもしれません。それであれば、「中央競馬のグレード制導入以降」などと表記したほうが良かったのではないでしょうか。

同じ1.8秒差で並ぶステイヤーズS(勝ち馬メジロブライト)は長距離、1.7秒差の弥生賞(勝ち馬レインボーアンバー)は不良馬場、札幌記念(勝ち馬フォスタームサシ)はダートと、いずれも着差がつきやすい条件だったのに対し、こちらは中距離芝の別定G2戦。マチカネフクキタル、ミッドナイトベット、タイキエルドラドら強敵相手に記録しているのだから半端ない。

半端ないのはわかりますが、ずいぶんほかを下げますね。

しかも勝ち時計は1:57.8のレコードで、前半3F58.1秒のハイペースで大逃げを打ち、そのまま楽々逃げ切ったレースぶりはインパクト抜群だった。

これは同意する部分もありますが、レコードそのものに大きな意味はないでしょう。前半のペースは特筆すべきながら、レコードはわずか6年後にタップダンスシチーが1:57.5の好タイムで更新しています。しかも、タップダンスシチーは前年と翌年も優勝。同一重賞3連覇の快挙を達成しました。

さらに、2007年にはローゼンクロイツが1:57.2をマーク。より速い時計を出しています。サイレンススズカの場合は、全体の時計より、入りからのペースで後方の馬群に追撃の気配を持たせない点を称賛すべきでしょう。

なお、これらの記録は、いずれも2010年の中京馬場改修工事より前のため、同条件と考えてよいと判断しています。

それにしても、違うライターさんが担当しているのでしょうか。

目を背けたくなる悲劇が待っているのだが、それが分かっていてもそこまでの展開に圧巻と言うしかない魅力があった。ゴールはできなかったが、サイレンススズカと武豊の最高傑作はこの天皇賞だった。
同年の毎日王冠も捨てがたいが、既に最強馬としての地位を確立していた時のもの。当時の衝撃を考えると、こちらをベストレースとして推したい。

前者が本文(1998年天皇賞)。後者がベストレース(1998年金鯱賞)のコーナーです。どっちやねん。

ウオッカ(序盤解説文)

2006年の阪神JFで、ウオッカが勝利したときの衝撃は今でも覚えています。アストンマーチャンの単を握っていたので、余計にその衝撃は強まりました。アストンマーチャンも長生きしてほしかったですね……。アドマイヤコジーン産駒として、本当に輝かしい馬でした。2007年のスプリンターズSも、実に見事な走りだったと思い起こされます。では、検証に戻ります。

ウオッカは牝馬だったのか! 2006年の暮れ、阪神ジュベナイルフィリーズ(JF)の登録馬を見て、競馬ファンはびっくりした。

角居勝彦厩舎にウオッカという凄い2歳馬がいることは噂になっていたが、牝馬G1の出走予定馬にその名を見て、初めて牝馬と知った人は少なくなかった。前走の黄菊賞はクラシックを目指す牡馬の中距離馬が使うレースだし、なによりウオッカという名前が牝馬らしくない。

マルシゲアトラスさん(牝馬)バカにしてんのか、おめー。

というより、黄菊賞を見ていて、そこでマイネルソリストの逃げを捉えられなかったのを出馬表とともに確かめていれば、牝馬であることは自ずと知れたでしょう。また、黄菊賞にはクラウンプリンセスも牝馬として出走していました。

そもそもの話として、黄菊賞は距離が長く出世馬が多い旧500万下条件のレースなだけで、牡馬ばかりが出走しているレースでもないと考えられます。翌年には阪神JFとオークスを勝つトールポピーが使って2着していますし、のちの皐月賞馬イシノサンデーが勝った1995年にもナナヨーストームが3着。この馬も翌年には忘れな草賞を勝ちました。

牡馬クラシックの登竜門的レースではありますが、「牝馬が使うわけではない」というのは単なる思い込みで、毎年それなりに出走しています。昨年の2020年にいたっては牝馬のクインズラベンダーが1番人気でした。クビ差でアドマイヤザーゲに敗れたものの、デビュー戦(中京芝2000mで0.4秒差快勝)のポテンシャルがすばらしかっただけに、屈腱炎を発症して引退したのが惜しまれます。

牝馬が大レースを勝つことは、現在では珍しくなくなったが、道を切り開いた先駆者がウオッカだった。

エアグルーヴさんにもヒシアマゾンさんにもダイワスカーレットさんにも全方位失礼やないかい!

もちろん、ウオッカの貢献というのは大きいでしょう。クラシック登録、そして、実際に日本ダービーに挑戦しての勝利。すばらしい快挙でした。ですが、それなら菊花賞に出走して1番人気にもなったダンスパートナー(ダンスインザダーク&ダンスインザムードの全姉・スペシャルウィークやアグネスデジタルと同じ白井寿昭厩舎)などもいたわけですから、あまりにも単純な物言いに感じます。せめて「道を切り開いた先駆者のうちの1頭」や「一翼を担った」といった表現に留めるべきだったと考えます。

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【2021年10月6日10時38分 追記】
失礼なのは私でした。近代において、中長距離以上で牡馬と互角に渡り合った馬という観点から、調査を怠って記憶のみに頼った結果、情報の不足がありました。特に、牡牝混合G1にして春のグランプリ、そのうえウマ娘にも登場している2005年宝塚記念の優勝馬、かつG1通算では3勝している名馬、スイープトウショウさんを完全に失念しておりました。

約1年ぶり出走の2006年京都大賞典で、ファストタテヤマと争覇したのも思い出深いですし、「エンドスウィープ産駒が芝2400とかウケるー」とガン無視した2004年オークス2着で、「母父の大切さ」「母系の大切さ」「牝系の大切さ」を強く教えてくれました。

そして、単に血統だけでなく、デビューから4戦から手綱を取った角田晃一騎手、かつ以後の20戦ですべて手綱を取った池添謙一騎手とよく息があっており、紛れもなく良い馬でした。そうそう、2005年のエリザベス女王杯では、完璧な勝ち筋だったフサイチコンコルド産駒、川島信二騎手が鞍上のオースミハルカさんを豪脚で差し切り……と、このあたりにしておきます。ウオッカ以前の牡牝混合G1勝ち馬でいえば、これも私が好きなヘヴンリーロマンスさん(2005年天皇賞・秋優勝)もいますが、今はいったん自重します。続けて本編をお楽しみください。
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ウオッカ(3歳シーズンまで)

しかしその日本ダービーで、スポーツ紙や専門紙上のウオッカについた印はまばらだった。プロほど無謀な挑戦としてお客さん扱いした。3番人気に押し上げたのは、もっぱらファンの期待と応援だった。

ごめんなさい。これは指摘じゃなくて、「ヴィクトリー最強や! フサイチホウオーなんていらんかったんや! ウオッカ? ダンスパートナーと同じや!」した自分の反省です……。

ただ、実際に専門紙でもそうだったのでしょうか。意外と話題になっていた覚えはあります。特に、ドリームジャーニーともども、ダブル2歳王者として単候補にあげていた記者さんもいた覚えがありますね。

とはいえ、さすがに難癖っぽいですし、ウオッカの偉業を讃えたい気持ちもありますし、何より「ファンは賢かった」のも事実なので、自らの反省にとどめておきます。すまんな、ヴィクトリー、ワイみたいな逆神が買ったばかりに出遅れてもて……。ごめんな、今年のサトノレイナス。この偉業を継ぎそうなところで、ガチ推ししてしもて……。

通算成績は26戦10勝。顕彰馬に選ばれた名馬の中では異例なほど、ウオッカの戦歴には敗戦が多い。彼女の競走生活は、挫折と復活の繰り返しだった。疵の多い戦績は、果敢な挑戦を続けたことの証でもある。

とても良い文章だと思うんですが、グランドマーチスさん(63戦23勝)やハイセイコーさん(22戦13勝)やオルフェーヴルさん(21戦12勝)と比べると、異例と呼ぶほどではない気がします。特に、稀代の人気馬ハイセイコーに関しては、地方を抜くと16戦7勝なので……。

ほかにもタケシバオー(29戦16勝)、ハクチカラ(49戦21勝)、トキツカゼ(30戦11勝)、そして偉大なるクモハタ(21戦9勝)から考えても、「ウオッカもまた挫折を知り、挑戦を続けた名馬に数えられる」といった方向性にとどめておくのが望ましいと考えます。

それにしても、戦績欄はどの馬も何か変ですね。本文ではちゃんと日本ダービーなのに、戦績欄では空白の余裕があるのに単に「ダービー」。「日本ダービー」でも「東京優駿」でもなく。

ウオッカ(2008年天皇賞秋まで)

4歳春は、牝馬相手のヴィクトリアマイルを取りこぼしたが、人気を落とした安田記念を3馬身半差で圧勝。秋も断然人気で臨んだ毎日王冠を2着に敗れた次走で、天皇賞(秋)を制覇している。

ヴィクトリアマイルで勝ったのはエイジアンウインズ。2021年の日本ダービーを制したシャフリヤールを管理している藤原英昭調教師にとっては、これが初めてのG1勝利になりました。フジキセキ産駒もさることながら、母父デインヒルですばらしい走りを続けたこの馬。蹄の炎症がどうしても良くならず、これが引退レースとなりました。

ウマ娘非登場の社台馬なので、「取りこぼし」と表現してもクレーム対象外ということでしょうか。ウオッカならびにブルーメンブラットとの接戦は、とても見事なものだったのですが。フジキセキにも失礼でしょうに。

毎日王冠は奇策の逃げが奏効しなかったのもありますが、勝ったスーパーホーネットをほめたいところです。朝日杯FSでフサイチリシャールの2着に入って以来、「良いところで好勝負はするけれど、主戦の藤岡佑介騎手ともどもG1を勝ちきれない」悔しみのあった馬でした。ロドリゴデトリアーノ産駒、母父はエルセニョール。

重賞馬にもかかわらず功労馬対象にならず、2019年の種牡馬引退後は「行方不明」です。この場合、食肉用にされるパターンもあるので、厳しい世界だと感じます。

格下相手の前哨戦はあっさり落とすが、本番で強敵と相見えると闘志に火がつく。天皇賞には同世代のライバル、ダイワスカーレットがいた。これ以上に燃える相手はいない。

天皇賞の次のジャパンカップで、スクリーンヒーローとディープスカイに敗れたわけですが。ウオッカを「敗戦を乗り越えて成長した馬」と顕彰するならば、彼女を負かした相手を貶めるのは下策でしかないでしょう。

特に、アルゼンチン共和国杯馬のスクリーンヒーローは伏兵だったかもしれませんが、ディープスカイは天皇賞でもタイム差なしの3着であり、最強牝馬2頭に互角の戦いをした当年の日本ダービー馬、すなわち後輩ダービー馬だったわけです。しかも、鞍上はウオッカから降ろされる形となった四位洋文騎手で、ドラマティックでした。

もし、2008年のジャパンカップの敗戦を乗り替わりに求めるのなら、それもまた岩田康誠騎手に対する失礼でしょう。パワハラ騎手であっても、実力は間違いなく一流です。しかも、この乗り替わりは前週に武豊騎手が落馬したため、急遽決まったものです。できるだけの仕事はしたレースでしたし、スクリーンヒーローとディープスカイのパフォーマンスもすばらしいものでした。

ウオッカ(最後まで)

そうなのだ。ウオッカはレースでギリギリまで頑張ってしまう馬だった。4歳時以降ウオッカの連勝は一度だけ。好走が続かなかった原因には激走による疲労残りがあった。

2008年のスーパーホーネットの毎日王冠、2009年のカンパニーの毎日王冠、いずれも休み明けなんですが。しかも、前走はどちらも安田記念で、海外遠征でもなく……。

もしローテーションをやり玉にあげるのならば、谷水オーナーへの批判になるかもしれません。谷水オーナーは父の代から「使えるレースは使う」方針で有名でした。

1970年の日本ダービー馬であるタニノムーティエは、2歳時(以後も新年齢表記で統一します)に7月から12月までに9戦、3歳時に2月から5月までにダービーを含めて6戦、合計15戦もこなしています。この記録を超えるのは、同じオーナーのタニノハローモアしかいませんし、15戦12勝は最多記録です。

ウオッカにもこの考え方は引き継がれており、2歳の10月から12月までに3戦、3歳の2月から6月までに5戦、さらに10月から12月に4戦しています。その後も海外を含めた使われ方もしながらすばらしい成績を残した点において、ウオッカがすごい馬なのは間違いありません。

そして、国内の府中連戦ではすべて3着以内という実績を考えれば、「真面目に走るうえに強い馬だった」という表現なら適切でしょう。何より、この文章が認めているとおり、連勝はあるわけです。2009年のヴィクトリアマイルは2着のブラボーデイジーに7馬身差の劇勝でしたし、直後の安田記念は「直線残り200mだけの競馬」でディープスカイを破るハイパフォーマンスでした。

触れるならばダイワスカーレットとの直接対決のみではなく、そうした部分の力強さにも言及してほしかったですね。何より、ゲーム『ウマ娘』でのウオッカのスキルは、まさにこの安田記念が最もモデルとして考えられるレースなわけですから。

参考資料:2009年 安田記念(GⅠ) | ウオッカ | JRA公式

ウオッカは2019年に種付けのために訪れたニューマーケットで15年の生涯を閉じた。不慮の事故が原因で、あっけない最期だった。

不慮の事故だったんですか?

参考資料:名牝ウオッカが蹄葉炎で死す 武豊「本当に残念」 - デイリースポーツ

当時の記事なのですが、2019年の2月23日にニューマーケットの牧場へ移動。3月10日にスタッフがウオッカの異変に気づいて病院で検査。右後肢第3指骨粉砕骨折と判明しました。その後、蹄葉炎を発症して回復の見込みがなくなり、安楽死になったと報道されています。

では、粉砕骨折の理由は何か。これは当時も今も、確たる情報があった覚えはありません。なるほど、骨折は不慮の事故で起きるかもしれませんが、ほかの可能性も考えられるのでは。ちょっと言い切ってしまうところで驚きましたし、約3週間は医療スタッフもウオッカ自身も苦しい戦いを続けたわけで、「あっけない最期」に感じられたのは「その程度の気持ち」だったのではと感じます。ファンにも関係者にも失礼でしょう。

ウオッカは名うての東京巧者で、特に優勝したG1は2歳時の阪神JF以外は、全て東京コースでのもの。陣営もその特徴を理解して、キャリア後半の国内10戦は全て東京コースを使うという徹底ぶりだった。有名どころでは、ライスシャワー=京都巧者、グラスワンダー=中山巧者などがよく知られている。

「ウオッカの好きな競馬場『場所によって得意不得意がある』」と銘打たれたミニコーナー。前段はいいんですよ。ウオッカの府中適性については、誰もが知るところです。でも、後半……。この本に登場する馬限定にするから、おかしくなったんでしょう。

ライスシャワーは3000m以上のレースで無敗であり、かつ「淀に咲き、淀に散った」名馬です。それは認めます。しかし、京都の戦績としては1992年京都新聞杯2番人気2着や1995年京都記念1番人気6着に代表されるように、決して「淀だから走る」わけではありません。

むしろ、勝負レースにしっかり仕上げた陣営の執念、京都新聞杯以降はずっと手綱を取り続けた的場均騎手の名手ぶり、何より鬼の仕上げにも応えたライスシャワー自身を称揚してしかるべきであり、京都巧者の表現は「なんじゃそら」という反応が出ても致し方ないと愚考します。

グラスワンダーにしても同様で、彼は春秋グランプリ3連覇に代表されるように安定した強さが持ち味でした。中山に限らず、東京でもしっかり走ったのがその証左です。また、スペシャルウィーク引退後の2000年にすっかり消沈したことは知られており、中山の2000年日経賞でも敗戦し、レオリュウホウの大金星を演出しました。

もちろん、1度2度の敗戦があるから巧者ではない、というわけではありません。それなら、中山で非常に強かったマツリダゴッホが、数回中山で敗れていることをもって中山巧者ではなくなってしまいます。

グラスワンダーの場合、コース形態に適合した走りや気性ではなく、鞍上や厩舎を含めた全体の総合力がスマートであり、それらをすべて受け止められたグラスワンダー自身の傑出した競走能力をもって評価されるべきでしょう。

しかし、書いてから思うんです。名馬限定の本で、かつここからしか「コース巧者」の例を使えないとなると、ひどい縛りプレイだなあと……。

「中山巧者でマツリダゴッホとネヴァブションを紹介しましょう!」
「アホかキミは」

という制作環境では、こうした表現になるしかなかったのかもしれません。

あれ、でも、ウオッカ以外の例を提示しなければ良かっただけでは……?

というか、得意不得意って言ってるのに、不得意の例が示されてないんですよね。せいぜいウオッカの各コース戦績が示されてる程度で、それも中山1戦0勝とドバイ4戦0勝がわかる程度で。もしやUAEにケンカをお売りでござるかと思いましたけど、さすがに穿ち過ぎですわね。

ダイワスカーレット(生誕まで)

12戦8勝、2着4回の完全連対。紛うことなき名馬ながら、2021年10月上旬現在でなおもJRA顕彰馬に選ばれていない馬。それがダイワスカーレットです。牝馬の有馬記念は厳しいと言われながら、2008年の有馬記念では結果的なラストランを最高の競馬で勝利。アグネスタキオン産駒の最高傑作候補にも挙げられる名馬です。

距離適性:短中距離

待ってください。有馬記念を含め、芝の1600mから2500mを勝った馬の距離適性が「短中距離」は、さすがに誤解を生む表現なのでは……。

Key Race:'07有馬記念
Best Race:'07桜花賞

鍵となったレースはマツリダゴッホに敗れた2007年有馬記念かもしれませんが、2007年桜花賞がベストレースってマジですか!?

すごいレースではありましたが、道中厳しい展開だった2007年秋華賞や、アーモンドアイの母でもある前年の覇者フサイチパンドラを退けた2007年エリザベス女王杯や、まさに影をも踏ませぬレースだった2008年有馬記念のほうが……えっ、ウオッカがいない? 秋華賞にはいましたよ。3着だったからダメ?

ちょっとウオッカとの対比が強すぎるのではないでしょうか。無論、チューリップ賞での借りを返した桜花賞が好勝負だったのはわかりますし、0.2秒差をつけたのは評価すべきです。ただ、着差をベースとするならば、0.3秒差の2008年の有馬記念のほうが上でしょう。

しかし、これもまた私の感情による難癖である部分は認めねばなりません。この先も含めて、トータルでの検証を続けます。

スカーレットブーケは社台ファームの看板と言える名繁殖で、すでにこの時点で2頭重賞勝ち馬を出していた。そのうち3つ年上のダイワメジャーは現役の皐月賞馬でもあった。軽々しく最高傑作という言葉を使える繁殖ではない。しかも牝馬なのに。

本文へいきます。この『優駿図鑑』の特徴である、「なんでそんなこと言うかな」が炸裂しました。「最高傑作は牝馬に使うものではない」という偏見が見え隠れしています。実際にはマックスビューティのように、生まれた直後から最高級の評価を与えられ、伊藤雄二師のような名伯楽をしてすばらしい評価が与えられる牝馬は存在します。

牝馬が牡馬を破るのが困難だった時代だとしても、戦績面で輝かしいものを残す可能性は十分にあるでしょう。であるならば、本テキストにおいては、芝中長距離の王道路線こそがすべてという先入観が強すぎるのではないでしょうか。

ダイワスカーレット(桜花賞まで)

競走馬としては遅い5月生まれということもあって、この馬は体質の弱さを抱えていた。基礎体温が安定せず、強い調教をすると関節にむくみが出る。パドックでのグラマラスな馬体の陰には、思いどおりに稽古ができず、なかなか仕上がらない苦悩が隠れていた。

こうした点は、とても好意的に感じています。確かに熱発が多い馬だったと思って調べてみたところ、実際に基礎体温が不安定である旨のコメントを、松田国英調教師が出していました。

参考資料:傷だらけの女帝…スカーレットと傷病 - スポニチアネックス

「パドックでのグラマラスな馬体」が表現としてちょっと引っかかりますが、「メイショウドトウちゃんのムチムチボディ(前肢が良い形なので)」とか「ミホノブルボンちゃんのガチムチ馬体(戸山流でムキムキなので)」とか日頃から言ってる私にすごい勢いでブーメランが突き刺さってR.I.P.でした。関係者の皆様、申し訳ございません。

デビュー2連勝のあとは2着が2回。ごまかしながらの調整では、一線級が相手になると勝ち切れない。牧場時代の名声は遠くなり、桜花賞は3番人気で迎えた。

ひとつ、桜花賞の3番人気は十分すごいです。1番人気は阪神JF馬のウオッカ、2番人気は前年の阪神JFで接戦したアストンマーチャンでした。アストンマーチャンは武豊騎手が継続騎乗で、フィリーズレビューを0.4秒差で勝利しての本番です。

ひとつ、4戦目の2着はチューリップ賞。ウオッカとタイム差なしの堂々たるものです。ゆえにこそ、3番人気を勝ち取れたともいえます。

ひとつ、2戦目の中京2歳Sで下した相手はアドマイヤオーラ。同じアグネスタキオン産駒、母はビワハイジ。そう、兄にアドマイヤジャパン、妹にはブエナビスタが出てくる超良血です。事実、3戦目ではこのアドマイヤオーラがダイワスカーレットを下しました。そこから弥生賞を勝利し、皐月賞4着、日本ダービー3着と進みます。

ひとつ、初戦の新馬戦にも、のちに2007年中日新聞杯、2008年エプソムC、2009年小倉大賞典と3年連続重賞勝利を達成するサンライズマックスがいました。ただ、確かにデビュー時は本格化前で、3歳秋から飛躍した馬ではあります。

ともあれ、「二線級には勝てる」と私のような者には誤解されるので、表現を変えたほうがいいのではと感じました。

この先、僕たちは何度もこの両馬による名勝負を目にすることになる。その最初がこの桜花賞だった。

突然の僕たち……。いや、なんだろう。変な感覚がしただけです。難癖かもしれませんが、なんだろう……。

とりあえず、カタマチボタンの3着に驚いた思い出を提示しつつ、次にいきます。なお、カノヤザクラを応援していました。橋口先生と上村騎手には逆神のおもりをつけて申し訳なく。

ダイワスカーレット(疑念を持つミニコーナー)

「マツクニローテで名馬輩出」松田国英調教師

キーワードのミニコーナー。ダイワスカーレットを管理していた松田国英調教師がよく見せた、NHKマイルCから日本ダービーというローテーションについての豆知識コーナーです。この紹介は良いですね。皐月賞ではなくNHKマイルCを使っていたのは、確かに個性的でした。

また、ダイワスカーレットは牝馬なので当てはまらないものの、その常識にこだわらないレース選択について紹介するコーナーです。それは良いんです。

でも、疑問があるんです。マツクニローテを使った馬として6頭が紹介されているんですが、そのラインナップが不思議でして。下記に並べてみますね。

・クロフネ
・タニノギムレット
・キングカメハメハ
・フサイチリシャール
・ダノンシャンティ
・ディープスカイ

このうちディープスカイについては、昆貢厩舎所属であるという注記がついています。いずれもNHKマイルCから日本ダービーというマツクニローテを使った馬であり、その点ではおかしい話ではありません。

でも、松田国英厩舎には、上記のディープスカイ以外の5頭のみならず、同じローテーションを使った馬はいるんですよ。特に、ディープスカイと同期のブラックシェル。この馬はクロフネ産駒で、母父はウイニングチケット。父の無念を晴らし、母父のような劇的な勝利が望まれた馬だったんですね。母母父は「天馬」トウショウボーイでもありますし。

結果、弥生賞2着、皐月賞6着、NHKマイルC2着、日本ダービー3着と、マイネルチャールズやキャプテントゥーレやディープスカイに及ばない悔しい結果だったんです。

しかも、このブラックシェルの姉には2006年のローズSでアドマイヤキッスの2着に入ったシェルズレイがいて、彼女からすごい娘が生まれます。レイパパレです。2021年、大阪杯で無敗のG1勝利を達成。モズベッロ、コントレイル、グランアレグリア、サリオスといった有力馬を倒したレースは、2021年10月現在も記憶に新しいのではないでしょうか。

ブラックシェルもまた、金子真人オーナーが送り込んだ刺客でした。知らないのはちょっと不思議なんですよね。

参考資料:「松国ローテ」は完成していた?過酷ローテを駆け抜け名馬となった5頭+1頭!! - 嶋山@副業ライター

こちらのサイトのマツクニローテ馬として、クロフネ、タニノギムレット、キングカメハメハ、フサイチリシャール、ダノンシャンティ、ディープスカイと、まったく同じ構成で紹介されていますね。

でも、まさか、個人のブログの知識をそのまま拝借するわけはないですもんね。プロの競馬ライターさんと感性が合致するなんて、面白い偶然もあるんですねえ……。ねえ?

万一この方が担当していたとしたら、さすがに構成は差し替えますもんね。ほかの厩舎でもコスモサンビーム(佐々木晶三厩舎/2004年にキングカメハメハの2着、日本ダービー12着)、マイネルホウオウ(畠山吉宏厩舎/2013年にNHKマイルCを10番人気ながら優勝、日本ダービー15着)といった候補はいるわけですから。なんででしょうね。検索を怠ったんでしょうか。

ダイワスカーレット(わずか1行のみ)

ライバル・ウオッカよりひとつ上のレベルの馬

見出しです。すごいですね。その「ひとつ下のレベルの馬」に、2008年天皇賞(秋)で敗れることになったんですが。勝者、敗者、そのほかの全方位に対して失礼なのでは。

ダイワスカーレットがウオッカより優れていた点として、安定感や脚質がある点は認めます。でなければ、12戦してすべて連対はできません。彼女の競走能力、高い操作性、理想的な気性、加えて関係者の努力の賜物でしょう。

桜花賞で本物になったあとの2着は、マツリダゴッホに内を掬われた3歳の有馬記念と、ウオッカと死闘を繰り広げて歴史に残る名勝負となった4歳秋の天皇賞。いずれも力負けではなく、敗れて強しの印象を残す内容だった。

インをすくっただけのマツリダゴッホに1と4分の1馬身つけられているんですが。そもそも、「荒れたインのギリギリを突いて、逃げるチョウサンを捕まえにいったダイワスカーレット」はすごいんですが、「さらに荒れたインから得意コースの利でぐんぐん伸びて勝ちきったマツリダゴッホ」もまたすごいわけです。蛯名正義騎手のファインプレーであるとともに、サンデーサイレンス直仔の威力を再認識させるレースでした。

参考資料:2007年 有馬記念(GⅠ) | マツリダゴッホ | JRA公式 - YouTube

それに、気性も足元も繊細な競走馬にとって、インを突くのは大きなギャンブルです。また、コーナーワークも上手くないといけません。操作性が高く、度胸があり、中山の急坂と荒れ馬場に屈しないパワーが必要です。

その点において、後の項目で出てくるゴールドシップの2012年の皐月賞における第3コーナーから第4コーナーの「ワープ」と表現されるイン突きは、どの馬にでもできるわけではありません。ゴールドシップだからこそのすごさです。G1を6勝することになるポテンシャルの開花ですね。

であればこそ、「内を掬われた」で終わらせるのは、いずれの陣営にも失礼ではないかと考えます。「たまたま負けたんだ」という気持ちさえ感じ取れてしまうからです。私の性格の悪さからくる誤解かもしれませんが、その後の2008年天皇賞(秋)が名勝負として讃えられているために、決して良い対比ではないでしょう。

敗れて強しなのは認めます。同時に、「勝ちきって強し」も認める度量こそが、真に名馬を称賛することにつながると思案するものです。

ダイワスカーレット(4歳春全休まで)

直接対決ではダイワスカーレットの3勝2敗。G1にかぎれば3勝1敗で、唯一の敗戦が件の天皇賞である。ウオッカにすればダイワスカーレットは憎き天敵だったのかもしれないが、競走成績を冷静に検討すると、ダイワスカーレットはウオッカよりひとつ上のレベルの馬だった。

これもまた変な文章だし、失礼だなあとため息が出ました。ダイワスカーレットはすばらしい馬ですし、ウオッカもすばらしい馬です。そのレベルの高低をこの形で論じるのは、あまり好感が持てません。また、ちょっと怖いので、数字も確認してみました。

2007年チューリップ賞(G3):ウオッカ1着、ダイワスカーレット2着
2007年桜花賞(G1):ダイワスカーレット1着、ウオッカ2着
2007年秋華賞(G1):ダイワスカーレット1着、ウオッカ3着
2007年エリザベス女王杯(G1):ダイワスカーレット1着、ウオッカ出走取消(右寛跛行のため)
2007年有馬記念(G1):ダイワスカーレット2着、ウオッカ11着
2008年天皇賞・秋(G1):ウオッカ1着、ダイワスカーレット2着

エリザベス女王杯はウオッカが出走取消になったので、ノーカウントで当然でしょう。そのほかの数字も問題ないようです。ただ、やはりウオッカもすごい馬で、心ないファンから「府中専用機」と言われながらも、きっちりG1競走で結果を残していることがわかります。有馬記念ばかりはエリザベス女王杯の取り消しから続く不調期だったのが、あまりにも大きかったですね。

だが、無事之名馬という言葉もまた真実である。ダイワスカーレットが走ったレースはウオッカの半分にも満たない。レースに出ないことには勝つこともないわけだから、その意味ではやはりウオッカは強かった。

このテキストを書いた手で、無念のうちにターフを去ったフジキセキやアグネスタキオン、悲劇の最期を迎えたサイレンススズカやライスシャワーについても称揚されるのですか。

ともあれ、ウオッカを「その意味でいえば、ダイワスカーレットは超えてたよね」という扱い方は、彼女を取り上げた直後に最も不適切な選択だと感じます。

ドバイワールドカップの前哨戦として位置づけられたフェブラリーSへの調整中に目を外傷。休養を挟んだ大阪杯を勝ったあと、今度は右前脚に故障を発症、以降全休となった。

あくまで春全休ですし、何より故障箇所が右前脚ではなく左前脚だった記憶がありました。調査したところ、以下のような状況であることが判明しています。

●日刊スポーツ→左前管骨外側骨瘤
●スポーツナビ→左前脚管骨の骨瘤
●競走馬のふるさと案内所→右前脚管骨骨瘤
●Wikipedia→右前脚管骨骨瘤

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【2021年10月6日4時49分追記】
Wikipediaにつきまして、各ソースを検証のうえで修正いただく旨をツイッターにてお知らせいただき、即時の編集を確認しました。よって、現在のWikipediaにおける記載は「左前脚管骨骨瘤」となっており、上記の記載からは変更されています。
以降の文章で「ソースとして弱い」と触れておりましたが、これもまた筆者たる私の偏見であり、お詫びするものです。また、即時の確かな情報源からの対応に、見習わねばと強く感じました。以降の文章は修正なしでお届けします。
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うーん、Wikipediaだけなら「ソース弱いっす」でいけたんですが、競走馬のふるさと案内所さんもか……。あとは個人ブログがまちまちというところでした。参考資料として、これをお読みいただいている皆様の判断にお任せします。個人的には、「校正さん、こんな曖昧な情報は弾いたほうがよろしいのでは」といった感じです。

参考資料1:スカーレット故障は左前肢骨瘤、秋2戦へ - 日刊スポーツ
参考資料2:ウオッカ vs.ダイワスカーレット――府中2000m頂上決戦!=天皇賞・秋 展望 3歳馬ディープスカイも参戦、一気の現役最強狙う - スポーツナビ
参考資料3:重賞ウイナーレポート - 競走馬のふるさと案内所
参考資料4:ダイワスカーレット - Wikipedia

ダイワスカーレット(最後のミニコーナー)

子孫に多くの活躍馬を出す牝系のことを「○○一族」と呼ぶ。スカーレット一族とは、スカーレットインクを祖とする牝系のこと。社台ファームの根幹牝系のひとつになっている。スカーレットインクからスカーレットリボン、スカーレットブーケという重賞勝ち馬が誕生し、スカーレットブーケからダイワメジャーとダイワスカーレットの兄妹が誕生した。ヴァーミリアン、サカラート、ソリタリーキングらもスカーレット一族。

うわあ!

す、すいません。まさかこの本でヴァーミリアンはともかく、サカラートやソリタリーキングの名前が出るなんて思わなくて、ちょっと感動してしまいました。

スカーレットブーケからは2000年の新潟3歳Sを勝ったダイワルージュも出たんですが、G1馬兄妹というくくりからは弾かれてしまった感じですね。これは記事の流れからも致し方ないところでしょう。なお、ダイワルージュからも重賞勝ち馬であるダイワファルコンが出ており、スカーレット一族は「ダイワ」の大城オーナーに多くの吉報を届けたといえます。

このころは社台ファームが、かくもノーザンファームに差をつけられるとは、まったく想像していませんでした。いや、無関係な話でしたね。

スカーレット一族は大きく広がったので、いろんなオーナーさんに所有されました。このため珍名馬も複数いて、特にナンデヤネンとナニスンネンは印象深いですね。いずれも同じ杉山忠国オーナーの所有馬でした。

杉山オーナーは2015年のNHKマイルCを勝利したクラリティスカイの馬主でもあります。こちらはクロフネ産駒で母父スペシャルウィーク。「BMSスペシャルウィークは買い」と実感した出来事でした。ただ、生産は社台ファームではなくパカパカファームでした。パカパカファームは名前こそ面白いですが、2001年開設ながらG1馬を複数輩出した新冠町の名門牧場です。2017年には一口馬主のクラブ法人「フクキタル」を設立しました。

だいぶ検証から逸れてしまいました。こうした情報は、もちろん紙面のメインテーマに沿うべきムック本に載る情報ではないでしょう。これをもって叩く意図は毛頭ありません。粛々と戻ります。

宿命のライバル・ウオッカ 実力と人気の比較・変遷

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【2021年10月6日 5:21追記】
×実量
○実力
引用部分に誤植という、「お前そういうところやぞ」というミスがありました。申し訳ございません。現在は訂正しております。
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ミニコーナー。データの誤植がありました。2頭の対戦成績で、人気・単勝オッズ・着順が記載されているのですが、2008年の天皇賞(秋)、ウオッカの単勝オッズが2.1倍と記載されています。正しくは2.7倍です。1と4、4と7あたりはテンキー誤爆があるんですが、1と7は珍しい間違いですね。

また、スペースの都合上かもしれないとはいえ、エリザベス女王杯を「エリザベス杯」と表記するのは、かなりエリザベス女王への失礼な案件。文字サイズを調整してでも「女王」を入れるべきだったのではと考えます。さすがに「エリザベス杯」なる珍妙な愛称は通用しないでしょう。

2021年10月6日午前4時:以降は新規記事で検証を継続します

お読みいただきありがとうございました。見出し時刻の時点で、全70頭中4頭が完成しました。まさかこんなにツッコミどころが多いとは思わず、このままでは全頭が終わるころには40万字を超えるという事実。私の脱線癖の悪さも相当に出ているのですが、それにしても、少々看過できない内容が多いと感じます。

何かありましたら、ツイッターまでご連絡ください。

現時点では、そしておそらく今後も、「『優駿図鑑』を買うくらいなら、おいしい出前でもとってください」「お釣りでチェーホフの名作を購入して読むと楽しいですよ」と、書き残させていただくものです。

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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第2回) - note

2021年10月6日10時00分、第2回を投稿しました。以後も新規記事連載の形で検証を継続します。
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