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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第4回)

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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第3回)
https://note.com/mariyatsu/n/n4e37f7da8f49
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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第5回)
https://note.com/mariyatsu/n/n5ab27ea1ac43
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『優駿図鑑』の奥付にて、発行の「株式会社ホビージャパン」にさえも誤植があり、「株式会社ホージャン」になっている事実について、ツイッターでお教えいただきました。確認したところ、間違いなくそのようになっていました。どうやら私の記事の表題からしてすでに罠にハマっていたようです。まさか「(2021年10月4日発行/ホピージャバン)」が正しかったとは……。

ともあれ、ホピージャバンがホビージャパンであると仮定して、メジロマックイーンの項目を見ていきます。これがいわゆるチームスピカの7頭のラスト。以降は順番ではなく、気になった馬や「この項目は良かった!」を検証ならびに紹介していきたいと思います。

本原稿の引用は、特記していないものはすべて以下の書物を出典としています。

出典:優駿図鑑 - ホビージャパン

全体を3行でまとめると

● メジロマックイーン編、ここまでの6頭より出来が良いです
● 特に、4ページ目のミニコーナーは学びになりました
● ギンザグリングラスの情報がなかったので、そこは補記しました

メジロマックイーン(距離適性)

距離適性:長距離

この距離適性の項目、本当に迷いどころです。ただ、やっぱり1991年天皇賞(秋)で2着入線のプレクラスニーに6馬身差の1着入線を果たし、1993年産経大阪杯では2着ナイスネイチャに5馬身差(コースレコード)、1993年宝塚記念でも2着イクノディクタスに1と4分の3馬身差をつけていることを鑑みても、「中長距離」のほうが良かったのではないかと。

いや、よく考えてみると、メジロマックイーンに0.3秒差のイクノディクタスと0.4秒差のオースミロッチ、すごいな! どの馬も6歳(旧7歳)で、4着セキテイリュウオーや5着アイルトンシンボリの5歳コンビを引き離したわけで。

ちなみに、メジロマックイーンの最初の写真はその1993年宝塚記念です。「7歳になっても衰え知らず。堂々の1番人気で優勝」という文言が、これぞメジロが、北野豊吉オーナーが、そして北野ミヤオーナーが追い求めたひとつの到達点だと感じさせてくれます。

そうそう、この『優駿図鑑』。写真が高品質で、写真に付記されている文章も良いんですよね。ミニコーナーと同じライターさんや編集さんが担当されたのかもしれません。

メジロマックイーン(ファンが愛した平成最強ステイヤー)

最強ステイヤー、メジロマックイーン。その称号は引退して30年近くが経過した現在も揺るがない。
大手競馬サイトが元号の変わり目に実施したアンケートの「平成最強ステイヤー」の項目では、メジロマックイーンが2位の倍近い票を集めてぶっち切りのトップだった。

これはnetkeibaが実施したアンケートですね。

参考資料:競馬ファンが選ぶ「平成最強ステイヤー」ランキング - netkeiba

メジロマックイーン、ディープインパクト、キタサンブラックという上位3頭。2000年代と2010年代、それぞれ強い印象を残した馬たちを引き離しているのは、本当にすごいことです。そこからライスシャワー、オルフェーヴル、ゴールドシップ、テイエムオペラオー、ナリタブライアン、マヤノトップガン、スペシャルウィークと続きます。

個人的にはオペラハウスからすぐれたスタミナを引き継ぎ、優秀な心肺機能で圧巻の走りを見せたテイエムオペラオーもまたすごいステイヤーだったと思いますが、ある意味ではナリタトップロードが魂の走りでそのイメージを阻止したといえるのかもしれません。

1999年菊花賞については、和田竜二騎手もいろいろと言われたようですけどね……。それでも、あれは「ついにナベちゃんがやった!」という、渡辺薫彦騎手に歓喜の瞬間が訪れた「祝福したいレース」ですし、また素直にナリタトップロードという馬のすごさを称えるべきでしょう。

メジロマックイーン(北野豊吉オーナーはメジロアサマを愛した)

メジロアサマは、メジロ牧場会長の北野豊吉に愛された馬だった。受胎率が極端に低かったため、一度は種牡馬失格の烙印を押されたが、「一個でも精子があれば子供は生まれる」と言い張って諦めなかった。たしかにそれは間違いではないが、プロの生産者だったら口に出しにくい「ワガママ」には違いない。
北野の本業は建設で、競走馬の生産に関してはプロではなかった。しかし、サラブレッドの歴史の糸には、素人が起こした奇跡によって繋がれた部分がいくつもある。

メジロアサマの受胎率の低さについては、複数のソースで確認できます。日刊競馬の特集ページを見てみましょう。

参考資料:日刊競馬で振り返る名馬 メジロマックイーン - 日刊競馬特別復刻版

この記事もさすがに日刊競馬。メジロマックイーンという「伝説」を強く感じることができます。「メジロアサマの種牡馬生活は13年」「種付け頭数126頭・産駒19頭」「受胎率15%」という、生業としての牧場経営を成していたならば、種牡馬として選択しづらい馬であったことは間違いありません。受胎率ばかりは、持って生まれた体質や競走馬時代の許可薬物の副作用などに依存することが多いだけに、メジロアサマの偉大さをいささかも毀損するものではないでしょう。

今さらではありますが、メジロアサマはメジロマックイーンの祖父にあたります。天皇賞や安田記念を勝ち、5年目の産駒としてメジロティターンを出しました。そのメジロティターンもまた秋の天皇賞を3:17.9のレコードタイムで勝利します。1982年、まだ秋の天皇賞も3200mだった時代でした。この2年後、北野豊吉氏は亡くなり、氏の願いである「ティターンの仔で父子三代の天皇賞制覇を」はメジロの一門にとっての至上命題となりました。

ただ、「一個でも精子があれば子供は生まれる」の発言はあったのでしょうか。有言実行の言葉ではありますが。

参考資料:父子3代の物語(メジロマックイーン) - netkeiba

しかし、メジロアサマが「種なしスイカ」の評判を跳ね除け、ついにメジロティターンが生まれた事実は間違いないでしょう。

1991年春の天皇賞。勝ったメジロマックイーンを関係者が囲んでの記念撮影で、鞍上の武豊は右手を空高く突き上げた。ガッツポーズではない。その手には北野の遺影が握られていた。
普通なら歓喜に溢れる記念撮影のはずだが、笑顔は見られない。映った面々は一様に唇を引き締めている。みんな涙をこらえていたのだ。

泣ける……。

参考資料:騎手の呟きが具現化した昭和のノスタルジー満載の企画展「メジロ牧場の歴史」JRA競馬博物館 - Yahoo!ニュース

好々爺たる北野豊吉氏について、横山典弘騎手の口からさまざまな内容が語られています。そして、優駿図鑑の記述どおり、武豊騎手は口取り式で北野豊吉氏の遺影を掲げていました。武豊騎手も、池江泰郎調教師も、天に捧げる父子3代天皇賞制覇。メジロマックイーンさえも、まるで頭を垂れて礼を表しているかのようで、心が熱くなります。

メジロマックイーン(世紀の対決)

以降、引退するまでの約3年間、メジロマックイーンはほとんど全てのレースで断然の1番人気に支持される。「ターフの主演俳優」と呼ばれた由縁である。
古馬になってからメジロマックイーンが、唯一1番人気を譲ったのが、5歳春の天皇賞。相手はトウカイテイオーだった。「世紀の対決」とだけ言った場合、日本の競馬ではこのレースのことを指す。

俳優スティーブ・マックイーンから名前を取られたメジロマックイーン。まさしくターフの主演俳優と呼ぶにふさわしい人気者でした。

「世紀の対決」は……やはり揺るがないでしょうか。それほどに、メジロマックイーンvsトウカイテイオーはあらゆるメディアで注目された一戦でした。最強馬アーモンドアイ、無敗の牡馬三冠コントレイル、無敗の牝馬三冠デアリングタクト。この3頭がそろった2020年ジャパンカップで、ようやく「世紀の対決」が更新されるかもしれません。それでも、メジロマックイーンvsトウカイテイオーのすごさは語られていくでしょう。

トウカイテイオーの単勝は1.5倍で、メジロマックイーンが2.2倍。二強と言われながら両馬の人気は水が開いた。
大きな理由は、トウカイテイオーが無敗だったことだ。故障で菊花賞を使うことができなかったので、長距離の適性は未知数だったが、無敗の魅力が不安を覆い隠した。
もうひとつは、メジロマックイーンが前年春の天皇賞を最後に、G1勝ちから遠ざかっていたこと。なかには先頭でゴールしながら最下位に降着になった秋の天皇賞もあったが、ファンの期待に応えられなかったことに変わりはない。

1.5倍と2.2倍。数字のうえでは近く見えますが、実際はどうなのか。まずは14頭立てのなかから、上位8頭の人気を並べてみましょう。

【1992年天皇賞(春)単勝オッズ】
1番人気:トウカイテイオー 1.5倍
2番人気:メジロマックイーン 2.2倍
3番人気:イブキマイカグラ 18.2倍
4番人気:カミノクレッセ 37.2倍
5番人気:ダイユウサク 46.0倍
6番人気:タニノボレロ 68.5倍
7番人気:ヤマニングローバル 71.7倍
8番人気:メイショウビトリア 78.2倍

圧倒的な2強態勢です。3番人気のイブキマイカグラですら穴人気に見えますし、この次の9番人気のボストンキコウシからは137.8倍と単勝万馬券に突入します。いかに世紀の対決が「勝つのはトウカイテイオーか、メジロマックイーンか」という点にフォーカスされていたかがわかります。

そのうえで、単勝支持率を見てみると、本文の正しさが見えてきました。トウカイテイオーの単勝支持率は約54%であり、メジロマックイーンの単勝支持率は約36%です。2頭でおよそ9割の支持を集めているわけですが、比率としては3:2。たしかにトウカイテイオーがメジロマックイーンよりもさらに人気していた事実がわかります。

なお、レースの結果としてはトウカイテイオーが5着、メジロマックイーンが1着。2着は4番人気カミノクレッセ、3着は3番人気イブキマイカグラでした。メジロマックイーンは2着カミノクレッセに2と2分の1馬身つけましたが、カミノクレッセもまた3着イブキマイカグラに5馬身つけています。当時を知る人にとって、カミノクレッセも特別な馬であることがわかる強さです。

何しろ1992年阪神大賞典でメジロマックイーンの2着、同じく1992年天皇賞(春)でご覧のように2着、さらに1992年安田記念でヤマニンゼファーの2着、加えて1992年宝塚記念ですばらしい逃げを見せたメジロパーマーの2着と、年初の日経新春杯1着の次から数えて4連続2着を達成しました。さらに、メジロマックイーンが18着に降着した1991年天皇賞(秋)でも4着入線の3着繰り上がり。アンバーシャダイ産駒、すなわち父父はノーザンテースト。母父コインドシルバー。この時代を代表する馬の1頭でしょう。

なお、1番人気ながら5着に敗れたトウカイテイオー。1992年天皇賞(春)の馬券売上高は288億1905万4500円であることから、単純計算で155億円ほどが不的中となりました。さらに言えば、1991年天皇賞(秋)は336億6324万9700円で、メジロマックイーンの単勝支持率は42%ほど。同じく単純計算で、141億円が降着によって不的中になりました。2015年宝塚記念のゴールドシップの約120億円にも勝る、猛烈な「事件」といえるかもしれません。

参考資料1:天皇賞・春の馬券売上高 - 厩戸光明伝
参考資料2:天皇賞・秋の馬券売上高 - 厩戸光明伝

メジロマックイーン(天皇賞連覇に関して)

春の天皇賞2連覇は史上初の偉業だった。といっても、このあと同じ記録を達成した馬は多い、むしろ近年ではリピーターレースの傾向が強くなっている。
翌年、メジロマックイーンは3連覇を狙ったが、ライスシャワーの勝負駆けに屈して2着に終わった。

春の天皇賞2連覇は、メジロマックイーンが初めて。それはそうなんですが、スペースの都合もあって、「同じ記録を達成した馬は多い」「リピーターレースの傾向が強くなっている」も含めて、簡潔すぎてその価値を減らしかねない記述になっています。

天皇賞連覇の偉業は、実はメジロマックイーンが出てくる少し前まで「不可能」な事情がありました。これは帝室御賞典時代から天皇賞時代にいたるまで、「勝ち抜け制度」があった点に由来します。天皇賞優勝馬は、以後春秋いずれの天皇賞にも出走できない制度です。これは「優勝して天皇盾の栄誉を贈られた名馬が、同じ天皇賞で負ける姿を晒すわけにはいかない」という考えに由来します。

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【2021年10月8日19時40分 追記】
メジロマックイーンの史上初の天皇賞連覇について、その偉大さを誇張するあまり、それぞれ特別の事情があったミスターシービーとシンボリルドルフ、両クラシック牡馬三冠馬の栄誉を汚すような表現になっておりました。

これでは、検証対象の悪い部分と変わらないものになってしまいます。心よりお詫び申し上げるとともに、ご指摘いただけたことに心より感謝します。すぐに当該部分に関して修正を施し、メジロマックイーンを顕彰する方向へとフォーカスを移しました。

このように指摘していただくことですぐに修正が施せるのは、ネットのテキストのありがたさです。同時に、『優駿図鑑』もまた出版物という枠組みのなかで、良心的な関係者が苦心してつくったひとつの作品であるのだと、思い直すにいたりました。引き続き何かありましたら、ツイッターまでご連絡をお願いいたします。
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この制度はほかのレースでもありましたが、戦後の早期段階で順次撤廃されました。しかし、天皇賞については1980年まで継続します。メジロマックイーンから見て11年前の話です。

メジロマックイーンは、まさしく「金字塔」と呼ぶにふさわしい偉業を成し遂げました。往古の名馬たちが「叶えたくても叶えられなかった」場所へ、メジロの血の結実は堂々とたどり着いてみせました。

なお、春の天皇賞連覇ではなく、「天皇賞連覇」ということであれば、メジロマックイーンより先に達成した名馬がいました。白い稲妻、「風か光か」、タマモクロスです。1988年天皇賞(春)、1988年宝塚記念、1988年天皇賞(秋)を含めた8連勝。オグリキャップとともに「芦毛の馬は走らない」を過去の言葉に変えた名馬の偉業の3年後に、同じく芦毛のメジロマックイーンが史上初春の天皇賞連覇の快挙を達成したことになります。

さらに、スペースの都合上、あのドラマティックな1993年天皇賞(春)が引用部分の一行で終わってしまっています。当のライスシャワーの項目で解説されているということになりますが、それにしても、もったいない話です。

メジロマックイーン以降に春の天皇賞連覇を果たした馬は、記述どおりに複数います。1993年から2021年までの間に、2年連続制覇を達成した例をピックアップしてみましょう。

2000年&2001年:テイエムオペラオー
2013年&2014年:フェノーメノ
2016年&2017年:キタサンブラック
2019年&2020年:フィエールマン
[非連覇2勝例]1993年&1995年:ライスシャワー

すばらしいラインナップです。さらに、1勝のみであっても、ビワハヤヒデ、サクラローレル、マヤノトップガン、メジロブライト、スペシャルウィーク、マンハッタンカフェ、ヒシミラクル、イングランディーレ、スズカマンボ、ディープインパクト、メイショウサムソン、アドマイヤジュピタ、マイネルキッツ、ジャガーメイル、ヒルノダムール、ビートブラック、ゴールドシップ、レインボーライン、ワールドプレミアと……。長距離レースの価値低減が叫ばれているほどには、その輝きを失っていないことが見て取れます。

メジロマックイーン(中距離におけるパフォーマンス)

長距離戦での盤石のレースぶりとは対照的に、メジロマックイーンは中距離戦ではいつもあと一歩が届かない、もどかしい馬だった。
しかし反対側に回って眺めれば、どんな距離でもどんな状態でも、常に勝ち負けに持ち込んでいたタフな競走馬の姿が見えてくる。生涯通算で21戦したが、3着以内でゴールできなかったことは、4着に敗れたジャパンカップの1回だけだった。

あの、ほかの項目でも挙げましたが、ぶっちぎりで1着入線した1991年天皇賞(秋)とコースレコードを出した1993年産経大阪杯と、1993年宝塚記念……。ただ、条件戦時代も含めると、この傾向があるのも間違いありません。芝1800mから芝2400mに絞って見ていきましょう。

ゆきやなぎ賞(芝2000m/500万下):1番人気2着
あやめ賞(芝2200m/500万下):1番人気3着
大沼S(芝2000m/900万下):1番人気1着
宝塚記念(芝2200m/オープン):1番人気2着
天皇賞・秋(芝2000m/オープン):1番人気1着入線18着降着
ジャパンカップ(芝2400m/オープン):1番人気4着
産経大阪杯(芝2000m/オープン):1番人気1着
宝塚記念(芝2200m/オープン):1番人気1着
京都大賞典(芝2400m/オープン):1番人気1着

条件戦時代は取りこぼしがありましたが、1991年宝塚記念はメジロライアンのパフォーマンスがすばらしかったです。他方、天皇賞(秋)は東京2000mの発馬直後の「馬が横に動くのを初めて見た」案件ですね。他馬への影響は間違いなくありましたが、それにしても6馬身差は相当なものです。

1991年ジャパンカップはどう評価したものでしょう。1着ゴールデンフェザント、2着マジックナイト、3着シャフツベリーアヴェニュー。海外馬がずらり。さらに、4着のメジロマックイーンの後ろにも、5着ラフハビット、6着ワジド、7着ロックホッパーと海外馬が続き、ようやく8着に日本馬フジヤマケンザンが出てきます。

フジヤマケンザンが出てきます!?

そうか、さすがは「基準によってはシーキングザパールよりも先に『海外G1』を制したことになる馬」なだけはありますね……。はい、フジヤマケンザンは1995年に香港国際カップを優勝しましたが、「香港G1・国際G2」となります。

メジロマックイーン(ギンザグリングラスに関する補記)

スピードに欠ける種牡馬は淘汰されてしまうので、ステイヤーは種牡馬としての成功が難しい。父子三代天皇賞制覇がどれほどの偉業だったことか。父子四代制覇は叶わないまま、メジロアサマの父系はメジロマックイーンで途絶えた。
しかし、北野豊吉の執念の種火から、細く長く受け継がれてきた奇跡の血脈が途絶えたわけではない。オルフェーヴル、ゴールドシップの母の父がメジロマックイーンである。ステイヤーの炎は消えていない。

後段は問題ないと思います。ドリームジャーニーが入っていませんが、これはスペースが明らかに足りないので、種牡馬としての現状からも、現役時の競走成績からも、この2頭が優先されるのは妥当でしょう。メジロの源流たる北野豊吉氏にフォーカスをあてた本文の締めくくりとして、良い形での落着です。

ただ、前段が残念なのは避けられません。メジロマックイーン産駒から「有力な後継種牡馬」が現れなかったのは事実です。2008年目黒記念を勝利したホクトスルタンが第1指関節脱臼によって予後不良となったとき、メジロマックイーンファン、そしてメジロ牧場のファンを悲しませたか……。思い出すだけでも涙腺が刺激されます。

一方で、2021年現在、メジロマックイーン産駒、母父サンキリコのギンザグリングラスが種牡馬登録をされ、種付けを行っているのも事実です。中央競馬でデビューしたギンザグリングラスは、2008年に3歳未勝利を12番人気ながら勝利する活躍を見せましたが、同年夏に南関東の大井競馬、松浦備厩舎へと移籍しました。

その後は川崎の山崎尋美厩舎を経て、同じ川崎の山田正実厩舎へと移り、引退まで走り続けます。中央11戦1勝、地方98戦2勝。通算109戦3勝(3-5-11-90)とタフに走り抜いた彼は、今、メジロマックイーンのサイアーラインを残すという新たなステージで「主演俳優」を目指しているのです。

参考資料:メジロマックイーンの子どもたち(ギンザグリングラス) - Wish on the Turf

メジロマックイーン(ゴールドシップだけじゃないぞ)

メジロマックイーンの写真もまた、どれも良いですね。3ページ目の写真は2枚。1990年菊花賞、前走1500万下2着からの参戦ながら、1番人気のメジロライアンを下しての優勝。口取り式で拳を掲げる内田浩一騎手の姿が印象的です。

2枚目は、父子3代天皇賞制覇という偉業を達成した1991年天皇賞(春)。これがまた「それをチョイスしたか!」というもの。そう、口取り式で突然後ろ足で立ち上がり、あわや「メジロのおばあちゃん」こと北野ミヤオーナーを踏みつけそうになっている瞬間です。メジロマックイーンさん、貴方のその部分、母父としてお孫さんにしっかり受け継がれましたよ! なんとなくお顔も似た感じ! 武豊騎手も振り落とされそうになっていますが、それ以上に関係者に何か起きてはならぬと必死に手綱を引っ張っているのが、何やら名画の趣さえ感じさせます。

メジロマックイーン(出来が良いぞミニコーナー)

メジロマックイーン編のミニコーナーも3つ。

● Key Word 最強ニックス配合「ステゴ×マック」
● Key Race 1991年10月27日 東京競馬場 天皇賞・秋(G1)
● Key Word 多数のスターホース達から受け継がれる「メジロの血脈」

ニックス配合は、いわゆる「ステマ配合」に関する解説ですね。解説文中でも「ステマ(配合)」と触れられています。ドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップのみならず、2011年京成杯と2011年セントライト記念を勝ったフェイトフルウォーにも触れられているのが好感触です。

なお、このフェイトフルウォー。新馬戦(メイクデビュー)で鞍上の田中勝春騎手を振り落とし、放馬して走り回ったものの故障や大きな疲労も見られずそのまま出走。7番人気(26.1倍)とは思えぬ走りで1番人気のサトノペガサスに2と2分の1馬身差をつけて快勝しました。

もちろん、「ステイゴールド産駒は騎手を振り落とすと強い」なんてジンクスはないんですが、オルフェーヴルと池添謙一騎手の逸話と重ねたくなってしまうエピソードではあります。

天皇賞(秋)は降着したレースの概要説明。江田照男騎手が若くしてG1を勝利したレースではなく、「『メジロマックイーンが降着となったレース』として知られている」というのは、ひとつの真実だと思います。メジロマックイーンの斜行によってプレジデントシチーら3頭の進路を妨害という、降着になるだけの理由が示されているのが良いですね。

同コーナー後半では、日本のG1で1着馬が降着となったレースの例が挙げられています。カワカミプリンセス(2006年エリザベス女王杯)、ブエナビスタ(2010年ジャパンカップ)、クリノガウディー(2020年高松宮記念)が名前を挙げられ、カワカミプリンセスに関連記事ページがつけられており、過不足なく良い仕上がりのコーナーです。

カワカミプリンセスのときの被害馬となったトウカイテイオー産駒のG1馬ヤマニンシュクルは、この妨害によって右前浅屈腱不全断裂を発症。一命は取り留めましたが、競走能力喪失の重傷と診断されたため、引退して繁殖入りしました。カワカミプリンセスにとっては悪い話になってしまいますが、事実としてお伝えしなければならない部分でもあります。

「メジロの血脈」については、さらに魅力ある仕上がりのコーナーです。競馬における「メジロ軍団」、ウマ娘における「メジロ家」が、いかに日本競馬でも有数のオーナーブリーダーであったかを説明しつつ、例としてクールキャットの母メジロトンキニーズの存在と、メジロトンキニーズの血統としてメジロクロヒメ、メジロツシマの名前が挙げられ、近親にも冠名メジロの活躍馬が並ぶことを簡明にまとめています。この項目を書いた方の筆致は、私も見習わないといけませんね。

メジロの血脈項目の右側は、総賞金上位10頭のメジロの名馬です。それぞれ名前を並べてみましょう。

第1位:メジロマックイーン
第2位:メジロブライト
第3位:メジロドーベル
第4位:メジロパーマー
第5位:メジロライアン
第6位:メジロワース
第7位:メジロアンタレス
第8位:メジロラモーヌ
第9位:メジロダーリング
第10位:メジロファントム

さまざまな意味で、思い出にあふれる馬たちです。障害競走にも敬意を払い、大障害コースを勝てる馬の生産に力を入れたメジロ牧場。そのひとつの成功例として、メジロアンタレス(1984年中山大障害&1987年中山大障害・春)が3億8091万4000円を稼ぎ、第7位にランクインしている事実。ほかの馬の項目で障害競走を貶めているとは思えないすばらしさです。

また、このランキングに入っていない馬でも、メジロマックイーンを始めとしたメジロ牧場以外で生産された馬の代表例も紹介しています。名前の挙がるところではメジロボサツ、メジロタイヨウ、メジロアサマ、メジロムサシ、メジロデュレンですね。

メジロムサシについては、栃木県黒磯市の鍋掛牧場で生まれたと、調べて初めて知りました。新たな知識との出会いに感謝です。

何かありましたら、ツイッターまでご連絡ください。

次回はタマモクロスを予定しています。