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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第3回)

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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第2回)
https://note.com/mariyatsu/n/n8c364b2ddd04
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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第4回)
https://note.com/mariyatsu/n/n4c11cae9d022
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本原稿の引用は、特記していないものはすべて以下の書物を出典としています。

出典:優駿図鑑 - ホビージャパン

全体を3行でまとめると

● 本文内の記述でちゃぶ台が何度もひっくり返る
● 逆に、Wikipediaの編集者が書いたのではという安心感を得る
● レオダーバンやレッツゴーターキンやメジロパーマーといったあたりは名前すら出ません

トウカイテイオー(脚質&レコード勝利レース)

最初の写真が1993年有馬記念。いいですねえ。奇跡の復活のあのとき、先に抜け出したビワハヤヒデとついに馬体を併せたシーンのものが使われています。実況アナウンサーさえも驚いた、1年ぶりのレースであるトウカイテイオーの猛然たる追走。ビワハヤヒデの勝ち筋に見えたところに1頭だけついていった赤い帽子は、前年の11着のときとは違う「真の姿のトウカイテイオー」でした。

基本情報の主戦騎手欄も安田隆行騎手に設定されており、どこかホッとしています。しかし、その気持ちはすぐに吹き飛びます。

脚質:差し

脚質欄に関しては重箱の隅ではありますが、トウカイテイオーに関してはやはり筋悪な選択と考えるため、ここに紹介します。

1991年皐月賞(18頭立て):5-7-4-2
1991年日本ダービー(20頭立て):6-6-6-3
1992年産経大阪杯(8頭立て):3-3-3-2
1992年ジャパンカップ(14頭立て):4-5-4-5
1993年有馬記念(14頭立て):8-8-4-4

トウカイテイオーは生涯に5つの重賞、内訳として4つのG1競走と1つのG2競走を勝ちました。加えて、当時G2競走の産経大阪杯は、2021年現在では大阪杯としてG1に昇格しています。これらのレースの通過順位について、出走頭数とともに上記に記載しました。

そもそも脚質における「先行」と「差し」の境界線は、極めてあいまいなものといえます。このため、たとえばゲーム「G1ジョッキー」シリーズでは、「逃先」「先差」「差追」の3種類で騎手の脚質別勝鞍を表現するなど、「実情に即した形でのデータの提示」を図る見込みが行われてきました。

ただ、ゲームはあくまでゲームです。競馬関係の機関が発信した情報としては、JRA-VANが提供する脚質に関する説明が適切でしょう。

参考資料:脚質傾向について - JRA-VAN NEXT

上記サイトによれば、先行は「最終コーナーを4位以内で通過した場合」、差しは「最終コーナーの通過順位がそのレースの出走頭数の3分の2以内だった場合(出走頭数8頭未満は該当なし)」と定義されています。

この定義に沿えば、トウカイテイオーの重賞勝利は先行4、差し1となります。これらの結論により、トウカイテイオーの脚質が「差し」というのは、客観的指標と照合してなお、妥当性を欠いているものと思われます。

New Record:'16菊花賞

SNSを中心に話題沸騰の、「2016年菊花賞馬トウカイテイオー」「25年越しかつ23年ぶりの出走により牡馬クラシック三冠を達成したトウカイテイオー」が生まれてしまいました。2016年の菊花賞の勝ち馬はサトノダイヤモンドであり、明らかな誤りです。さらに、レコードタイムが出たのは2014年の菊花賞で、トーホウジャッカルが計時した3:01.0でした。

この誤植には多くの謎が残ります。「なぜ発生したか」を検証したいのですが、あまりにも唐突かつ誤りに誤りのミルフィーユが生まれており、内的宇宙の諸葛孔明が「ほかに することは ないのですか」と助言してきてしまいます。たぶん、これ以上は語れないくらいに誤りなので、次にいきましょう。

トウカイテイオー(岡部幸雄騎手の意志)

前年のクラシックでコンビを組んだ安田隆行騎手が手綱を譲ったのは、「調教師試験の勉強に専念する為」という理由が発表されていたが、それはひとつの方便だった。ファンもマスコミも岡部の騎乗を待望していたし、岡部自身がそうだった。

本文は、トウカイテイオーの4歳時、骨折が回復して1992年の産経大阪杯から始動することになり、さらにこれまでの主戦騎手の安田隆行騎手から、岡部幸雄騎手へとスイッチするエピソードから始まります。

シンボリルドルフの存在感はそれだけ大きかったのでしょうし、実際、トウカイテイオー3歳時以前の安田隆行騎手と岡部幸雄騎手とでは、実績面では大きな差がありました。

しかし、アプローチとして岡部幸雄騎手が積極的に「強奪」したような感じがすることは、テキストとして好ましいとは思えません。

トウカイテイオーについては、Wikipediaの内容が大いに充実しており、明確なソースとともに安田隆行騎手、岡部幸雄騎手、田原成貴騎手によるトウカイテイオー評、そして各レースごとに吐露された思いが記載されています。出典の数は190にも上り、熱の入った記事です。

参考記事:トウカイテイオー - wikipedia

この中において、安田隆行騎手は乗り替わりについて「やっぱり悔しかった」「普通は乗り替わりがあると、『ちくしょう、負けちゃえばいいのに』っていう気持ちもどこかに付いてくるものなんですが、あの馬についてはそれはなかった。ずっと勝ち続けて欲しかったですね。それだけ愛せる、素晴らしい馬です」とコメント。トウカイテイオーが規格外の馬であることを伺わせてくれます。

前コメント出典:名馬列伝トウカイテイオー(98ページ) - 光栄出版部
後コメント出典:『優駿』1994年5月号(84ページ) - 日本中央競馬会

さらに、岡部幸雄騎手も名手として「背中、フットワークは父そっくり、落ち着き、賢さは父以上」「父親のレベルに達する要素はいくらでも持っていた馬ですが、結局そうはなれなかった」「怪我なく順調に行って、普通にレースを重ねていたら、もっと違う仕事をしていたと思う。大変な馬になっていたと思うよ。そういう意味での残念な気持ちは残りますね」と、高い評価を与えました。

前コメント出典:『優駿』1992年6月号(144ページ) - 日本中央競馬会
前コメント出典:『名馬を読む』(220ページ) - 三賢社
中・後コメント出典:『トウカイテイオー―栄光の蹄跡 引退記念・特別編集 (優駿グラフ)』(45ページ) - 優駿編集部

そのうえで、岡部幸雄騎手が「騎乗を待望した」旨のソースが見つかりません。調教師に転身した安田隆行騎手のインタビューもありましたが、あくまで安田騎手の側から以下のように発言されている程度です。

市丸:翌年から岡部さんに乗り替わることになりますが、そのときには調教師の試験も受けられていました。
安田:確かに調教師も1次試験に受かって、勉強もしていましたけれど、それで諦めるつもりはまったくなかったですね。ただ、ジョッキーとして甘いところもあって、もう少ししっかりしたのを乗せないといけないな、という形で岡部さんに替わったということだと思います。勝負師としては仕方ないですね。
市丸:岡部さんにはなにか、「こんな馬です」というようなお話しは?
安田:そんな大それたことはできないです(笑)。ただ、ジャパンCを勝ったときには厩舎にお祝いに行きましたね。今まで乗せていただいて有り難かったですし、感謝していましたから。

出典:私の競馬はちょっと新しい 第48回 中央競馬調教師 安田隆行さん - JRA-VAN

さらに情報の踏査を継続。今年2021年、『名馬を読む』を書かれている江面弘也さんが文春オンラインに寄稿した記事もありました。

92年春、トウカイテイオーは大阪杯で復帰する。騎手はシンボリルドルフの主戦でもあった岡部幸雄に替わった。安田が調教師試験を受けていたことや、海外遠征も視野に入れての乗り替わりだった。調教ではじめてトウカイテイオーに乗った岡部が、あの名言を口にした。
地の果てまで走って行きそう――。
マスコミ受けするコメントなど滅多に口にしない名手が絶賛した馬は、10カ月ぶりの大阪杯も岡部の手綱がほとんど動かないまま楽勝した。これで7連勝。史上最強馬と評される父親と比肩される存在になっていた。

出典:《ウマ娘が10倍楽しくなる?》トウカイテイオーは、いつだって涼しい顔で立っていた…『ウマ娘』ファンにも読んでほしい“リアル競走馬エピソード” - 文春オンライン

この点については、トウカイテイオー本文の序段と同じです。それでもなお、「岡部幸雄騎手がトウカイテイオーへの騎乗を希望していた」エビデンスは発見できませんでした。当時の空気感を表現しているのかもしれませんが、騎手当人の意志にまで踏み込みすぎた表現の可能性があります。

強く印象に残っている馬として、栗東の調教師や助手の口からトウカイテイオーの名前が出るのを僕は何度も聞いた。あんな馬はいない。見たこともなかったし、それからも出ていない。プロのホースマンが憧れる馬。それがトウカイテイオーだった。
岡部の言葉も、憧れの存在を初めて肌で感じた驚嘆と喜びの表れだったに違いない。

ひとつ目の文章はまだ「そういうトリビアもあるのね」なんですが、ふたつ目の文章の「だったに違いない」でここまでのもろもろを載せたちゃぶ台がひっくり返されました。ボートレースの非常識なフライングじゃないんですから……。

トウカイテイオー(長浜牧場の規模とサクセスストーリーの適合性)

家族経営の小さな牧場で生まれた華奢な仔馬が秘めた素質を開花させ、競馬場に行って連戦連勝。大牧場のエリートたちをなぎ倒してダービーを制覇するまで、トウカイテイオーのクラシックロードは典型的なサクセスストーリーだった。

大牧場がどれくらいの規模を指しているのかが不明です。では、家族経営の牧場として、トウカイテイオーが生まれた長浜牧場は小規模だったのでしょうか。

生まれ故郷の長浜牧場は、新冠町・サラブレッド銀座にある。14町歩の敷地に13頭という繁殖牝馬は、このあたりの家族牧場においては平均的な規模だ。

出典:時代を駆け抜けた優駿たちのルーツを辿る旅 名馬9頭を育んだ生産現場の物語 - CLAP

家族牧場としては平均的な規模のようです。社台ファームやシンボリ牧場や早田牧場を念頭に置けば、確かに小規模な牧場です。しかしながら、トウカイテイオーは「皇帝」シンボリルドルフ産駒です。さらに、母もオークス馬トウカイローマンの半妹であるトウカイナチュラル。「家族経営の牧場で育った馬の快進撃」は、どことなく心をくすぐるサクセスストーリーながら、血筋などは十分にエリートです。

何より、地方競馬ではなく中央競馬でのデビューを飾れたこと。トウカイナチュラルとトウカイローマンの馬主である内村正則オーナーがその方針を堅持したことからも、「典型的なサクセスストーリー」というほどには典型ではありません。借金にあえいでいた錦野牧場出身のタマモクロスのほうが、種付け料10万円の父シービークロスから生まれた点も考えて、典型に沿ったものといえます。

成績、ルックス、血筋とすべてを兼ね備えて、トウカイテイオーは競馬界の新しいスターになった。

それは選良と呼ぶにふさわしいエリートなのではないでしょうか!?

リサーチした数行後に、またちゃぶ台が飛んでいった!

ああ、世界よ半熟なれ……!

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【2021年10月8日8時29分 追記】
ツイッターにて情報提供をいただきました!

よしだみほ先生の『馬なり1ハロン劇場:2013秋』のあとがきにて、シンボリルドルフと岡部幸雄騎手、トウカイテイオーと安田隆行騎手、それぞれの良い境遇、良い相性としての対比が描かれた場面です。

納得を得ました。父にして皇帝、シンボリルドルフは大牧場たるシンボリ牧場の出身です。その対比とあらば、新冠の家族経営の牧場は、相対的に小規模になるでしょう。また、当初の主戦騎手の実績という面から見ても、納得の描写です。

なお、馬なり1ハロン劇場の表現においては、「息子は小さな家族経営の牧場に生まれ、朴訥なパートナーと共に歩み出した」とされていますね。そして、皐月賞で安田騎手の初G1、ついには日本ダービーという誰もが憧れるタイトルまで駆け上がりました。そうか、まさしく人馬一体のサクセスストーリーと呼べる内容に感じます。
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トウカイテイオー(1回目の骨折)

骨折といっても診断は亀裂骨折で、競走能力に支障を来す種類のものではなかった。しかし、骨折の箇所が後ろ脚だったことは苦難の予兆だった。というのは、競走馬の骨折は大半が前脚に発症するからだ。

亀裂骨折だったのでしょうか。

ところが、表彰式が終わったあとトウカイテイオーの左後肢に異常がみられ、三日後の診察で左第三足根骨の骨折が判明する。全治6カ月の重傷だった。その瞬間、菊花賞の出走は不可能になり、究極の夢が消えた。

出典:《ウマ娘が10倍楽しくなる?》トウカイテイオーは、いつだって涼しい顔で立っていた…『ウマ娘』ファンにも読んでほしい“リアル競走馬エピソード” - 文春オンライン

重傷なようで、競走能力への影響を懸念しますが、さらに調査を進めます。

レントゲンの結果、左後脚の骨折が判明。3日後には公式に「左第3足根骨骨折・全治6か月」と発表され

出典:トウカイテイオー - wikipedia
同箇所出典:水晶の脚 トウカイテイオー―ターフの伝説 - 三心堂出版社

左第3足根骨骨折のソースはそろいましたが、亀裂骨折という文言は見当たりませんでした。ただ、亀裂骨折の可能性を感じさせる医療的な見地からの類例は見つかっています。

栗東トレセン在厩。レース後、右膝が若干腫れぼったかったため、念のためレントゲン検査を行ったところ、橈骨遠位端骨折が判明。全治6か月と診断されました。
「歩様には全く見せなかったものの、幾らか腫れぼったい感じでしたので、獣医師の勧めで検査してみたところ、橈骨遠位端の外側にヒビが入っていることが分かりました。剥離はしておらず、6か月の診断の中では程度は軽く、レントゲンでもハッキリと写らないため、2枚目の写真でようやく分かったほど。ただ、『このケースはオペして取り除いた方が治りも早い』(獣医師)との判断から、金曜日にトレセン内で除去手術を行う予定になっています。今日も引き運動を行ったくらいで歩様に違和感はありませんが、今後の競走生活を考えますと、ここで適切な対処しておいた方が将来のためと言えるでしょう。残念ではありますが、前走できちっと勝っておくことができたのは不幸中の幸い。ここはしっかりと治して、また頑張ってもらいたいと思います」(高柳大調教師)

出典:アドバンスマルス、勝利も - 広尾サラブレッド倶楽部

広尾サラブレッド倶楽部の所属馬が、レース後に骨折が判明。橈骨の外側にヒビが入っているケースで、全治6ヶ月の診断も、手術で取り除くことで将来的な予後が良くなることが示されています。

骨折の大半が前肢に出るかどうかについても、調査を実施しました。

競走馬で骨折というと、最も多いのはいわゆる前膝、腕節だ。人の手首にあたる部分。前蹄が着地した際、自重による衝撃を受け止めきれずに骨が破綻するパターンもある一方、前肢を振り出したときに、関節前後および内部で、骨同士が衝突して欠けるというパターンが考えられている。このケースで欠けるのは骨端。骨全体の形状として、負重に関わるほど問題を生じることは比較的少ない。
対して後肢は、疾走時に骨同士が衝突して欠けるといったことは起こりにくい構造をしている。したがって、後肢の骨折の多くは、後蹄の着地衝撃に骨が耐えられず起こるものが主流だ。

出典:オーソクレース「地力が損なわれていないなら」骨折の種類による”復帰率”も馬券検討に考慮を - 中日スポーツ

今年9月に配信されたばかりの記事であり、セントライト記念に出走するオーソクレースを主題としたものです。前肢の骨折のほうが、統計的に後肢よりは多そうです。よって、本項で取り上げた引用部分に関しては、大きな問題はないようです。なお、2021年セントライト記念に出走したオーソクレースは、2020年ホープフルS2着以来9ヶ月ぶりの競馬でしたが、5番人気を上回る0.3秒差の3着に好走しています。

トウカイテイオー(Wikipediaはすごい)

骨折の程度はいずれも軽度であり、いつも元気に競馬場に帰ってきた。だが、順調にキャリアを積めなかったことで、結果的に大成が阻まれてしまう。

無敗の2冠馬、しかも父子そろっての無敗2冠(父シンボリルドルフは3冠達成)というキャリアは相当なものです。古馬以降、何よりこの直後から始まるメジロマックイーンとの宿命的な直接対決での敗北を予感させたいにしても、「大成が阻まれてしまう」と表現するのは行き過ぎかもしれません。適切かを追加調査します。

2度目の骨折は右前脚の剥離骨折、3度目の骨折は筋肉を痛めたのちに左前橈骨の剥離骨折です。どうなのだろう……と思っていたら、Wikipediaの本文にこういうものがありました。

競走生活中に発症した4度の骨折はすべて軽度のものであり、競走能力への影響は少なかった。しかし順調な調整と鍛錬が妨げられ、結果的には競走成績に反映された。

出典:トウカイテイオー(走法と故障の相関) - Wikipedia

まるで同じ執筆者さんが書いたかのような安心感です。問題は解決ですね。別の問題が発生した気もしますが。ただ、「キャリア」と「順調な調整と鍛錬」では結構違う感じも……。

トウカイテイオー(テーマは「無事之名馬」)

初めての長距離が最大の不安材料だったのに、まんまと相手の土俵に引きずり込まれた。限界を知らなかった馬に突然限界が訪れて、直線では魂を失ったように沈んでいった。
相手が3000m級のレースを走るのが6回目だったのに対して、トウカイテイオーはこれが初めてだった。能力比較以前に、経験値の差があまりにも歴然としていた。
競走馬はレースで経験を積むことによって成長していく。「無事之名馬」という成句の背後には、こういう意味も隠されている。

1992年の天皇賞(春)、アニメ『ウマ娘』のシーズン2でも大きなトピックとなった、メジロマックイーンとトウカイテイオーの直接対決の舞台に関する記述です。このレースにおけるメジロマックイーンはまさしく王者の貫禄で優勝し、トウカイテイオーが1.7秒差の5着に終わったことは、数字の面でもわかる事実です。

ただ、これはトウカイテイオーの8戦目。衝撃のラストランまであと4戦しかありません。かつ、合間には1992年ジャパンカップの優勝もあります。「経験値」を押し出しながら、どう彼の強さの源泉を展開するのか、続きに進みましょう。

1番人気に支持された2戦はいずれも惨敗。「常識的に考えて今回は苦しいだろう」と見放された2度のレースで勝ってみせた。
天皇賞(秋)の完敗直後に外国の強豪を相手にしたジャパンカップと、1年間の長期休養明けだった有馬記念。期待に応えて勝ち続けたクラシックの時とは反対に、古馬になったトウカイテイオーは走るたびに見る者を驚かせた。

1992年天皇賞(秋)は着差的にそこまで悪いものではない0.5秒差ですが、1番人気7着という現実は確かに期待を裏切っているので、先へ進めます。

勝ちパターンに入ったら相手は抵抗できない。これはどうにもならない、と思わせるくらいに、余裕たっぷりの脚色で駆けていく。それこそ地の果てまでも伸びていくように。
1993年有馬記念でトウカイテイオーの2着したビワハヤヒデに騎乗していたのが岡部だった。のちに振り返って「テイオーならしかたない」と割り切れたと語っている。外から交わしていく姿を見て、前年の春に背中の上で抱いた感触を思い出していたのかもしれない。

トウカイテイオー(5歳):12戦目
ビワハヤヒデ(3歳):11戦目

年齢差はあれど、戦歴ではほぼ互角なのに、ここまでトウカイテイオーを上げちゃったら、「無事之名馬」理論は何だったんですか!?

そして、トウカイテイオーが前年覇者のメジロパーマーを含むほかのベテラン古馬たちを封殺できたのは、結局は天才だったからなんですか!?

わたし、気になります!

そんなI screamをお届けしました。本文では解決しませんでしたが、トウカイテイオーの各レースがすごいのは確かです。そういえば、「無事之名馬」の推し方が、結果的にビワハヤヒデもグサグサ刺してますね。このナゾは相当な難問です。そういえば、ナゾはスターマン産駒でした。スターマンといえば、脳内のナリタブライアンファンの部分がI screamしたうえ、「そういえばナリタブライアンも執拗な『無事之名馬』で刺されるな」と切ない気持ちになりました。

ともあれ、本文は全体が「無事之名馬」とともに、「トウカイテイオーはプロのホースマンが憧れるすごい馬」というスタンスだったので、初めからスタート位置が違ったのかもしれません。ん、これでもエリートではない……?

ああ、ちゃぶ台が! ちゃぶ台が!

トウカイテイオー(後継種牡馬情報ほか)

奇跡の復活後、'94年に引退したトウカイテイオーは、社台スタリオンステーションにて種牡馬入り。マイルチャンピオンシップを制したトウカイポイント、阪神ジュベナイルフィリーズを制したヤマニンシュクルらを輩出したが、前者はセン馬(去勢された馬)、後者は牝馬であり、有力な後継種牡馬を送り出すことは叶わず。
トウカイテイオーは'13年8月30日に死亡。'20年8月16日にトウカイフェスタが引退したことで、競馬場からトウカイテイオー産駒は姿を消すことになった。しかし'21年に、最後の産駒であり乗馬となっていたキセキノテイオーの復帰計画が持ち上がり、7歳にして能力試験に合格。7月22日門別1レースでデビューを果たした。

「『テイオーの血を絶やすな!』キセキノテイオー」と銘打たれたミニコーナー。最初はトウカイテイオーの後継種牡馬の話題かと思い、クワイトファインが入っていないことに疑義を抱いていたのですが、どうやらキセキノテイオーをメインにしたい紹介コーナーのようなので、この指摘は当たらないと思い直しました。

「あのう、代表例にストロングブラッドが入っていませんが」
「地方ダートは知らぬ」

こちらのほうが気になります。ストロングブラッドを知っていて外したのか、知らずに無視したのか。ストロングブラッドはセン馬(引退後去勢)ではありますが、同じセン馬のトウカイポイントも紹介されています。船橋のかしわ記念は2005年に統一G1競走へと格上げされており、ストロングブラッドはその初代王者です。なお、2007年の日本のパート1国昇格に伴い、以降は格付け表記がJpn1とされています。

もしかすると、netkeibaのトウカイテイオーの産駒成績で検索したのかもしれない……と仮説を立てました。この場合、重賞勝利馬の対象となるのは中央競馬の重賞のみ。G1馬はトウカイポイントとヤマニンシュクルのみで、ストロングブラッドは懐かしきカブトヤマ記念(G3)馬にとどまります。

帝王賞ではタイムパラドックスの2着にもなったのに、と思ったものの。そもそもこの本はタイムパラドックスもいないうえ、ブライアンズタイムにもナリタブライアンまたはマヤノトップガンの項目以外ではほぼ触れていない可能性が高いので、逆に必然でしたね。サンデーサイレンスの説明はさすがにあるでしょう、さすがに。フジキセキもいますから。ジェニュインとタヤスツヨシはいませんが。

トウカイテイオー(優駿図鑑の良いところ)

トウカイテイオーのミニコーナー。ベストレースとして1993年の有馬記念が挙げられています。この項目がとても良い。ここまで紹介してきたなかで、すばらしく整った内容です。3ページの本文を超える端正さで、当時の興奮を感じます。

別表の通り、これはG1レースにおける休み明けの最長記録で、いまだに破られていない。
当時は調教技術や調整環境が現在より整っていなかったことを考えると、いかに偉大な記録かがお分かりいただけるだろう。中山競馬場に木霊した「テイオーコール」は、もはや伝説だ。

当時の熱狂と感動、田原騎手をして涙を流させたトウカイテイオーのポテンシャルを感じます。また、別表は「G1における休み明け勝利ランキング」となっており、ここには2021年安田記念のダノンキングリーが反映されていますし、障害競走である2018年中山大障害のニホンピロバロンも同列に評価されています。

加えて、2011年南部杯のトランセンドは、東京開催だった旨の付記も。東日本大震災の影響がありましたからね……。トウカイテイオー、ニホンピロバロン、トゥザヴィクトリー、ダノンキングリー、サクラスターオー、トランセンド、モーリス、ファビラスラフイン。心躍る名前が並びます。浅学な私としても学びになり、このコーナーはとても好感が持てました。

本稿を良い形で終われることに感謝します。「無事之名馬」もひとつの要素ですが、「終わりよければすべてよし」もひとつの要素として……すべて良くはない!

と、自分のちゃぶ台をひっくり返して終わります。

トウカイテイオー(後継種牡馬クワイトファインの紹介)

いや、ひとつだけ。トウカイテイオーの後継種牡馬として、2021年現在もクワイトファインが登録されています。彼はクラウドファンディング経由で支援を受け、貴重なトウカイテイオー、ひいてはシンボリルドルフ、加えてマイバブー系および始祖たるヘロド系、最大の視野として三大始祖バイアリータークからのサイアーラインをつなぐ役割の一翼を担うことになりました。

ヨーロッパでもDiamond Boy(ダイヤモンドボーイ)という種牡馬が、滅亡しかけたリュティエ系を救い、ひいてはヘロド系の流れを組むなかで人気種牡馬として奮闘しています。

参考記事:ただ一世代に輝く金剛石:ダイヤモンドボーイ/Diamond Boy - 永遠のヘロド

翻って、日本ではトウカイテイオー産駒のクワイトファイン、そして次項で紹介するメジロマックイーン産駒のギンザグリングラスがパーソロンからの「帝王の系譜」を守っています。

クワイトファインは父にトウカイテイオー、父父にシンボリルドルフを持つのみならず、母父ミスターシービー、母父父トウショウボーイ、母母父シンザンという、「往古日本競馬の切なる輝き」といったきらめく血統です。

さらに、5代母にはレディアリスが輝きます。レディアリスはイギリス馬で、三石の本桐牧場に輸入されました。彼女からメジロマジョルカが出ることで、メジロ牧場の基礎牝系のひとつの歴史が始まります。レディアリスの牝系からはメジロ牧場外でも活躍馬が出ており、特に栄進牧場で生まれたエイシンサニー(父ミルジョージ・母エイシンナツコ)は、1990年のオークスを勝つにいたります。

この1990年のオークスは劇的な戦いでした。2着馬は桜花賞馬アグネスフローラ。彼女からは2000年日本ダービー馬アグネスフライト、そして2001年皐月賞馬アグネスタキオンが生まれます。5着にはダイタクヘリオスと名勝負を繰り広げることになるダイイチルビー。6着には同年のエリザベス女王杯馬キョウエイタップ。9着には「鉄の女」イクノディクタスといった面々がいました。

クワイトファインの戦績も見てみましょう。こちらは地方競馬6勝です。内訳は、名古屋1勝、船橋1勝、金沢4勝というバラエティ豊かなもの。クワイトファインの詳細につきましては、以下のページおよび記事をご覧ください。

参考記事:トウカイテイオーの血を令和に繋ぎたい!ファンの支援が後継種牡馬を送り出す - スポニチアネックス

参考サイト:トウカイテイオー後継種牡馬プロジェクト・クワイトファイン種牡馬入りへの道 - CAMPFIRE

何かありましたら、ツイッターまでご連絡ください。

次回はメジロマックイーンから再開します。