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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第6回)

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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第5回)
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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第7回)
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本原稿の引用は、特記していないものはすべて以下の書物を出典としています。

出典:優駿図鑑 - ホビージャパン

エアシャカール(7cmの「誤差」)

7cmの誤差に阻まれた三冠の偉業

見出しが少し怖いですね。何かを貶めそうな怖さがしますが。なぜこのような見出しになったのでしょう。

というのも、「エアシャカールは、精密機械のように計算された末脚を持っている」という文脈に進めるため、1ページのエアシャカールを解説する本文はこのような出だしになったようです。ドキッとしつつ、さて、その「誤差」の中身を確かめにいくとしましょう。

序盤。牝馬クラシック戦線を沸かせたエアデジャヴーの半弟であること、武豊騎手も困惑するほどの激しい気性難だったこと、調教担当がくじ引きで決められていたことが語られます。一冠目となった皐月賞も武豊騎手鞍上で、ダイタクリーヴァを差し切りのエピソード。あれはまさに名手の技でしたね。

3勝目でG1初制覇となったが、その3勝全てがクビ差という精密機械のよう計算しつくされた無駄のない勝利だった。

ただ、次の段落でこちら。内容自体は実際に3勝すべてクビ差なので問題ありません。が、私の脱字ではなく、原文も「精密機械のよう計算しつくされた」という脱字。単純な脱字なので、むしろホッとした感さえあります。

しかし、二冠目のダービーでは精巧な末脚に誤差が生じる。ここでも見事な追い込みを披露して二冠達成を思わせたのだが、エアシャカールをピッタリとマークしていたアグネスフライトの奇襲にあう。
その着差はハナ差。自他ともに認める完璧な騎乗をしながら、わずか7cmの差に涙を飲んだ。

うーん……。このあともそうなんですが、「兄弟子河内との死闘」という部分にはまるで触れられないのが、ちょっと残念。しかし、スペースもありませんし、ほかの本でも触れていることならスルーしてもということでしょうか。誰でも楽しめると銘打っているので、ぜひ入れてほしい内容ではあるのですが。

また、「アグネスフライトの奇襲」というのも、3番人気の彼に与える評価でもないでしょう。上がり1位を使い、外を回ったエアシャカールのそのまた外を差してくる姿。残り100mの劇的な競り合い。それは、2000年という「ミレニアム」の日本ダービーにふさわしいものでした。

とはいえ、マークされる側から見たら奇襲という考え方もできなくはありません。この項目の主役はエアシャカール。たとえ『優駿図鑑』選定のキャッチフレーズが「真っ直ぐに走れなくても二冠馬」というものだとしても、いずれも真実の側面ではあるために強くは言えません。

課題を残したまま迎えた三冠目の菊花賞。悪癖を出さぬよう内ラチを頼って走らせる機転を利かせると、これが見事に嵌り、やはりクビ差でのタイトル獲得となった。

トーホウシデンは名前すら出てきませんが、考えてみたら4戦すべてクビ差だったんだなあと、『優駿図鑑』に教えてもらうことになりました。その点では、しっかり役目を果たしてくれている気がします。エアシャカールの1枚だけある写真は、この菊花賞のものです。

エアシャカール(その死から見えるものは)

二冠馬となったエアシャカールだが、古馬になってからは苦難が続き、種牡馬となった矢先には放牧中の事故で早世という悲運に見舞われた。牧柵を蹴り飛ばした際の骨折が致命傷になったというのだから、稀代の癖馬は最期までクレイジーだったのかもしれない。

これが本文最後なのですが、ちょっと言い過ぎではないかと感じます。「クレイジー」で締めくくられないような事情があった可能性があるためです。事故当時のことに書いているウェブページのアーカイブを引用してみましょう。

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【2021年10月10日19時20分 追記】
より正確なソースとなるWEBアーカイブのご共有をいただきました。ありがとうございました!

つきましては、一部の本記事文章について修正を施しています。
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 00年のクラシック2冠馬で、今年から種牡馬入りしたエアシャカール(牡6)が13日、放牧中のケガで、けい養先である北海道門別町のブリーダーズスタリオンSで死亡した。昨年夏に死亡した名種牡馬サンデーサイレンス(SS)の後継として期待されていた同馬だが、2月下旬から種付けを開始した矢先の事故死で牧場関係者の落胆は大きい。
 エアシャカールがアクシデントに見舞われたのは13日正午すぎ。いつも通り放牧地に放牧されていたが、午後0時30分ごろ、2本の牧柵を突き破って放牧地の外に逃げ出していたところを、同スタリオン関係者に発見された。牧柵に激突した際に負傷したとみられ、左後脚のケイ骨完全骨折という重傷。懸命に治療が施されたが、完治が見込めないと判断され同日夜に安楽死処分が取られた。
 同馬は2月20日すぎから種付けを開始し、12日までに11頭との交配を終了。この日も午後2時から種付けを控えていた。種付け料は受胎確認後120万円、生誕後150万円という条件で、交配申し込みは150頭を超えるほど人気を集めていた。同スタリオン関係者は「牧場入りしてからは気性的にもおとなしかった。急に何かに驚いて放牧地から飛び出したとしか考えられない」と説明。「サンデー産駒の中では大型で、母系からも交配しやすいという評判をいただいていたのですが」と、突然の事故にショックを隠しきれなかった。

出典:エアシャカール左後脚骨折、安楽死処分 - スポーツニッポン

この内容からわかるのは3つ。

● エアシャカールは牧柵を突き破って放牧地の外へ逃げ出していたが、その際に左後脚脛骨完全骨折の重傷を負ったと見られる。
● 交配申し込みは150頭を超えるほどの人気を集め、サンデーサイレンスの後継種牡馬の有力候補だった。
● サンデーサイレンス産駒としては大型で、アイドリームドアドリームの母系からも交配しやすい血統だった。
● 牧場入りしてからは、非常に激しい気性が鳴りを潜めていた。このため、何かに驚いて放牧地から飛び出したと考えられる。

エアシャカールは、馬産地に求められた存在でした。上記内容のほかにも、皐月賞と菊花賞の2冠というポテンシャル、それに残念ながら古馬のあいだは負け続けたとはいえ、着実に賞金を稼ぐ力。それも故障なしに20戦して5億4,505万円を稼ぐにいたりました。

彼の母であるアイドリームドアドリームは父にWell Decorated(ウェルデコレイティド)を持ちます。アメリカのG1競走(当時)であるアーリントン・ワシントン・フューチュリティなどを勝利して種牡馬入り。彼の仔として、日本調教馬としてはゴーゴーナカヤマが輸入され、1994年京成杯3歳S(G2)を勝利しました。この競走は1998年に京王杯2歳Sと名称が改められ、現在にいたります。

なお、アーリントン・ワシントン・フューチュリティはアメリカのアーリントンパーク競馬場で開催されていましたが、同競馬場は2021年9月25日をもって、94年の歴史に幕を下ろしました。1980年当時はG1だったアーリントン・ワシントン・フューチュリティも、最終的にはグレードなしのリステッド競走にまで格下げされています。同競馬場は、阪神競馬場と姉妹提携をしていたために「阪神カップ」が開催されていましたが、これもなくなることになりました。

参考記事:アーリントンミリオン今年で幕 競馬場も - netkeiba

ウェルデコレイティドは父にRaja Baba(ラジャババ)、祖父にBold Ruler(ボールドルーラー)、そして曽祖父にNasrullah(ナスルーラ)を持ちます。ナスルーラはゲームの影響もあって気性難の代表格のように言われますが、それ以上に多くの偉大な種牡馬を生んだ大種牡馬です。

一方、ノーザンダンサーやミスタープロスペクターといった現代の主流とは違う系統になるため、配合しやすいという特徴があります。エアシャカールもその点を大いに買われ、持ち前の頑丈さ、末脚、さらに引退後の良化した気性と種付けの問題のなさから肌馬が集まりました。その矢先に、今回の事故が起きました。

参考記事1:テイエムオペラオーから見るファンのモラルと牧場見学のマナーについて - あらさんの競馬予想
参考記事2:タイキシャトルのたてがみ切った疑いで女逮捕 19年9月、ヴェルサイユファームで - netkeiba

大変残念な話ながら、「事件性」も考慮しなければいけないのが、引退後の競走馬の世界です。参考記事に示したとおり、テイエムオペラオーは引退後も「弱いのに年間全勝をした馬」ということで、心ないファンから石を投げつけられたりたてがみを切られたりしました。

それもあって居場所が最終的に非公開になったのですが、いわゆる「アンチ」の活動は彼の晩年になっても続き、そのストレスが「22歳での心臓麻痺による死亡」の遠因になったのでは……と一部では言われることもありました。

さらに、参考記事2は最近の事件。こちらはタイキシャトルやローズキングダムのたてがみを放牧中に切り取り、メルカリで販売していたという事件です。これは氷山の一角であり、ネットでのやり取りが始まる以前から心ないファンによる蛮行はあったという説もあります。

最近また心ないファンが牧場に無許可で押しかける、伝染病の恐れがあるのに勝手に馬に触るといった案件が出てきていますが、それは単純に大流行したゲームアプリ『ウマ娘』のみの責任になるものではなく、「競馬という魅力的なスポーツに多くのファンがいる結果、ダメな人間も相対的に増え、しかもそれが可視化される手段が昔より遥かに多くなった」と考えるべきでしょう。

エアシャカールの死についても、動物か、天候か、はたまた人か。穏やかな生活を手に入れた彼に訪れた、あまりにも悲しい出来事だったとも考えられます。ちなみに、当時の2ch競馬板のエアシャカール死亡を伝えるスレッドを見ると、無念なことに8割から9割は悪口で構成されています。彼らが言うところの「最弱世代の準三冠馬」は、それでも、多くの情報が共有されるこの時代にようやく評価されようとしているのかもしれません。

 エアシャカールは皐月賞と菊花賞を制し、ダービーもハナ差の2着という準三冠馬です。しかし菊花賞後に出走したジャパンカップでは、ダービー馬のアグネスフライトとそろって13、14着とふがいない成績でした。そのせいか、この世代は「最弱世代」とまでよばれる始末です。
 しかし、シャカールはダービー後果敢にもイギリスの最高峰レース「キングジョージ六世&クイーンエリザベスS」に挑戦し、ここでは7頭立ての5着と敗れはしたものの、まったく休養せずに秋のクラシック戦線に突入し菊花賞を優勝したのだから立派といえるでしょう。ジャパンカップでは相当疲れがたまっていたことだと思われますから、この惨敗も仕方がないでしょう。

出典:エアシャカール - 鉄道競馬場

往古の個人ウェブサイトではありますが、上記のフラットな内容のエアシャカール評をもって、「エアシャカール世代は本当に弱かったのか」を皆様に考えていただければ幸いです。

そして、今日この日、2021年10月10日(日)、京都大賞典(G2)において2016年日本ダービー馬マカヒキが、2016年ニエル賞以来5年ぶりの勝利を挙げました。3歳9月から8歳10月までの長い旅路でした。6歳で亡くなったエアシャカールよりも長生きしている彼は、かつてエアシャカールが2001年宝塚記念でメイショウドトウの5着、2002年天皇賞(秋)でシンボリクリスエスの4着に入ったように、戦う限りはそれ自体が誉れであることを、伝統のG2競走に勝つことで教えてくれたように思います。

参考動画:ダービー馬マカヒキ5年ぶり復活勝利【京都大賞典2021】 - YouTube

エアシャカール(死因についての補記)

補記です。エアシャカールの死因として「暴れて牧柵に激突し、それが安楽死にいたる傷となった」というのは、どこから出てきたのか。

一説によれば、競馬ゲーム『ウイニングポスト』シリーズの競馬列伝が発祥ではないかと言われています。競馬ゲームというジャンルの老舗ともいえる大きな存在のため、その内容が真実として広まったという説です。

さまざまな話が錯綜し、他方で当時の情報ソースが判然としないものが多いためか、エアシャカールのwikipediaの個別記事においては「放牧中の事故により左後脚を骨折し、安楽死の処置が取られた」とだけ書かれています。

参考記事:エアシャカール - wikipedia

何かありましたら、ツイッターまでご連絡ください。

次回はアグネスデジタルを予定しています。1ページなので、ほかの馬も同時に行うかもしれません。