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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第9回)

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【検証】『優駿図鑑』(2021年10月4日発行/ホビージャパン)は本当にひどいのか(第8回)
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本原稿の引用は、特記していないものはすべて以下の書物を出典としています。

出典:優駿図鑑 - ホビージャパン

ハルウララ(優駿図鑑の価値を高める力)

数多の名馬たちが綺羅星のように並んでいる中に混ざって、なぜハルウララ? 違和感を覚える人もいるだろう。
根っからの競馬ファンほど、ハルウララの値打ちを低く考えがちだ。

このように始まる本文。実に意欲的で、かつ挑戦的です。実際、『優駿図鑑』を購入した人も、あるいは炎上まとめ記事などで知った人も、「ハルウララがほかの優駿たちと同等なものか」と思われた方がいらっしゃるでしょう。

しかし、コンテンツ『ウマ娘』に便乗したこの本だからこそ、ハルウララを載せられたという強みがあります。テイエムオペラオー世代の1番手に持ってきたのはさすがにやりすぎだったと思いますが、それでも、こうした本に113戦0勝の馬が掲載される。とても画期的な話ではないでしょうか。

ハルウララの項目があることをもって、『優駿図鑑』はひとつの価値を生み出しました。ほかの項目での瑕疵が小さければ、これはホビージャパン社の野心的な精神を称揚する存在になりえたかもしれません。

でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。

競馬とは、1頭の勝者と多数の敗者を生み出しながら続く過酷なスポーツだが、たまに敗者にスポットライトが当たることがあってもいい。
ただ、負け続けることが持て囃されるような状況はいかがなものか?
いいか悪いかは、現代の社会では大衆が決める。ハルウララは2003年夏から翌年にかけて、競馬という狭い世界から飛び出して、日本社会に一大ブームを巻き起こした。その言葉の正しい意味において、オグリキャップ以降に現れた最大のアイドルホースだった。

本文の挑戦的な並びは続きます。それでも、私個人としては、この姿勢を是としたいものです。ハルウララの1戦1戦は夕方のワイドショーで取り上げられ、「廃止」の2文字が見えていた高知競馬はギリギリでその命脈を保つことになりました。

「当たることがないハルウララの単勝馬券」

これは何物にも代えがたい交通安全や食物安全のグッズとして、同時に彼女の走りを応援する思い出の馬券として、今なお高い価値を有し続けています。

アイドルホースという呼び方には、アイドルそのものが持つ「呪縛」じみた色合いもあるかもしれません。それでも、「大勢のファンから愛された」という意味に強くフォーカスを当て、そのうえでハルウララはオグリキャップ級の支持を勝ち得たと考えています。

ハイセイコーも、オグリキャップも、ハルウララも、あるいは「和風の名前」がひとつの原動力にあるかもしれません。それはどこか不器用で、古風で、それでもどこか愛らしさを感じさせる響きです。

ハルウララ(彼女はいかにしてアイドルとなったか)

ブームの発端は地方紙の記事だった。6月13日、高知新聞夕刊社会面。「1回ぐらい、勝とうな」ハルウララ、現在88連敗。
馬と厩務員、調教師の結びつきを描写した素晴らしい記事で、県内レベルではあったが反響を呼んだ。

私はこうしてほかの記事をほめる、あなたの本文が素敵だと思いました。この『優駿図鑑』のメインライターになっていれば、きっと違う未来があったでしょう……。

高知新聞で記事を書いたのは、同社所属の記者である石井研氏。石井記者はのちに高知新聞社の報道部長にまで出世されました。地場の話題をしっかりとキャッチアップし、広く知らしめる報道を行う。地域マスコミの理想的な姿といえるのかもしれません。

これに県競馬組合の職員が目をつけた。この記事を元にハルウララに関する資料をまとめて、マスコミ各社にリリースを出したのである。
2000年代前半、廃止される地方競馬場が続出した。2001年の中津を皮切りに、三条、益田、足利。年内での上山の廃止も取り沙汰されていた。

2001年に閉場した中津競馬場は、「悲劇的な最期を迎えた地方競馬場」であり、「地方競馬閉鎖の流れをつくった競馬場」になってしまいました。当時の市長によって突然発表された廃止は、事前の協議などもまるでないものでした。結果、多くの競馬関係者が職を失い、行き先を失った競走馬が食肉加工される悲惨な結末にたどり着きました。

動物愛護の流れで競馬が議論されるとき、「役割を失った競走馬や関係者の未来」について話しあわれる機会は少ないものです。ですが、中津の事例からもわかるとおり、そこで生きている多くの命のソフトランディングを考えておかなければ、あまりにも悲劇的な未来が待っています。

そして、こうした苛烈な時代を生き抜いた地方競馬は、2021年現在、インターネット高速回線の普及と公営競技のほのかなブームによって、売上を回復させています。「黒字のうちは吸い上げて、赤字になったら切り捨てるのか」という切なる声が、現在の結果とともに響く形です。その苦しい時代を生きる大きな力になったのが、ハルウララの人気爆発でした。続きを見ていきましょう。

明日は我が身。高知県競馬も存廃の瀬戸際に立たされていた。打てる手は全部打つ。クラウドファンディングなどない時代で、地方から全国へのアプローチ手段は限られていた。
このリリースにマスコミが飛びついた。全国紙が採り上げて、その全国紙をテレビのワイドショーが紹介した。SNSのない時代だが、今の言い方ならば間違いなく「バズった」。親しみを抱きやすい名前も手伝って、その存在は急速に全国に知れ渡っていった。

ブームはそうそう人為的に作れるものではありません。ゆえにこそ、打てる手を使える予算で実行していかなくてはならないのです。高知競馬はハルウララブームが去ったあとも、さまざまな売り出し方をしました。その努力が実り、2021年現在の隆盛につながっています。

ハルウララ(ハルウララが求められた時代)

ハルウララにまつわる話題が、夕刊紙や週刊誌まで拡散していくに及んで、ある時期からはこんな肩書きを背負わされることになる。
「負け組の星」。
当時は小泉純一郎政権の真っ最中。「痛みを伴う」改革が推し進められ、変化は社会に広く影響を及ぼした。鬱憤を抱いた人たちの間で「勝ち組」「負け組」という言葉が流行した。頑張って働いても報われるとは限らない。不条理な世の中で、負けても負けても走り続けるハルウララと自分を重ねるのは自然なことだった。
アイドルは、ファンの勝手な思いや願いを受け止めて吸い込んで成長していく。それは人間であっても馬であっても同じことだ。

新自由主義がついに日本を席巻し始めた世相に重ね、ハルウララが求められた背景を説明しています。この後、アイドルというものの意味合いに触れ、アイドルのコモディティ化の進行とともに、アイドルが特別なものではなくなった過程を解説。「特別な才能がないままにアイドルホースになったハルウララ」という流れにつなげています。

彼女には特別な才能がなかったのかといえば、そこは私は「頑丈で、調教も拒否せず、高齢になっても走り続けた」という部分で否を唱えたくはあります。

しかし、『優駿図鑑』が取り扱う名馬たちのように、JRAや地方の大レースを優勝したわけではないどころか、ただの1勝もできませんでした。競走能力という面では、その他大勢のうちの1頭だったのです。事実を冷静に著述した内容として、肯定すべきでしょう。

ハルウララ(すべての競馬ファンが嫌悪した邪悪「自称馬主A」)

秋には馬主を称する人物Aによって那須の育成牧場に移送されて、そのまま競馬場に戻ってくることはなかった。自然消滅の形でブームはいつの間にか終わった。
その後も、地方競馬の廃止ドミノは止まらず、競馬場の数は最盛期の半分にまで減った。

自称馬主Aことエッセイストの安西美穂子氏に関しては、検索すれば記事がいくらでも出てきます。あらゆる方面から嫌われた存在であり、決して許してはならない「銭ゲバ」としての評価が多数を占めています。

『ウマ娘』が危惧されたのは「安西的美少女コンテンツ」としての活動であり、それは良い意味で裏切られました。反面、『優駿図鑑』は「安西的コンテンツ」として、2021年10月19日現在もなおその総合評価を覆せていないといえるでしょう。

安西美穂子氏がハルウララやほかの馬の「未来を奪い」、そのうえで放り出した件については、『優駿図鑑』の比ではないほど心がやさぐれるので、調べる際にはご注意ください。そこにグロテスクなものがいるとわかっているのに、無理に覗き込むことはありません。

ハルウララ(彼女の項目を担当したライターさんと編集さんに感謝)

しかし、高知競馬は「一発逆転ファイナルレース」など独自の企画を次々に打ち出して奮戦。粘っているうちにインターネットによる馬券の全国発売が普及していって、気付けば存続の危機から脱していた。
なにより大切なのは、生き続けることだ。生きてさえいればそれで充分。いい日が来ることもある。
ハルウララはその後Aの手を離れ、千葉県の養老牧場で健在だ。

ハッピーエンドです。高知競馬の施策は、間違いなくインターネットの無料中継、および販売ルートの大幅な拡大に合致していました。そして、ハルウララもまた「競馬バブル期の亡霊」から逃れ、ゆったりと余生を過ごしています。

私はこの項目を見るまで、彼女についてさんざんに書かれているものかと身構えていました。しかし、この『優駿図鑑』が本来めざしたのかもしれない、真にファンに愛された馬たちの歴史に触れられるという意味で、良いものを読ませていただいたと思います。

ハルウララの項目には、2ページに1枚ずつの写真があります。1枚目はキティちゃんのメンコをしているハルウララ。彼女が愛された存在であることが一目でわかります。もう1枚は2004年のYSダービージョッキー特別のもので、遠征してきていた武豊騎手が騎乗し、夕方のワイドショーでも中継された伝説的なレースでの1枚。106戦目で1番人気、11頭立てで10着でしたが、「あたたかな声援が飛んだレース」として、今後も語り継がれていくことでしょう。

ハルウララ(血統と小ネタ)

ハルウララは父ニッポーテイオー、母ヒロインという血統です。母の名前からして、まさしくヒロインになる宿命を背負った少女だったのかもしれません。

ニッポーテイオーはJRA所属の名馬であり、昭和末期を飾る優駿として知られています。特に、1.2倍の単勝を背負いながらも快勝した1987年のマイルチャンピオンシップ(1着)、およびラストランにしてタマモクロスとの一大決戦となった1988年の宝塚記念(2着)は語り草でしょう。ウマ娘のスピンオフ漫画であるシンデレラグレイでも、肩を落とした姿で出演している……はずです。激ヤバ状態のタマモクロスのほうが目立っていますが。

牝系は日本が誇る主流牝系。そう、8代母は小岩井農場が1908年に基礎牝馬として輸入したビューチフルドリーマーです。ハルウララは日本競馬の歴史の結節点たる血統とも表現できるかもしれません。

ビューチフルドリーマーの牝系からは、近年にもホエールキャプチャなどの名馬が生まれており、以前ほどの勢力ではないにしても、さらなる活躍が期待される系統となっています。

なお、ハルウララが期せずしてラストランとなった競走名は「ハルウララ・チャレンジカップ」であり、この競走の勝ち馬はオノゾミドオリでした。ホッカイドウ競馬の旭川競馬場でデビューした彼は、兵庫県競馬を経て高知へと移籍してくるのですが、同競走はまだ兵庫時代でのもの。すでにJRA所属になっていた小牧太騎手を鞍上に、はるばる高知に遠征してきて勝利した形です。

彼の血統は父ホークスター、母ヒロイン。そう、ハルウララのラストランは、ハルウララの半弟が勝利するという、何らかの縁を感じる結果でした。

ちなみに、オノゾミドオリは91戦9勝という成績で引退しています。のちに安楽死を決断するほどの怪我を負いながらも、奇跡的に回復しました。安楽死のための馬運車まで手配されていたにもかかわらず、オノゾミドオリの記事が掲載され、ファンが駆けつけてから怪我が快癒。自分の脚でしっかり走れるまでになりました。

参考記事:安楽死寸前、オノゾミドオリ救われた ウララの弟 - 朝日新聞

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次回はナイスネイチャを予定しています。今なお多くのファンがいる彼は、どんな書かれ方をしているでしょうか……。