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人間関係に恵まれている人が憎いし、妬ましい

どうも、「普通になれなかった人間」シンリです。

ちょっと今回は自戒やら反省やらも兼ねて書きたいのですが、
どうやら私は「人間関係に恵まれている人」が憎いみたいです。

noteを色々と見ていると、ポジティブなものだけではなく
負の感情の渦巻く記事も多く目にすることになります。

しかし私は、そんな記事を目にした時、たまに思ってしまうのです。
人間関係には恵まれているくせに、と。

記事に書かれている、親友、彼氏、彼女、同居人、パートナー、夫、妻。
そういった人が存在する事自体が恵まれているのに、何がつらいというのか。と。

当然、人間関係とは楽なものではないし、
仲が深まれば深まるほど、しんどい点も出てくるのだとは思う。

それに、そういう相手だからこそ言えないこともあるのかもしれないし、
人の悩みの尺度は人それぞれ違うし、
そもそも、そういう人の悩みの根源は人間関係とは別の所にあるのかもしれない。

そんな事は分かっている。
分かってはいるけど……

そういう、寄り添って支えてくれる親密な相手がいるのに、
あたかも孤独であるかのように、これ以上なく不幸であるかのように振る舞う人を、
私は受け入れられないのかもしれない。

それこそ不幸自慢のようで申し訳ないのだけれど、私は一人だ。
恋人もいなければ伴侶もいない。
親友どころか友人そのものがほとんどいない。

ずっとそうだった。
親にすら、失敗作だと思われてきた。

きっと人間関係こそが、私の最たるコンプレックスなのだと思う。
だからこういう思考になるのだとも。

そもそも、自分自身が人間関係を構築・維持するのが苦手なのが悪いのは分かっている。
自分ではない誰かの目線では、私も恵まれているように見えるであろう事も。

……全人類が孤独に、不幸になれ、とは言わないし、そうは思いたくない。

だけど、今、これを読んでいる人で、そういう親密な相手がいる人は、どうか、
親友、恋人、パートナー、伴侶……そのような存在がある事に、存在そのものに、感謝してほしい。

それは、当然のものじゃない。
誰かがあなたという存在を受け入れて、隣に居てくれるのは、当たり前じゃない。

そうした存在がいるという事、そのものが恵まれているのだという事を、知って欲しい。

私もいつか見つかるだろうか。本当に心を許せる誰かが。

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