自分を「普通」だと信じていた人間が、真実を突きつけられた話。
どうも、「普通になれなかった人間」シンリです。
今回は私の「大人の発達障害」が発覚した流れについて書いていきます。
ついでに、抑うつ状態になっていった過程も。
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【就活~休職、転職まで】
ぶっちゃけ ここはあらすじなので飛ばしていただいてもいいのですが、一応書きます。
大学4年の就活では、これでもかと言うほど面接で落ちまくり、心身ともにボロボロになりながらも、
卒業が見えてきた時期になって、ようやく内定が出た
……と思いきや、新卒で入ったその会社で全く上手くいかず、1年と持たずにメンタルが潰れ、
心療内科に通院し、診断書が出て、逃げるように休職。
精神病にあまり理解のない両親との関係も悪化。
一日のほとんどを寝て過ごし、食事も最低限しかしませんでした。
そんな感じでしばらく過ごし、何もしてないのは流石にヤバいなと判断。
ある程度は落ち着いてきていたこともあって、休職中にひっそりと転職活動をし、全く毛色の違う企業に入社することになりました。
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【転職~心療内科受診まで】
転職先の会社は前職ほどは厳しくありませんでした。
しんどくて休んでしまっても、そこまでとやかくは言われなかったこともあり、丸2年以上は続きました。
しかし、どういうわけか目をつけられてしまいがちな私は、何かとお叱りを受けがちでした。
例えば、八つ当たりにも似た叱責とか。たまたま機嫌の悪かった先輩に叱られたり。
重箱の隅をつつく様なお説教とか。そんなんどうでもよくない?ってくらい、業務に関係ない些細な事柄で怒られたり。
同じことをしている人がいても、その人は叱られなくて、何故か自分だけが叱られる、といった理不尽なお叱りも多かったですね……。
まあ、単に自分のミスによる注意も少なくはなかったのですが。
何事もなく働いているようでいながら、自分でも気付かないうちにだんだんしんどくなってきて、
転職を考えたりもしましたが、行動を起こす気力がないし、
そもそも自分の適職もわからなかったので、(医者ではなく臨床心理士の)カウンセリングに行ってみたりしました。
最初のうちはカウンセラーさんの助言だけで頑張れていたのですが、カウンセリングを通して自分の心がすり減ってきていることをようやく自覚して、
それから約1ヶ月後、心療内科(諸事情により前回とは別のところ)を受診しました。
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【発達障害の検査】
身体のコリや張り、手足の重みや痺れ。
整体に通い続けているのにそんな身体症状が続いていて、それでいて健康診断ではなんともなかったこともあり、
もしや自律神経失調症ではないか、と思ったのと、常にストレスがあり気分が落ち込む、というのが、今回お世話になっている心療内科にかかったきっかけでした。
「職場の人と上手くいかなくて」「作業が遅いとかってよく怒られてて」という話などもしたところで、先生から言われたのが
「能力にばらつきがあるかもしれませんね」
「発達障害の検査、受けてみます?」
発達障害。
それは今まで、自分の中で疑いつつも「いやそんなまさか」と直視するのを避けていたものでした。
そして、以前お世話になった別の心療内科の先生からは
「発達障害っぽい感じはしないですけどね」
「検査してどうするんですか?」
と、どちらかと言えば否定的な意見が出されていたものでした。
発達障害であることが分かっても、何がどうなるわけでもない。
前はそれで納得した。
でも今は……もし自分が本当に発達障害なら。
その特性は知っておいたほうがいいかな、と思った。
まず最初に、ADHDとASDの簡易検査(当てはまる項目に丸をつけるもの)をしました。
複写式二つ折りのテスト用紙に丸をつけながら、
「あぁ、多分(ADHDやASDに)該当するんだろうなこれ」とか考えてました。
そして、別日にWAIS-Ⅲ(ウェクスラー成人知能検査)という成人知能検査を受けました。
WAIS-IIIについて説明し出すと長くなってしまうので、こちらのWikipediaの記事や日本文化科学社のサイトでも流し読みしていただくとして。
愕然とした。
短期記憶や平行処理に関係する問題が、さっぱり解けなかったのです。
意味の無い数字(日本語の単音が混ざることもある)の羅列を復唱する問題。
読み上げられる問題文を暗算して答える問題。
制限時間内に書き写した記号を、いくつ記憶しているかを答える問題。
それらが全然頭に入ってこなかったのです。
まるで脳ミソが拒否しているかのように。
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【検査結果】
結果から言えば、明確に能力のばらつきがありました。
それはすなわち、発達障害があると言える、ということ。
(ADHDやASDについてはあまり深くは触れられませんでしたが、おそらくはその傾向がありそうとのこと。)
言語理解の分野は決して低くなく、むしろ平均を超える部分もありましたが、
処理速度や作動記憶の分野となると、あからさまに点数が下がっていました。
複数の物事を同時にこなすことや、時間制限があるもの、一時的な短期記憶が、一般的な人間より苦手だと思われる、と、医師から告げられました。
はっきり言えば、分かりきっていたことでした。
そういうことが苦手なのは、自分の中でとっくに分かっていました。
ただ、私はそれを単なる個性だと思っていて、
医師から明確に「発達障害と言える」と告げられたことで、
「私は、普通の人間にはなれないんだな」
と、ようやく悟ったんです。
人によっては、発達障害と明確に診断されることで、「発達障害だから、苦手なことがあっても仕方ないんだ」と割り切って考え、自罰的な思考をやめることができる場合もあると思います。
ただ、私はずっと「普通の人間であらねばならない」と思っていて、
そうなれないと悟ったことで、真っ先に感じたのは諦念の気持ちでした。
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【そして、休職】
発達障害が発覚した後も、私はその職場で働き続けました。
でも、とうとう耐えきれなくなって、起き上がるのもしんどくて、やっとのことで行った心療内科で言われたのが
「休職しますか」
「人間関係がしんどくて休職する人、結構いますよ」
じわじわとストレスに侵食されて思考が鈍ってきていた私は、言われるがままに診断書を受け取りました。
(ちなみに診断としては「うつ状態」としか言われず、「うつ病」か「適応障害」かは分からないままでした)
その後、両親に発達障害のことをカミングアウトしました。
カフェで一人、ボロボロ泣きながら「普通の人間になれなくてごめん」とLINEを飛ばして、ほろ苦いカフェオレを飲み干して。
それから、日が暮れて誰もいない公園で夜風に当たりながら、
「何のために生きてるんだろう」
「何のために働いてきたんだろう」
って思ったら涙が出てきて、ベンチに座り込んだまま、またボロボロと泣いてしまった。
私は「普通の人間」になれなかった。
なれるはずもなかった。
だけど、「普通じゃない」なら「普通じゃない」なりに生き方を考えていかないといけない。
「普通じゃない」なりに、頑張ります。
サポートして頂けますと、私が甘いものを食べるなどしてニコニコする時間が増えます。