📖#2 天皇に身も心もお仕えした乙女の打ち明け話『讃岐典侍日記』
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今から900年くらい前の平安時代末期、当時の天皇に身も心もお仕えした藤原長子ちゃんが語る打ち明け話とは!?
日記は6月(旧暦5月)の梅雨どき、お仕事を引退して、実家に戻っている長子ちゃんが、亡き堀河帝にお仕えしていた頃を思い出すところから始まります。
帝との思い出を書き留めておこうと筆を持ちますが、次から次へと涙があふれて、悲しい気持ちは増すばかり。
初っ端から、帝はすでにいません。
この日記は長子ちゃんの回顧録(思い出日記)なのです。
「国で一番尊い方が病気なのに、なんで誰も心配してくれないの?」というと、堀河帝の持病は何年も続いていて、重症→回復→重症を繰り返していたからです。
当時の人の日記『中右記』(作者:藤原宗忠)によると、堀河帝は14歳から毎年何回も体調不良でした。
27歳からは、こんな感じ。
27歳:1月・3月・4月・7月・8月・9月・10月
28歳:1月・2月・3月・5月・6月・7月・9月・10月
29歳:3月・5月
そうして、長子ちゃんが思い出した6月20日につながります。
ほぼ毎月体調不良じゃないですか!
体調不良じゃない月の方が少ない!
いやいやいや! 帝!
これは「はいはい。いつものやつね」と思われても仕方がないですって!
長子ちゃんは優しいから心配してくれてますけどね!
ちなみに、この『中右記』は当時の政治のことが細かく書いてある貴族日記です。
この日記に、長子ちゃんのお名前が本名でちゃんと書かれていたので、後世に『讃岐典侍日記』の作者が「藤原長子」だって分かりました。
藤原宗忠さん、グッジョブ!
今回ばかりは、さすがに、みんな心配してくれました。よかった、よかった。
帝が病気で苦しんでいるのに、お傍でお仕えしてるのは、長子ちゃん含めて、たったの3人!!
おいおいおい! 帝は国のトップですよ!? ありえないでしょ!!
他の上級女房(宮中にお仕えしているエリート女性)たちは、2~3年休職中。
産休と喪中は仕方ないとして、実家にこもってるやつ、出てこーい!
天皇に仕えるなんて、とんでもなく雅でセレブなお仕事なのに何が嫌なの?
お給料いいんじゃないの!?
この国のトップが今度こそ重症なんだから出勤しなさいよ。
帝のお父さんである白河院が、心配して来てくれました。
道を挟んだお隣のお屋敷に。
え? なんでお隣の屋敷に?
その理由は日記に書かれていないのですが、「天皇は清らかであることが大事なので、ケガレ(死など)を避けなければいけない」という考えがあったので、白河院はお隣のお屋敷だったのかも?
ちなみに、この時代、天皇はたとえ妻や子であっても、死に際もお葬式も参加出来ませんでした。
白河院はこんなに心配してくれているというのに、堀河帝の側近ときたら……。
続きます。
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