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オランダ移住(5ヶ月目)|転職活動奮闘記(開発/国際協力業界)

オランダへ来て5ヶ月が経過。

ある程度こちらの生活にも慣れ、大好きなピラティスで身体づくりをしたり、オランダ語コースで知り合った知人とアムステルダム街歩きをしたりと、この上なく楽しい生活を送っていたこの半年間。

ただ人間、陽があれば陰もあるわけで。私の中で一つだけずっと燻ぶっていたことがあった。


それは、自分自身のキャリアのこと。


実は、これまでのブログで一切仕事のことについて触れてこなかったのだが、先日、やっと念願の「合格」をいただき、この度晴れてオランダで初めての仕事が決まった。

正直、職探しの渦中には、色んな感情が織り交じっていて、素直な感情をブログに書けるほど強い心を持ち合わせていなかった。そのため、今このタイミングで筆、もとい指を走らせている。


ここからは

  • オランダでの職探しにおいて何が葛藤の原因だったのか

  • オランダの転職方法とは?

  • 転職活動を振り返って今の気持ち

について一つずつ掘り下げて話を進めたい。


自分の想いと現実、からの葛藤。

序盤から高校野球ばりに暑苦しくて申し訳ないのだが、しばし生温かい目で見守っていただけると嬉しい。

私は、小学校から高校くらいまでこれといって夢の無い子どもだった。子どもながら、周りの子はみんな夢があるのに、私はどうしたもんかなぁと思っていたおませちゃんだった。

今思えば、マイルド田舎育ちの私の周りには、限られた職業の大人しかいなくて、自分が将来何になりたいのか想像する材料が少なすぎたのかもしれない。当時の私にとって現実味のある職業と言えば、銀行員、教員、公務員、くらいで、私にはどれもピンと来なかった。

大学生の時に、外に足を伸ばしてやっと見つけた目標が「国際開発業界で働くこと」だった。

そんな夢に一歩近づきたくて大学院に進学した後、私はコンサル企業を経て国際開発業界に足を踏み入れた。オランダへ渡航したのは、開発業界の片隅で働き始めてから2年半が経ったところだった。

2年半という期間はあっという間で、「やり切った」と言えるどころか、スタート地点に立ったに過ぎない程度の経験値だったので、オランダでは開発業界であることが、仕事探しの第一条件だった。

上述の想いに拍車をかけたのが、日本を出る直前にいただいた東京での仕事のオファーだった。自身の興味、キャリアの方向性、専門性の高め方的にもドンピシャの案件だったのだが、オランダからのテレワークは厳しいということで泣く泣くチャンスを手放すこととした。

今振り返ってみると、心のどこかで「あの時の機会を犠牲にしてオランダに来たのだから、それを上回る機会を見つけないと。」という想いもあったんだと思う。

そんな主観たっぷりの私の想いとは裏腹に、オランダ市民でもEU市民でもない私は、「オランダ/EU市民を差し置いて、外国人である彼女 (私) を採用するに値する客観的な理由」を採用者に感じてもらわなければいけないというハードルにぶつかった。異国で就職するのであれば当然の視点と言えるだろう。

欧州の開発業界という「日本での職歴」とか「日本語ネイティブ」とかいうカードがほとんど効力を持さない状態で、どう自分を売り込んでいけばよいのかと、迷宮入りしそうになることもあった。

オランダ転職文化の壁

ゆる~く転職活動をしていた4~7月を含めると、私は実際に職を見つけるのに合計6ヶ月かかっている。

応募毎にレジュメやカバーレターを作り直して、募集要件も満たしているのになぜか書類審査すら通らない日が続いていた。しかも、書類審査の合否連絡が来ないことも多く、忘れたころに日本でいう「お祈りメール」が来ることもしばしばあった。

どうやら頑張り方のベクトルが間違っているんだろうな、とは薄々気付いていたものの、どう修正すれば良いのかが分からない。

そんなことをオランダ語コースで出会った韓国人のオンニにぼやいていたら、彼女が在籍していた大学院のキャリアセンターから得た知識を伝授してくれることに・・・!


彼女の話を聞いて気付いたことは、

あぁ、私、自己満足の頑張り方をしてたんだ、ということ。


オランダ渡航前後から、ネットやYoutubeで英語レジュメやカバーレターの作成方法、面接の予習などをしていたのだが、あくまでもここはオランダであることをすっかり忘れていた。

いくら英語だけで職は探せても、オランダにはオランダの転職の流れやお作法があるのだ。「英語での転職活動」と、十把一絡げにしていた反省である。

例を出すならば、オランダでは書類応募の直後に、人事に連絡してコーヒーに誘ったりして、カジュアルに自分をアピールする場をこちらから作るなんてこともアリらしい。また、ウェブシステム上での書類提出の後に、後追いで人事宛にフォローアップメールを送るのも効果的(というか最低限しておきたいレベル)なんだとか。

そうか。私が応募書類を送り終えて、あ~、やれやれとソファーでふんぞり返っている間に、他の人はこうやって猛烈アピールしていたのか。。。

そうだとすると、今まで書類審査すら通らなかったのがある意味腹落ちした。

その他びっくりしたのは、面接の定番質問「あなたのことについて教えてください」は、これまでの職歴や経歴の話ではなく、言葉どおり「あなたの人柄や趣味について教えてください」という意図だそう。オランダの職場がいかに、「社員として」以前に「人間として」の個人に焦点を置いているかが象徴されている。

またこの点は、会社や組織によって違うかもしれないが、書類の応募締切日までに応募すれば、きちんと書類に目を通してもらえているかと言えばそうではない。応募締切日前であっても、優良な応募者がいれば面接がセッティングされ、応募締切日を待たずして採用決定されているパターンにいくつも遭遇してきた。(自分の採用が決まった時もそのパターンだった。)となると、採用情報を見つける早さ、書類準備の速さが合否にものを言うことになる。

採用側からしたら、応募者全員分の情報がテーブルに揃ってから面接に進む人を決めた方が、優良人材の取りこぼしが無くていいのでは?と思ってしまったが、これも多少リスクを取ってでもスピード感を重視する欧米型の仕事のやり方なんだろうか?と、心の中で余計なお世話を焼く転職者(私)であった。


ということで、これまでの自分のやり方が色々ズレていたことだけは理解できたので、気を取り直してアプローチ再開。

ここまでのラウンドで結構精神的にボコボコにやられていたおかげで、後半戦は吹っ切れたように行動に移せたのかもしれない。

日本の元上司や先輩などに連絡して同業者を紹介してもらったり、気になる企業の職員さんを誘ってお茶をしたり、リクルーターと面談したりと、とにかく仕事に繋がりそうな人と会う機会を増やすことに専念した。

そんなこんなで戦略を改めてから1ヶ月ほど経ったころだった。

予てから興味があった(この時点で3度目の応募だった)教育系開発を専門とする組織から、面接の機会を得て、その場で合格をいただいた。

こうして長かった転職活動の最後は、書類提出から合否判定まで1週間足らずと、あっけなく幕を閉じたのである。

転職活動を振り返って

30歳という年齢で、まっさらな土壌で一からネットワークを作り、自分のポジションを確立していくというのは、自分をタフにしてくれた貴重な経験だったと思う。もう一回経験したいかと言われれば、絶対にしたくない (笑)

最後まで妥協せずに来れたのは「結局、自分の夢は自分でしか掴めない」というファンモンが歌いそうな執念にも似た思いと、「ここで妥協したら自分を嫌いになるだろうな」という負のエネルギー転換があったからかもしれない。

そんなわけで、10月から7ヶ月ぶりに社会復帰することになった。さて、私は無事社会復帰できるのか!?

つづく。

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