0歳の存在が広げる4歳の世界
「にんげんはだれがつくったの?」
「にんげんはどうしてせいちょうするの?」
4歳の娘が最近こんな疑問を投げかけてくるようになりました。
うーん、4歳向けにどう回答しようか。
そもそも自分の中に答えがないぞ。
と考えあぐねている間に、
「きっとケーサツがつくったんだよ!だからわるいことしたらタイホされるんだよー!タイホタイホー!」
と走り去っていくあたり、大人がしりごみするような哲学的な問いなわけではなく、ただただ純粋な疑問なんだと思います。
ママのお腹が大きくなって、赤ちゃんがもうすぐ生まれるよと聞いていても、実際には、ある日突然人間の赤ちゃんが出てきて、ついこの間までパパとママと私だけだった家族に、1人の人間が加わるというのはすごくすごく不思議な感覚なんだろうなと。
しかも、その赤ちゃんがみるみるうちに大きくなって。
初めて会った時は、くにゃくにゃすぎて1人では抱っこできなかったのが、今や首もすわりはじめ、大きめのぽぽちゃんよろしく抱えて歩いても、にこーっと笑ってる。
生き物の「成長する」を初めて目にして不思議で仕方がないんだろうなと。
そこまで考えているかはわからないけど、
「にんげんはだれがつくったの?」
「にんげんはどうしてせいちょうするの?」
という問いは、赤ちゃんがやってきて成長するという過程を初めて目にして、自分の存在を客観的に認知したからこそ出てきた疑問なのかなぁなんて思います。
だからこの問いは実は
「わたしはだれがつくったの?」
「わたしはどうしてせいちょうするの?」
なんじゃないかなぁなんて。
親や友達という自分以外の人間と接して生きてきてはいるけれど、実は娘にとって親や友達は自分と同じ存在ではなかったんじゃないかなって。
お母さんはお母さんという生き物で、先生も先生という生き物って子供の時思っていたのと似た感覚かな。
多分、娘の中で私や夫は、ある意味自分と違う生き物というか、自分の成長過程とつながらない存在で。
でも、生まれてきて新しく家族に加わり、日々驚異的なスピードで成長する弟は、「あ、この子が大きくなって私みたいになるんだ!」と自分の成長過程につながって見える、初めて自分と同じと認知した存在だったんじゃないかなって。
生まれて2ヶ月。
まだ自分の手足さえ上手に動かせない、なんにもできない存在のようでいて、息子の存在は確実に4歳の娘の世界を広げ、新しい気づきをくれています。
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