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抜け落ちてた記憶が気持ち悪かった話

いつだったか、地元の友達から飲み会に誘われた時の話。
それは、小学校卒業以来一度も会っていなかった友達 A が参加していた、少人数での飲みの席だった。

当然思い出話がメインとなる訳だが、さすがに各々記憶の持ち寄りになる。
皆で持ち寄った記憶をつなぎ合わせると、忘れていたエピソードが呼び起されたり、どうにもこうにも思い出せなかったり。


抜け落ちた記憶

・Aが突然こう言った
『そう言えば、marimoちゃんY先生にずっとに付きまとわれてて、ほんと可哀そうだったねー』

・続けて
『でもね・・・内心は、自分じゃなくて良かった・・とも思ってたのよ』

一瞬なんの話だかさっぱり分からなかった。
でも何故、記憶が抜け落ちていたのか、逆に謎だと思う程に、あの頃私は本当にY先生が気持ち悪くて、毎日がストレスだったのだ。

すっかり忘れていたという事実が、私にとって一番の衝撃だった。



あれは小学4年生の頃だったと思う。

私の小学校では3年4年のクラスと担任は、そのまま2年間持ち越す方式。
その2年間担任をしていたのがYだった。

3年生から4年生になる時期といえば、身体に成長の兆しが出始める頃。
だからこそ目につきやすいのかもしれない。



その”兆し”を敏感に嗅ぎとり、じっとりとした目線を送る教師がYだった

授業中に、恥ずかしげもなく
『おっぱい大きくなってきたね』と、ニヤニヤしながら言ってくるY。
気持ち悪さもさることながら、周りに聞こえてるんじゃないかと思うと、私は顔を上げることができなかった。



年に一度の健康測定はまさに地獄

体重を量る時、Yは体重計に乗る児童の真向いにいて、上半身裸の私達が胸を手で隠すのを絶対に許さなかった。
そもそも裸にさせられること自体が腹ただしい。
けれど昔はそれが当たり前だった。


『手を下ろしなさい』
嫌だと言っても、絶対に許さない。
『手を下ろしなさい』
ごねても結局は、力づくでも下げさせられる。

近くには女性の教師も居るが、意に介すそぶりはない。
手を下ろさないと、正確な体重が量れないとでも言うのだろうか。

Yは女児が好きだったんだろうと、今なら察しがつくが、当時はそんな知識があるはずもなく、世間の認識も今よりずっと薄かったと思う。



廊下でYと遭遇する時、ストレス値は振りきり状態

廊下でYに見つかると、私は決まって羽交い絞めにされるのだ。
それが嫌で、Yがいると後ろず去りで逃げようとする私。
その様は恐らくYにとって、心躍る瞬間だったことだろう。
大の大人が、小学生女児を本気で捕まえにかかるのだから、こちらにとっては恐怖でしかない。

Yは私を捕まえると、巧妙に笑顔で遊びを装い、羽交い絞めにする。
遊びと認識した周りの児童達も、楽し気に笑って見ている。
子供を騙すのはいとも簡単だ。

でも本当は、羽交い絞めにするだけでは済まなかった。
周りには分からないように、私のこめかみをグリグリと締め上げたり、足をこれでもかと踏みつけたり。
その力の入れようは本気としか思えず、とにかくめちゃくちゃ痛い。

だからこそ逃げようと試みるものの、逃げ切れたことは一度もなかった。



◆羽交い絞め◆
要するにこれって言い方変えると、抱きつかれてるってこと。
気持ち悪いおっさんに。


Yからの解放

5年生に上がってやっとYから解放されたのだが、一体いつ記憶から抜け落ちたんだろうと、不思議で仕方ない。
Aとの再会がなければ、思い出すことはなかったのかも知れない。


子供の居場所の安全性

安全な ”はず” の場所であっても、悪い考えを持つ大人が潜んでる場合がある。
それを早い段階で見抜ければ良いが、残念ながら大人でも難しいだろう。

では、子供ならなおさら見抜けない ”はず” なのかと言うと、そうとも言えない。
言語化するのが難しいだけで、子供は敏感に察するセンサーを持ち合わせているからだ。

子供が上手く説明できなくとも、根気よく聞いてあげて欲しい。
その機会を逃す度、子供は言葉にすることを諦める。


社会に存在する大人の在り方

上司、同僚、家族、友達、通りすがりの見知らぬ人、相手が誰であったとしても、おかしいなと思ったら、見て見ぬふりをしない大人でありたい。
自分自身はもちろん、全ての子供達に対しても恥ずかしくないように。


私はここに書いた以上のことはなかったにせよ、完全なるセクハラには違いない。
Yがその後、何かしらの犯罪を犯すことなく、教師人生を終えていることを切に願う。








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