甘く、悲しく、美しく。ポーランドのことを話したい
学生の頃、ポーランドに留学していた。
今でもつよく覚えているのは、私が暮らしていた首都ワルシャワの香り。
かつて大虐殺が行われた、この土地から染み出したような悲しみと、古めかしく甘ったるい香水が混ざりあったような、独特の香りだ。
今でも東京で、ふとした瞬間にその香りを思い出す。
渋谷の高架下や、雑居ビルのエレベーターの中で。
遠藤周作の『フランスの大学生』を読んだ。
68年前、27歳の遠藤周作が、文学研究のために渡仏した時に綴ったエッセイ集。
なかでも私にとって印象深かったのは、戦争で故郷をなくしたポーランド人の男女と連れ立った旅路の記録だ。
一行はフランスの田舎村を目指す。目的地は、その奥深くにある古い井戸。
その井戸には、戦時中にユダヤ人の虐殺死体を沈めた、という噂が流れていた。3人は、ついにその井戸を見つけるのだが…。
読みながら、ポーランドという国について私は考える。
ポーランドは、不思議で美しい国だった。
都市にはそれなりのビルがあり、ショッピングモールがあり、観光地がある。市民たちはICカードで自由に交通機関を乗り降りができる。
しかし、その路地裏にはユダヤ人ゲットーがあり、銃弾が撃ち込まれた壁がそのまま残り、旧ソ連支配の名残がある無機質な建物が立ち並ぶ。そんな街だった。
人々の生活と、大戦が生み出した悲劇がいまでも同居している。
この街に暮らせば、冷たい歴史からは目をそらすことはできない。
留学はもちろん楽しかった。勉強は大変だったけど、同じ年頃の学生とたくさん遊んで、たくさん飲んだ。
日本の友だちと話すには少し恥ずかしい将来のこと、文学のこと、政治のこと、たくさん語り合った。
でも、楽しい思い出に紛れながら、あの傷ついた街はずっとそこにあった。
『フランスの大学生』を読んだ時、まるで私は「忘れるな」と言われているように感じたのだ。
過去を忘れたいというのか、現在すらも忘却の彼方に葬りたいというのか、彼はどんな時も寂しそうでした。黄昏、ぼくが部屋の窓のバルコンにもたれ、しだいにうるみ消えゆく夕陽、その遠い空をぼんやり眺めていると、彼もまた、窓によりかかりギタをはじきながら小声で歌を歌うことがよくありました。
その山の彼方に、私の村はあるのに
ああ今日も、私はさすらい歩く
いつの日か こいびとよ
私たちはめぐりあうのだろう
(『フランスの大学生』Ⅰ 四つのルポルタージュ:フランスにおける異国の学生たち より)
気がつけば留学から帰って2年が経っていた。
東京にいれば最新の技術や、様々なコンテンツに目まぐるしく日常が覆い隠される。
かつて、ここでもひと晩のうちに何千という命が消し飛んだこと、今ではどのくらいのひとが一日のうちに考えるのだろう。
ポーランドは、何もかもが剥き出しのままだ。
しかし一方でそれが、絶望的にも美しく、感動するのだ。
あの時感じた空気感を忘れたくなかった。言葉にしなければ、と考えていたけれど、結局は忘れてしまっていた。もしくは怖気づいてしまった。
偶然読んだ遠藤周作の本にこころを動かされ、あらためて考えて、書いてみる。少しでも文字にして、自分の心をかたちにしなければ、という思いに突き動かされたのだ。
きっと、また私はあの香りを思い出すたびに、悲しくも美しく、美しくも悲しいポーランドという国について考える。
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