宙に浮いたランドセル
2020年の春に小学校に入学したということが、のちの人生でどんな意味を持ってくるのか今はまだわからないけれど、娘は昨日、緊急事態宣言が出る前日に、たしかに地元の小学校への入学を果たした。
ここ数日とても気候が良くて、もう三週間程に及ぶリモートワークにも慣れ、仕事の合間に庭に出て春の陽気を満喫していると、本当に清々しく、厄介なウイルスの危機が迫ってきているようにはとうてい実感できない。
でもスマホを開けばウイルス、仕事においてもうウイルス、家族ともウイルスの話、ウイルスは日常にすでにいやというほどあふれてもいる。そして、ウイルス以前から辟易していた政府への不信感も限度を超えて、家族の前でうっかり汚い言葉で罵ったり嘆いたりもしてしまう。
わが家はさいわいにして、早めの段階から私も夫もリモートワーク可能な職場で、通勤を避けている。でも、買い物やら下の子の保育園、上の子の学童など、リスクはそれなりにあり、どこまで家族が安全でいられるか、この先分からない。
そしてランドセル。昨年のGW明けに予約して、年明けに届いたもの。娘が自分で選んだキャメル色の。すでに娘の部屋に馴染み、小さな背中に負われる準備は万端だったのが、休校延長で実用への見通しが遠のき、もう存在自体は新しくないのに、傷ひとつなく、硬く、ほんのり革の匂いが残る。製品としての新しさはそのままに、宙に浮いてしまった。
日本海側に住む友人と電話やメールで話して、今回のこと、子ども時代の節目を迎えるタイミングの子ども達にとって、アンラッキーを意味する「コロナ世代」みたいに言われそうだし、そう感じてしまわなくもない状況ではあるが、それでも安全を守りながら、小さな楽しい時間と思い出を作ることはできるよねと、同じく子育て中の彼女と話して心を健やかに、強く持とうと思えるから、本当に心のうちから繋がっている友の存在は大きい。
危機的な状況だからこそ、本当に心で繋がっている親族や友人の存在が強く、近くに感じられるこの感覚は、昨年乳がん手術をした時の体験に少し似ている。
コロナの収束が大前提ではあるが、リモートワークをはじめとする働き方の変容や、家族との時間の過ごし方、大人と子どもの共生のしかたについて、落ち着いた心で向き合い、工夫し、実践してみることは今後の人生において深い学びになる予感はある。
宙に浮いた娘のランドセルも、傷がつき、柔らかくなり、娘の背中にぴったりおさまる日は来る。
テレビで流れる緊急事態宣言を途中まで見たあと、家族4人で外に出て、家の前でピンクムーンと呼ばれる春の満月を眺める。いちばん小さな息子は「お、あったね(おつきさま、あったね)」とその明るい光を指さす。もう暗いけれどまだ深くはない春の夜。犬の散歩やベビーカーの親子が道を通る。適度な距離を保って。