見出し画像

何も起きなかった内命日 #8

昨日はよく眠れなかった。帰国内命の電話がかかってくるかどうかのいわゆる運命の日の前日だったからだ。クラス替えの前日、試験や面接の結果がわかる前日のようなちょっとわくわくした気持ちと、でも、もし電話がかかってこなかった場合どうしようかという不安の気持ち。何も言われなかったら、また数ヶ月帰国が遅れることになる。ビザがこの12月で切れるから、さすがに帰国内命が出るだろうと思って、私はほうぼうで「さすがに10月は帰国内命が出て、年明けくらいには帰る」と言っていた。イギリスでやりたかったことはすべてやってしまったから、自分の本当の目的(日本の子ども・若者支援の現場に入る)に早く着手したいと一年前くらいからずっと思っていた。イギリスのNPOセクターで、小さなコミュニティ的NPOがどうやって運営されているのか、そのマネジメントを見るために今の団体に入ってもう2年が経つ。うちの団体がコロナ禍をどう乗り切ったのかを見ることができて、そこに関われたのはとてもよい経験になったが、もうそれも半年経つ。

朝8時50分になっても電話はならない。9時が始業だから、電話がなるとしたら9時5分くらいまでだろう。朝のルーティーンの筋トレをしながら耳をこらすが、BBCの音だけ聞こえる。

そのうち、海外内命者一覧表が出回り始め、そこにはコグマのじいさんの名前はなかった。残留が確定した。ビザの延長手続きも確定した。私は非常にしょんぼりして、月曜朝のtodoを全部無視して、朝に絶対食べることはないポークステーキ(昼ごはんに食べようとおもっていた残り物)を食べた。本当は今頃、ほうぼうに帰ります〜とお知らせしたりして忙しかったのにと、イギリスに幽閉されている気分になり、ローカーボクッキーも気の済むだけ食べて、少々のメール連絡を終えてとりあえずソファで不貞寝をした。

昼ごはんを作る気にも全くならず、今週の献立もまた全無視して、コグマに好きなものをテイクアウェイしてよいよと言う。コグマは最近お気に入りのサブウェイ(の信じられないほど巨大なサンドイッチ)と付け合わせを喜んで頼んでいる。糖質を控えているのでパンも普段食べなくなっているのだが、コグマのものを1/4くらい食べる。

午後はスペインに住むイギリス人キャサリンとの英会話を入れていたので(最近人との会話が減ったのもあり、はじめてみた。£11/h って多分ネイティブの最安値に近いレベルでは)、事前の予習を少しだけする。たまたまだが、キャサリンはもともとNPOセクター出身なので、話があって面白い。今日のテーマはコロナの影響がイギリスの美術館にどう及んだかについてのBBCの記事がテーマだ。お決まりの、週末どうだった、今日は何してたの?の挨拶で、本当は今日会社から帰国って言われると思ったのに、何もなかったという話をする。どう感じてるのかと聞かれlimboにいるような気がすると思わず口から出た。limboとは、私はイギリスに来て初めて知った単語だが、不確実な状態を指し、もともとは宗教用語で地獄と天国の中間から来ているらしい。自分で自分の人生をコントロールできないことに対する私の苛立ちを表す言葉だ。しかし、limboという言葉を使うと、「Sitting in limbo」という、この国で不当な扱いを受けてきたブラックカリビアンを題材にしたドラマのタイトルが思い出され、そこから芋づる式に連想してうちの団体の難民のメンバーのことを考えてしまう。本当の本当に、limbo、不確実な状況にいるのは彼らなのだ。この3年で15回も引越しをせざるを得なかったTのことや、Home Officeの命でリバプールに急に引越しせざるを得なくなり、大変な時期を過ごしたC、そしてみんな何年も何十年も難民ビザがおりるのを待っていることを思い出す。

英会話を終え、私は急いで美容院にいく。内命がなかった事態に備え、予め気分転換できる予定を入れておいたのだ。

髪を切ってさっぱりし、雨の中バスに乗る。ちなみに私の美容院代は高くつく。生活の中の一番の贅沢と言える。物価の高いロンドンで、日本人の美容師さん、だからである。でも、どうしても、自分の好きなように切りたい。実家の母まさこがQBカット1,000円で切り続けているのとか、難民メンバーの生活保護の値段を知っているので(生活保護を受けられていないメンバーだっている)、自分がとてつもなく贅沢をしているのは知っているのだが、食うに困る状況でない限り、好きに髪を切りたい。そして、それができる環境にあることは非常に恵まれていると思う。

帰宅してご飯を食べ(コグマは昼の巨大サブウェイでお腹がパンパンで夕飯いらないという)、BBCを見て(カップルが、自分たちの今後を見つめ直すために、それぞれ別の相手と1日だけデートするというリアリティーショー)、手帳を見てたら、だいぶ自分が落ち着いてきた気がする。いつまでこの地で有閑子なし主婦よろしく修行しているのか、「帰りたい帰りたい」と散々コグマのじいさんにこぼしたが、猶予が伸びたと思って、大人しく日々のやることリストを淡々と消化していこう。

そうこうしたら、日付が変わった。誕生日だ。

day8終わり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?