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みんながいいと思うものに共感できない時 #28

”VR技術で共感は生み出せるか、新たな「つながり」の可能性を探る”というタイトルのプレスリリースのシェアが、私のFB上で賑わっている。いくつかのNPOが協力して、VRを使って「直接体験することの難しい事象を擬似体験」し、中高生に「共感」を惹起させることで、SDGsの中の4テーマ、(1.貧困をなくそう 4. 質の高い教育をみんなに 7. エネルギーをみんなに、そしてクリーンに 14. 海の豊かさを守ろう)について彼らが深く学べるコンテンツを開発する事業が、経産省庁のプログラムに採択されたらしい。

600人以上の人がイイねをつけている。素晴らしいです!!という興奮気味のコメントが並ぶ。でも私は、全くこのサービスそのものの良さに「共感」できなくて、一人疎外感を感じている。

SDGsのテーマのうち、7と14(エネルギーと海の豊かさ)についてはいい。「貧困をなくそう」「質の高い教育を」については、カンボジア・ミャンマーのケースを主に想定しているように見受けられるが、日本の貧困問題と日本の教育の問題はどのように考えているのだろう。日本の貧困と教育の問題は、VRで生徒が”共感”を仮に得たとしても全く解決しないと思う。VRより何よりも、根本的に「人権教育」をしないと意味ないだろう。

この世の人間は、皆一人一人、ちゃんと衣食住が満たされ、かつ文化的な生活を営む権利、それぞれの能力を発揮できる権利があり、これが人権なわけだ。で、政府がそれを充足する義務があり、個々人はその助けを要求する権利がある。これが「人権」の定義だが、日本人はそれをきちんと習わない(習わせてもらえない)から、貧困は自己責任だとか、生活保護を受けている子がいじめにあったり、生活保護を受けるのは恥だとしてどんなに辛くても受けない人たちがいる。そうやって「貧困は自己責任論」をまき散らしながら、政府は大企業有利な政策をバンバンうっている。繰り返すが、政府に、国民の人権を充足させる義務があるわけである。個人でない。(人権の定義については、社会政策の授業でも出てきたし、この3年間、某英大学の国際人権法の先生と一緒に勉強会を運営してきて、彼女から耳にタコができるほど聞いてきたものでもある。)

政府が大企業有利、特権階級有利な政策を打ちながら、貧者に「自堕落」「怠けもの」だのレッテルを貼って、どんどん生活保護・福祉予算をカットするっていうのは、1980年代のレーガン・サッチャー時代から現在に至るまでのトレンドだ(日本もそのトレンド)。だから、欧米にも自己責任論はあるものの、日本に比べて「人権」意識が人々に根付いていると思う。欧米(アメリカには詳しくないが少なくともヨーロピアン)人は、自分たちが苦しいと政府を糾弾する。それは正しい人権の理解だ。だって人権を充足するのは政府だから。でも、日本だと、政府を叩いたりせず、貧者を叩く。政府の義務だってことを知らないのと、自分たちに人権があるという意識が乏しいからだ。

そんな人権教育もしないままに、「質の高い教育を」って何をいうんだろうか。よくわかんないけど。

新しい技術はキラキラしてて、そこに可能性は確かに感じたい。でもそうやってキラキラさせることで、本質的なことは覆い隠されたままじゃないか、と思う。

あまりにもみんながイイねをつけるから、私の考え方が狭いのかと(新技術のポジティブな面をもっとみたほうがいいのかとか)、一人疎外感を感じている。

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