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勝ちも負けも本来はない?:2022年1月8日(勝負事の日)

1月8日は、運を天に任せる「一か八か」という慣用句から勝負事の日
今日のnoteは勝負事のことを書こうと思って一日考えていたのですが、そういえば最近「勝負」というものを意識することが少なくなったのではないか?ということに気づきました。

勝負は勝ち負けのこと、勝ち負けを決めようと争うことです。
目に見えて勝ち負けがはっきり決まるスポーツやゲームなど以外にも、日常の中でも「勝ち負け」を感じることがあります。
例えば、仕事で相手が自分より優れているときに感じる劣等感なども、相手が勝って自分が負けているということを意識している状態ですね。

私はマレーシアで暮らし始めてから、「勝負」や「勝ち負け」ということを考えることが少なくなりました。

マレーシアでは街に出るとみんな違う人種、宗教、バックグラウンド、言語 など多種多様な人たちが一緒に暮らしています。

もちろん、人種で差別や区別があるという場面は街中で目にすることはあるのですが、特にそれが「勝ち負け」に繋がるという概念が不思議と浮かんできません。
比べるまでもなく違う人たち、そこに上や下、勝ちも負けもないのではないか、そう思うようになりました。

たまに人と話しているときに、相手のことを羨ましく思ったり、すごいなと尊敬することはあって、そこで「自分はできていないな」と負けるような考えが浮かぶこともあります。

そんな時も「ま、違って当たり前」と思えるようになったのは、日本を離れてマレーシアで暮らし始めてからかもしれません。


また、勝ち負けのことを考えて思い出したのは、ベストセラーになっている書籍「反応しない練習」でした。

第5章にある「正しく競争する」の中に競争社会で生きていくためのヒントが書かれています。

仕事やプライベートの中でも、人と競争する、比べる場面があったとき、私自身ももちろん負けるよりも「勝ちたい」ともちろん思います。

でも、例えば競争の場面で「勝ちたい」と思ったときにその動機は何でしょうか。
誰かに勝ちたい?と思って取り組むとき、「勝ちたい」と思った時点でもう負けている状態なのかもしれません。

じゃあ、「勝ち」って何なのか、「勝ち組」の概念って何なのか、人それぞれに違うはずなのに既に苦しみを伴ってしまっています。

そこで大事なのは、「正しい動機」を用意すること。
「反応しない練習」の中では、4つの大きな心構え(正しい動機)をもって競争社会から自分自身が自由になれる考え方が説かれていました。

自分の心の在り方が世界の見え方であるというブッダの教えは、やっぱり勉強していると面白いです。

人は「みんな違って当たり前」、そこに勝ちも負けもありません。

当たり前のことなのですが、競争社会の中で私はすっかりこのことを忘れて、わざわざ自分で自分を生きづらくしていました。

もちろんスポーツやゲームで自分が勝てば嬉しいです。
でも、勝っても負けても、勝負とした相手と一緒にお互いの努力を称えあうことができたなら、これもまた嬉しいですし、負けたことで別の道も切り開けてくるかもしれません。

そう考えていると、もし運を天に任せる「一か八か」という場面にあったとしても、選択肢が多くなって心持ちが楽になりそうですね。

どんなときも心の在り方次第で乗り越えていける、マレーシアで暮らしながら自分の視野が広がったことで気づけたことかもしれません。

本日もお読みくださりありがとうございます。

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