001 問題意識について


「問題意識」この言葉は、SFC生の共通言語だと思う。自己紹介で組み込まれるほど、重要な話題。

「あなたの問題意識は何なの?」
事あるごとに問われ、自身でも問い続けた一文だと思う。そしてその答えは4年間を通して変わり続けた。どれもその時々の最善ではあったと思う。それでも自分が発することに我ながら違和感を持ち続けていたのも、事実だと思う。

でもここ一年でようやく納得できるものを見つけられたから、それについて書こうと思う。

結論から言うと私の問題意識は、「自分の生活が誰によって支えられているかわからなくなっていること」

これが私の一番大きな課題感であり違和感。

世の中は、どんどん便利になっていく。お金さえあれば、ボタンひとつで、スマホのタップひとつで、あらゆるものが手に入る時代になっていると思う。それによってもちろん便利になった。解決されたことはたくさんある。
ただ、そのことを当たり前だと思って疑わないこと、言い換えれば、便利さと引き換えに失ったことがあるのではないか?という視点を持たないことの危うさを呈したい。

それを問うことは、豊かさとは何かについての立場をとることと≒だと思っている。

例えば欲しい時に即座にモノが手に入れられることが、サービスを受けられることが、豊かさというのであれば、経済発展の便利さと引き換えに失ったものは見当たらないかもしれない。

けれど、私はそれだけが豊かさだとは思わない。

抽象度を下げずに言う。
私にとって豊かさとは、「目には見えない何かや誰かにも想像力を働かせ、他者を思いやり、感謝できること」だと考えている。

この考えに至った背景には、人口100人の離島、口永良部島で過ごした経験がある。島での生活は、自分がそれまで訪れ過ごしてきた土地のどこよりも、モノもサービスも少なかった。それはもう、とんでもなく。でもだからこそ、人々の生活と仕事の境が曖昧で、人と人の親密さも濃く近かった。そこで働いていた経済原理は、貨幣経済よりも、贈与経済だったと思う。
そんな生活で印象に残っている出来事は、ガスの不調をなおしてくれたのは〇〇さん、今日の食卓に並ぶ野菜をくれたのは〇〇さん、魚をおすそ分けしてくれたのは〇〇さん… と自分たちのために何かをしてくれたのが誰か、分かることだった。分かると次に何が起こるか。

会った時にお礼が言える。そして何かしてもらった分、自分に何かできることはないか必然と考える。ありがとうの数が違う。人を思いやり、感謝する時間の量が違う。
そんな生活に、私は豊かさを感じた。

一方、東京ではモノもサービスも充実しているけど、とても無機質だと感じた。
例えばコンビニでおにぎりを買う。誰にありがとうを言えばいいのか?それは見えない。心を通わす余地はない。

とはいえ、便利なものは便利だし、全てを否定するつもりはない。私だってその便利さを毎日享受している、していくことを選んでいる。

むしろ、だからこそ、見えない何かに想像力を働かせることが大切だと思うんです。

どうしてこのコンクリートだらけの東京で毎日美味しいお米を食べることができるのか。どうして道路は毎日こんなに綺麗なのか。どうして昨日アマゾンで頼んだものは今日届くのか…。

どれだけ自動化されても、末端を支えるのは人の手だと思う。どんな仕組みの上であれ、誰かがどこかでいろんな感情を抱きながらしてくれている何かがあるから日々の生活は成り立つ。そんな見えない誰かや何かに想いを馳せること、そして思いやり、感謝すること。それが人間としての豊かさの根源だと私は思うし、そう信じている。

話を拡大すれば、そうすることからいろいろな複雑な課題が解決してくんじゃないのかなと思う。むしろそうしないと社会は破壊の方向に向かっていくんじゃないかとさえ思う。 人間に血が通っている意味もなくなっていく。



こうして、悩んだ分だけ言葉に自分なりの意味を込めてきた。
そうしてできあがったこと、今まで綴ってきたことは、私のスタンスであり、価値観であり、原点であり、信念とも言えるかもしれない。

その意義や正当性がどれほどのものなかのはわからない。今は“私にとっての”でしかない。

意義や正当性は、何らかの具体として示して、どれだけ共感を呼べるかだと思っている。だから行動し続ける。し続けていく。
一人で叫ぶうちは独りよがりだけど、follower が二人出来たら、それはムーブメントと言えるらしい。

だから、この第一投稿は何かが始まる種だと思っている。その種が芽吹くように、また更新していこうと思う。

共感者が現れたらいいな。あわよくば、このアカウントから何かが始まればいいな。なんて思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?