日々移り変わる感情や思考の何割をそもそも認知していて、その何割を、言語化できているのか。

自分も周りも、常に変わっていく。今日考えていることが、明日には変わっているかもしれない。今日大切にしていることを、明日失うかもしれない。そして大半のことは忘れていく。忘れたことさえ忘れる。感情も劣化する。

だから、言葉にするという行為を、意識的に行う必要がある。変わっていくスピードの中でも、自分で見た世界くらいは、自分で表現できるようにしようと思う。私なりの形容の仕方で。

そして、アウトプットしたものを、公開していこうと思う。

なぜか。

自分のための言語化であれば、iPhoneのメモにすればいい。noteというプラットフォームにのせようと思ったのには意味がある。

今まで、その時々に私を救ってくれたのは、必死に生きる誰かの姿であり、その人から発せられる言葉だった。端的に言えば、自分もそんな風に、堂々と生きて、そうすることで誰かを少しでも勇気付けられる存在になりたいと、思ったからだ。

自分を曝け出すのは怖い。それは匿名性に助長された心ない声があるということを、思春期からSNSに囲まれてきた私たち世代は身をもって知っているからであるし、それ以上に、身近な人の目を気にしているからかもしれない。もしかしたら、直接得る情報よりSNSの投稿から得る情報の方が多いんじゃないかというほど、SNSは日常に密接に関わっていて、SNSの投稿がその人がどんな人であるか、イメージを規定してしまうことすらある時代だと思うから。

あるいは、意図せず誰かを傷つけてしまうことの恐れもあると思う。少しの言葉選びのミスで文意は歪曲しうるし、そもそも解釈は相手に委ねられるから。不特定多数であればその可能性は増す。

そんな怖さと、自分を明かせば明かすほど孤独になっていくような感傷から、言葉を噤んできたけど。

それでも一つ、わかったことがある。

例えば100人のうち99人に否と言われたとしても、あるいは無視されたとしても、一人くらいは好きだと言ってくれる人がいる。いいね、と興味を持ってくれる人がいる。共感の声をあげてくれる人がいる。応援してくれる人がいる。

その一人を見つけられたら幸せじゃないか、なんて思った。万人には愛されない。

世の中には、同じようなことを思っていながら、それを知らずにいる人がたくさんいるんだと思う。知らずにいるうちは一人だと孤独に苛まれるけど、知ってしまえばもう一人ではなくなる。

だから、まだ言葉にできない誰かの代弁ができたらいいなと思う。

私の考え方や軌跡や青写真が、誰かにとって何かの参考に少しでもなればいいなと思う。
あわよくば、誰にも言えない只中にある時、言葉で寄り添えたら。勇気づけられることができたら。そうなれたらいいな、なんて思う。 私がそうやって乗り越えられた何かがあるように。

よって、このnoteは、すごく私的なものになると思う。私が考えてきたこと、考えていること、してきたこと、していきたいことを綴る。それは、時間をかけて見つけた揺るぎない何かについてであり、今まさに進行していることの想いの丈でもあれば、何気ない日常の一瞬かもしれないし、心惹かれる何かについてかもしれない。いずれにせよ、ありのままを。等身大を告白する場にしようと思う。 未完結の文章を。

私が今まで、誰かの生きる姿に、発する言葉に、救われ、鼓舞されてきたように。
私も、私という人間の存在で、誰かを少しでもエンパワーしたい。そうできるように、生きていきたい。

実名でやっているということにその意味があります。

2020年という節目の年に。そんな思いを込めて。






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