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「現在の日本にふさわしい憲法を」(大川隆法著「幸福実現党宣言」より)

この記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます!

私の記事では、大川隆法先生累計3500回の法話3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。

新たな試みとして、大川隆法先生の政治関連の書籍のポイント解説に挑戦しています🌷


大川隆法先生といえば、「幸福実現党」の創始者でもあります。

通常、宗教の心の教えに惹かれる方と、政治活動に興味がある方の層が異なっていることも多いです。

ところが、大川先生の場合は、「政治も宗教も世直しのために必要なのは同じ」だということで、両方同時に発信しておられた印象があります。

私のnoteでは、主に大川隆法先生の心の教え、リーダー論などをご紹介してきました。

この政治企画では、大川隆法著作集をご紹介する者として、純粋に大川隆法という方から流れ出てきた政治哲学を、書籍の解説という形で、ご紹介できればと思います。

少しずつ進めていく予定ですが、皆様どうか温かくお見守りください。


まずは、「幸福実現党」を立党した際に発刊された、『幸福実現党宣言』という書籍から、その政治思想のポイントをご紹介していきたいと思います。


終戦記念日もあり、戦争や憲法についても注目が集まっているこの時期。

大川隆法先生が日本国憲法をぶった切る回をご紹介していこうと思います……!



「現在の日本にふさわしい憲法を」

・どさくさに紛れてつくられた日本国憲法

日本国憲法は、敗戦後の占領下において、日本に主権がない状態のときに、占領軍の人たちが一週間程度で草案をつくり、それを日本語に訳したものに手を入れてできたものです

草案づくりには、一部、学者も入ってはいましたが、学者でない人も入っていました。

占領下において、外国人が、どさくさに紛れてつくった憲法なのです。

日本国憲法が、わずか一週間程度で草案がつくられた憲法だということ、今となってはあまり知られていないかもしれません。

そして、原文は英語で、それを日本語に訳す形でできた憲法のため、非常に読みづらく難解な文章になっていると言われています。

「どさくさに紛れてつくられた憲法」といえば、それまでかもしれません。


つくった人たちも、「これを日本が六十年以上も守り続ける」とは考えていなかったでしょう

「十年もしたら、国として立ち直り、自分たちの自主憲法をつくるだろう」と思って、とりあえずつくったものだったのに、それが延々と六十年以上も残ってしまったわけです。

国として立ち直ったら、その国に合わせた自主憲法をつくることは普通のこと。

なので、てっきり日本側もそのような対応をしてくるだろう、と思って急いで憲法をつくったのかもしれません。

まさか、約80年も使われ続けることになるとは、当時の人たちも思いもしないでしょう。


・日本国憲法教という”宗教”

なぜかというと、結局、敗戦を契機として、宗教というものが日本から葬り去られ、表の存在から消えたため、日本国憲法を、宗教に代わる”ご本尊”か”基本教義”として捧げ奉ってきたからです。

それが、戦後の日本の歴史であったと思われるのです。

敗戦後の日本では、戦前の天皇中心の神道のイメージを払しょくすべく、宗教が表から葬り去られました。

その代わり君臨したのが”日本国憲法”。

もはや、「日本国憲法教」のように、「基本教義」として日本人に降りかかっています。


そのため、日本国憲法を「不磨の大典」のように考え、決して変えることのできない基本教義のようなかたちにしてしまっています。

「イエスの言葉を改竄(かいざん)したり、仏陀の言葉を改竄したりしてはいけない」ということと同様に、「この憲法は、一字一句、変えては相ならない」というような感じになっているのです。

日本国憲法を一言一句変えてはならない!と主張するタイプの方は、

今の憲法があるから、私たちには平和があると考えておられるのだと思います。

ただし、侵略主義の国家というのは、「平和憲法」だから攻めてこないというわけではありません。

実際に他国からの侵略を受けて戦争になった場合に、日本がほとんど機能しない、という問題点はそのままです。


・日本は占領下の植民地のように捉えられていた

しかし、「日本国憲法は、そんなに偉い人が書いたものなのか」といえば、そんなことはなくて、雑多な人たちが集まって書いたものであり、内容的にはボロボロで隙だらけの文章なのです。

内容には矛盾がたくさんあります。

実際に憲法の条文によく目を通すと、ボロボロで隙だらけの文章で、矛盾点も沢山あるそうです。

よく言ったな……!という感じでしょうか。笑

東大法学部の頭をお持ちですので……。🥰笑

書籍の方では、条項ごとに、細かい論点の矛盾も沢山指摘されています。


今流に言えば、六十数年前(発刊当時)の敗戦国・日本というものを、現在の北朝鮮のようなものだと思ってつくられた憲法だと思います。

あるいは、イラク戦争で敗戦を喫したイラクにおいて、占領軍が憲法をつくるとしたら、こういうものをつくるだろうと思います。

今の憲法は、植民地に渡すようなライトな憲法であり、半人前の国家だと思われているのが分かるそうです。


・自分たちの手で、自分たちの幸福にふさわしい憲法を

したがって日本人自らの手によって、憲法を、自分たちの幸福にとってふさわしいものに変えていく必要があるのです

「硬性憲法だから、なかなか変えることができなかったのだ」

という言い方もされますが、それは単なる言い訳にしかすぎません

勇気がなかっただけのことです

自分たちのイニシアチブによって変える勇気がなかったのです。

自分たちの手で、自分たちの幸福をつかみ取っていく。

これは、人間としても当たり前の考え方。

そんなことすら考えられん……というならば、勇気が足りない!と言われてしまっても仕方がないかもしれません……!


精神的には、「占領状態のままで、ずっといたかった」という甘えです。

「占領状態でいるかぎりは、アメリカが守ってくれる」と考え、
「アメリカが言った通りにやっているのだから、守ってください」というかたちで、六十数年間、やってきたのです。

しかし、そのアメリカも、今は傾いてきて、唯一の超大国、スーパーパワーから、幾つかある大国の一つになりつつあります。

はっきり言えば、「日本のことまで、もう面倒を見切れない」という状況になりつつあるのです。

「自分のことぐらいは、自分でどうにかせよ」というのが、アメリカの本音ではないかと思います。

日本とアメリカは、かなりベッタリ依存体質になってしまったのかもしれませんね。

精神的な意味で自立するためにも、「自分の事は自分でする」という気概をもつ必要がありそうです。

実際、アメリカの核の傘下に入っているとはいえ、有事の際にアメリカが日本のために戦ってくれるとは、考えづらい面もあります。

今は、国内問題で頭がいっぱいなのではないでしょうか……。

「子供であっても、親よりも大きくなってきたら、自分のことは自分で解決しなさい」ということです。

そういう判断力が日本にないのは悲しむべきことであると、アメリカは見ていると思います。

「占領下において、マッカーサーは日本人の知性を十二歳ぐらいと言った」という話が伝わっていますが、小学生と中学生の境目ぐらいの知性にしか見えなかったのでしょう。

しかし、もう大人にならなければいけない時期が来ています。

憲法の内容を分析し、現在の国の状況に適合した新しいスタイルに変えていくべきだと思います。

アメリカ側としても、いつまでも庇護者の気分でいる日本には飽き飽きしているのかもしれません。

戦争をする、しないの問題で揉めている印象の強い憲法ですが、

そもそも、「自分たちの言葉で、今の自分たちに合った憲法をつくろう」という話は、もっと活発に議論されてしかるべきではないでしょうか。



今回の解説はこのあたりまで。

最後までご覧くださり、誠にありがとうございました。



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真理花@大川隆法著作愛好家(@Marika777hs)さん / X (twitter.com)

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