見出し画像

ゴールは人を幸せにするのか

首都圏の中学受験は早くも決着がついてあとは卒業に向けてのんびり過ごす時期になった。結果については色々思うこともあるだろう。希望が叶ったり届かなかったり。小学生の国語指導をしていて感じることから書いてみようと思う。

同僚で大変仕事熱心で人気のある先生とお話ししていたとき、
「せっかく志望校の過去問を研究して重要語句を書き上げてまとめたものを何枚も渡したのに全然やっていかなくて、ズバリ予想的中したのに落ちちゃったのよ〜」
と嘆かれていた。心底残念そうだった。
嘘のつけない私は労いつつも
「そこに行っても苦労してただろうしよかったんじゃないですかぁ」
なんてつい本音が…

一緒にお勉強していてぐんぐん進む子ものんびりな子もいて、それは50m走で足の速い子も遅い子もいるのと同じこと。1時間の授業で伝えられることは伝えて引き出せることは引き出せるように努めている。生徒も真面目に参加している。その結果はさまざまだけど。

勉強も仕事もゴール設定して逆算してやらないといけないことを考えるというのは昔から馴染みがあるけれど今はそれに懐疑的。やりたいことを積み重ねてその後ろについてくる足跡こそが人生ではないのか、と。

受験でもやるだけやったら決まったところでまた同じように歩き続けるだけでいいと思う。その後に続く道も同じこと。

世の中には天才としか言えない人がいらして、たいして努力しなくても難関校に入って学校に行ったり行かなかったりしてさらに上の大学に入って偉大な研究や成果を上げてくださる方がある。私はその方々のお陰でテクノロジーや医学が進歩した快適な生活を送らせていただけていることに多大な感謝をしている。

人には持って生まれたものがあるのでそれをそれぞれが活かせばいい。特にこれといって得意なこともなくても普通に幸せに生きていけますよね、というのが私が日々noteに書いていることだ。

小学生の頃には総理大臣になることを夢見ていたごきげんパパ♡は私と出会う20代後半には目標をかなり下げて「ええカッコすること」に変更、50代後半の今はそれすら目標にしていなさそうだけど結構幸せそうに暮らしている。

娘たちもただ縁のあった学校に進み縁のあった職場で毎日ああだこうだ幸せそうにと勤めていて、それは幼い頃にイメージ出来ていなかった道。

私も若い頃全く何になりたいかわからなくて、結婚さえすればなんとかなると錯覚していたバブル世代。現実はそんなことはなくて手探りで30年も自分にできることだけやってきたら結果なんとかごきげんで幸せにやっている。振り返った道こそが私の人生だった。

なぜ今幸せかを考えた時、ゴールを手放したことだと思う。勝手に思い描いた理想の夫婦や、子どもの姿は幻だ。それに近づけようと足掻いた黒い歴史があって、そんなもの私を幸せにしないじゃん?と気づいた。誰もふざけたり悪気があるわけでもなくただ懸命に生きていることが大事。笑って生きることだけで十分だと思った日がごきげんママ♡の誕生日とも言える。

長々と少ないサンプルで自論を展開してしまいましたが皆様の今日一日が笑って過ごせますように。



この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?