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いろんな自分がいていいんだ

何にもやる気が起こらない時、寝っ転がってYouTubeを見たり聞いたりするとき、ありませんか?だらだらだらだら過ごす日もまた宝物だったりします。

そんな時に出会った動画がこんなに奥深いものだったら尚のこと。こんなに、というのは河合隼雄先生が源氏物語について講演されているものです。ちなみに上の写真はムラサキシキブということで拝借しました。

源氏物語は33か国語にも訳されている世界に誇る日本の古典文学であることは間違いないですがごきげんママ♡高校の授業と漫画『あさきゆめみし』程度にしか読んでいないのが残念。いつか現代語訳でも通読したいと思っています。谷崎潤一郎さんは三度、ほかにも円地文子さん、瀬戸内寂聴さん、田辺聖子さん、新しいところでは角田光代さんらが訳されています。読書は気力体力が必要。なかなか余裕がありません。

河合先生の御説では、光源氏を取り巻くすべての女性が紫式部一人の人に内在するとのことです。可愛くて純情な紫の上もいろいろ勘違いしちゃうおちゃめな末摘花も憧れの葵上も全員作者の一部。なるほどそんな風に考えたことはありませんでした。

いつからか分人という言葉を聞くと思ったら平野啓一郎さんのご著書から来たようです。それは平たく言うと場所や相手に合わせて自分のキャラクターを変えてよいという考えでしょうか。学校では面白い人、バイトでは真面目な働き者、友人といる時は饒舌な人、恋人といる時は甘えん坊、家に帰ったら無口な人みたいに。皆さんも心当たりはありませんか?本当の自分ってどれかな、と思うようなこと。それがどうも普通のことらしい。

そう考えると自分の毎日のnoteに書く題材が支離滅裂なことにも説明がつきます。世の中にいろんな人がいるだけでなく、自分の中にもいろんな人が住んでいる。家族を思うお母さんかと思えば時には深刻な顔でニュースを読む人、大真面目にピアノを弾いてる生徒の顔、たまには物思いにふける少女のようだったり、おこりんぼうのクレーマーのような顔もちらほら。それらどれも自分でいいのですね!

だからあの人は気難しくて頭が固い、とかフワフワしてつかみどころがない、、とか仏のように優しそう、へらへら笑ってる人、とか簡単にレッテルを貼ることはちょっと違う、とも言えそうです。たまたまその時はその面が出ているだけかもしれません。みんな内側にいろんな顔を持っているのです。繊細だったり大胆だったり柔軟だったり頑固だったりそんな揺らぎがあるのが人間なのかもしれません。

何もそのような考えは新しいものでもなくヘッセの言葉にもこのようにあります。

一人の人間がひとつの魂だけを持っているわけではない。いくつもの、無数の魂を持っている。魔物の魂も、狼の魂も。
そのたくさんの魂が精密に組み合わさった一つの織物が一人の人間なのだ。

                超訳 ヘッセの言葉 編訳白取春彦より

本当に人間とは複雑怪奇でおもしろい生き物です。あの人がどんな人か、自分がどんな性格か一言で言い表すなんてとても無理。いろんな人が自分の中に住んでいるという見方はとても新鮮です。何もする気の起こらない日にも大きな気づきがありました。

だらだらしていても庭のバラはぐんぐん伸びてたくさんの蕾を付け始めています。今年はしっかり寒肥も施したのでこれからが楽しみです。今日も元気に過ごせますように。




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