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お正月の憂鬱

私は慎み深い人に憧れている。できれば自分も近づきたいものだと思っている。でもここで匿名をいいことに日々思ったこと感じたことをつらつらと書き募っている時点で失格かもしれない。それでも今日は自分の感情を整理するためにもnoteに書きたいことがあるのでよろしければおつきあいください。

夏も過ぎ、9月初めは小学生のコロナ感染が広まりどうなるかと思っていたのに10月に入ると全国的に感染者数が一気に減って信じられないくらいだ。緊急事態宣言も解除され人々が動き出した、と肌で感じ始めたころ、結婚した娘からラインが来て「お正月はおばあちゃんちに行けそう」という。

え?まだお正月って先じゃないの?

なに?結婚して初めてのお正月をおばあちゃんのところで過ごすの?

何がどうなっているのか、日々の暮らしでようやっとの私にはすぐには理解できなかったのだけれどもよく聞くと義母が孫にお正月に夫婦で来るように誘っていたのだった。

おせち料理のビジネスというのは大したもので、ネットショップに詳しい人の話では1年の4か月だけ集中して働いて後の8か月は仕事はオフでオッケーらしい。今年もその商戦は始まっていたのですね、私が呑気にしているうちに。義母はその広告でも見て思いついて孫に連絡したのであろう、さて何人分のを注文しようかと。その手回しの良さには舌を巻くしかない。83歳になっても頭脳明晰、天真爛漫。

平成初期に結婚した私たちは年末から義実家に泊まり込んで掃除を手伝ったり床の間の花を生けたりおせち料理を詰めたりして紅白を皆で見て除夜の鐘をテレビで聴いてから休み、元旦はそろってお祝い、一人ずつ年頭のあいさつと一年の抱負を述べてからお年玉をいただくというまことに結構な行事を過ごしてきた。そこまでは多少息苦しいとしてもよくある光景だろう。

初詣が終わって恒例に伺うのが義母の実家。皆さんとても良い方で、歓迎していただいたのはありがたいが私にとってはなぜ私の実家より先にそちらに行く必要があるのかずっともやもやしていた。私の子どもたちがお正月をこのように過ごすことに何の疑問も不満もなくここまで来たのは私がなかなかのポーカーフェイスだったからだと自負してしまう。

そして今年はようやく娘の結婚という一つの節目があり、家族ノカタチの変わった。でもお正月をどのように迎えるのかまでは頭が回っていなかった。うすのろな私…結婚する前は娘に「相手の実家にあいさつする前にうちに来ないでよ、」といっていた私もなかなかの保守的な人間ではあるかもしれない。そんな時代がいいとは別に思っていないけれどもそのようにしつけられてきた、無意識のうちに。

でもこれは暴挙ではないかと思う。親の私たちに断りもなくいつも自分のところに下々の人を従えようとする義母はやっぱり私以上に慎みのない人に思える。相手の実家を蔑ろにするのもほどほどにすればいいと思う。しかも娘の実家は私たちの住むマンションなのに。

義理の親と同居している人たち、介護をされている人たちが大勢おられることを考えると自分が小さく見えてそれもまた悲しい。世の中は筋の通らないことで溢れている。そんなこともわからない55歳って情けないですか?

さあ、ここで書いたらすっきりしました。たぶんみんなで現代版参勤交代のように義実家に行くことになりそうです。でも粛々と、自分がするべきことをしようと思えるようになりました。最後までお読みいただきありがとうございました。

季節のめぐりがはやいですね。今日の一日がよい日でありますように。

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