見出し画像

お彼岸なのでお墓のことを考えてみた

皆さんはお墓参りなさいましたか?今年はコロナで行けなかったという方も多いかと思います。お墓といっても会ったことのないご先祖様のお墓、育ててくれた親のお墓、また愛する奥様旦那様のお墓、もしかしたらかわいかった子どものお墓という場合もあるかもしれません。それによってお参りの気持ちも随分違うことでしょう。

ごきげんママ♡の生まれた家のお墓は結構大きいものでした。墓石は大人の身長でも見上げるくらいです。今も母と弟たちが守ってくれています。そのことを特に自慢にも負担にも思っていた訳ではありませんが、たまたままだお墓のない家の人と結婚しました。

そして結婚後2ヶ月で義父が亡くなり義母とごきげんパパ♡の名前で眺めのいい気持ち良いところにお墓を作りました。私たちは帰省するたびにお参りに行きますし義妹は今も毎月お参りを欠かしていないようです。

お墓は祈りの場なんだと思います。義妹はそこで義父と会話をしているのでしょう。聞いてほしいこともあるのかもしれません。車で30分くらいのところに住んでいるのでできることでもあります。

ごきげんママ♡は海外含め父の眠るお墓とは離れたところに住んできました。だから簡単にお参りにいけません。でも振り返ってみると父を亡くしてから25年間、父のことを思い出さなかった日はないくらいです。あの時こんなこと言ってたなとか、よく勉強を教えてくれたなとか、受験についてきてくれたなあとか、損得を考えるなって言われそう、とか甘いものをよく食べてたなーとか、孫たちの元気な姿を見たら喜ぶだろうなあとか、アメリカに連れてきてあげられたらよかったなあとか、中華料理屋さんにいたときに入院したって電話かかってきたなあとか、透析は痛かっただろうなとか、囲碁楽しそうだったなあとか、もし今父がいたらどんなアドバイスしてくれるかななどなど。本当に尽きることがないのです。生きていたころは特別仲良し親子でもなかった、というか鬱陶しいと思っていたという方が近いくらいでした。鬱陶しいくらいの愛情だったのだと今ではわかります。

供養するのはお仏壇やお墓の前で手を合わせることだけではないと思いますが、形から入ってもその心は知らず知らずにその人の中で育つでしょう。人は自分一人で生きているわけではない。先祖から繋がってきた命の通過点のようなもの。そのような気持ちがあるのとないのとでは人としての厚みや深みが変わってくるように思います。

先日行った沖縄のお墓はとても大きなものでしたし、かつて住んでいたアメリカの墓地は色とりどりの造花で華やかでした。いろんな文化や宗教においてお墓があるのですから大切なものに違いないと思います。

少し前に流行った『千の風になって』という歌はお墓に亡くなった人がいないという歌詞で物議を醸しました。本当のところはどうなのでしょう。これだけ科学の知識が広まった中で火葬された人の魂はどこにあるか、宗教が物語を作ってもなかなか信じるのは難しいものです。つまるところお墓は遺された人の心の支えになればよいのではないかと思います。

お墓に意味があるとしてそれを守っていく人の負担はどうでしょうか。田舎のお墓を都会のお寺に移転する友人もいます。あるいは折り合いの悪い人たちと同じお墓に入りたくないという人も少なからずいるようです。ごきげんママ♡はあの眺めのいいお墓に入ると思いますが遺った人の負担が一番少ない方法ならなんでも良いです。

宗教や信心を否定するわけではありませんが、義母やごきげんパパ♡が子どもたちにしっかり墓を守れというのを聞いて気が重くなるばかり。人間とはそんなに複雑に考えないと生きていけない動物なんですね。今の私にできることは1日1日を大切に生きることだけです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?