マガジンのカバー画像

マリエの日記

14
どこまでが現実でどこからが虚構なのか、それは秘密。 現実と空想の境目が曖昧な日々の手記。 でも記されている心に嘘はないよ。
運営しているクリエイター

記事一覧

2023年振り返り。

年だとか、記念日だとか世の中的なイベントだとかに、全くと言っていいほど興味がない。歳を経るごとにさらに興味がなくなってきている。私は自分の時間軸で生きていく。 とか思いつつ、 2023年は、とにかく密度が濃くて、やりたいことやって、様々新しいことが始まった年でした。総じてとてもいい年だった。 なので簡単に、振り返りというほどでもないですが記録を。 1月、髪をバッサリ短くしてスタート。 マリークワントと、アンナカリーナと、アリスプランに触発されて。 そしてやはり演劇音

コロナ期間とミスiDと〜偶然と進化の話。〜

2020年を経て、私はきっと、ものすごい変化と進化をする。 (と先に宣言しておく。書いてしまえば後戻りできない。) 2020.4〜の記録(或いはミスiDへの布石)きっと誰しもがそうだったと思うが、どうにもこうにもめちゃくちゃで心がダメになりそうだった3月〜5月(そしてその後も)。 でもその期間で本当にいろんなことを考えたり、感じたり、新しいことに挑戦したり、自分が進化するきっかけも多かったと思う。 (この時期のことは複数の別noteにも記録してある) 自分は何がしたいのか

錆びついた心が動いた音楽の話。〜あの3ヶ月の音楽についての記録〜

2020年4月からの数ヶ月の間、 正直、コロナ以前の想い出が詰まった音楽は、積極的に手を伸ばせなかったし、通常な気持ちでは聞けなくなっていた。 あれだけ愛していたものが、それがもう元の形では戻ってこないかもしれないという事実に、とてもじゃないけど向き合うことはできなかった、目を逸らしていたかった。 大好きな音楽家の10周年記念ベストアルバムでさえ、最初に一度聴いて以降、通しては聴けなくなってしまった(たまに精神状態がいい時に曲を単発で聞くと、ものすごい破壊力である。)

ミスiDに応募した理由〜自分を曝け出してみる、の話。〜

改めて、こっそり、ミスiDに応募しています。 コロナで世界が変わって、"今までどおり"の愛するものたちが瞬く間に奪われていって、今にも壊れそうになりながらも、なんとか自分を見つめ直して前を向き始めていた時、5/31の明け方にミスiDに出会い、残り数時間で応募しました。 応募した理由は「晒け出せる」と思ったから。この期間、「自分とは?」「やりたいことは?」「そのために何をすべきか?」を今まで以上に突き詰めていった結果、 出た答えのひとつが「怖がらずに曝け出す」でした。 そ

この3ヶ月の話。〜とりとめもない走り書き、自分用〜

あまりにも激動で混沌としたこの3ヶ月(2020.3~2020.6)。 目の前が突然見えなくなってから 自分は何をやりたいのかを、ずっと考えていた。 そして死んでいる心なりに、いろんなことを感じた。 それは「音楽続けるのか?」なんて薄っぺらい問いではない。 やりたい「音楽」の周りにあるものを、あるいは中核にあるものを 捕まえて手にとってみたり、点と点を繋げてみたり、掘り起こしてみたり。 明確な「場」が奪われた今、どこで、何をするべきかを考えたり。 答えのない、地道な

二重人格の話。〜気持ちが沈む理由を探ってみた深夜3時〜

昨日今日と、どうも気持ちが沈んでしまう。 正直そこまで熱意はないが面白いと思える部分を見つけそれなりにうまくやっている(こやつは別人格である)ライスワークの仕事をするにも なんだか手がつかない。 数日前までは一周回って前向きだったのにさ。 なぜこんな気分になるのか。 こういう時は、冷静に、客観的になって分析してみるのがよい。 お得意の"二重人格ちゃん"の登場である。 ・漂い続けるただならぬ空気 ・うるさいワイドショー ・Twitterなどで露わになる人間の嫌なところ

『ID10十』が届いた話。〜今にもRIOTが起きそうな、QUIETな世界で〜

ドレスコーズ改め"志磨遼平"の、メジャーデビュー10周年アルバムが届いた。 ("周年"と打とうとしたところ”執念”という誤変換がなされたわけだが、 確かに10年も(メジャーデビュー前から数えるともっと長い年月)これだけ鮮やかな音楽を生み出し続けてきているのは、もはや執念という言葉がふさわしいとも思う。) 今、宅配便でものが"届く"ということも、私が生まれてこの方、今までにない重みを含んでいる。 2020年4月14日。東京は「緊急事態宣言」なるものが出されており、 外出自

こんな時期に思うこと、の話。(途中加筆あり)〜本当の”あの人”などいないのだ〜

連日の、「みんなそうだろう?」と言わんばかりにあまりにも勝手で一方的な決めつけを叩きつけてくるワイドショーの報道。 それを信じ込んで、また一方的な決めつけを他人にぶつけてくる人たち。 過剰になくなっていく物たち。 ”そうじゃない”人たち、"知られていない"人たちの、タイムライン上での悲痛な叫び。 こんな世界、もううんざりだよ。 そんな言葉をこぼしたくもなる。 窓の外はこんなに春が近づいていると言うのに。 流れていく様々な言葉たちを見ながら、ふと3年前に父が亡くなった

身体が自然に踊りはじめた話。〜海と蜜柑とヤンサンと〜

ある日、出会ったばかりのYくんから、突然連絡をもらった。 少し前にワークショップで出会った、美しい絵を描く人だ。 「今度映像作品を作るのですが、踊ってくれませんか?」 「ちなみに振り付けなしで、即興なんですが…」 申し訳なさそうな口調の提案に、私は即座にOKの返事をした。 こんなこと言うのも変に思われるかもしれないが、 その時私はちょうど、踊りたい時だったのだ。 踊りたい気持ちがうずうずしていて、踊れる場所や機会を待っていたところだった。 即答の私に、彼はとても驚いた

ロリータ、歌えさあ今〜映画のような、3月の夜の話。〜

生ぬるい、土砂降りの夜だった。 3両編成の列車を降りて、静まりかえった帰り道、 ふとイヤホンから流れ始めたその歌に、私は声をあげて泣いた。 ◆ 7.8年ぶりくらいだろうか。 高校時代に勤しんだ吹奏楽部のOB演奏会のために、私はやや重い腰を上げて故郷に向かっていた。 あらかじめ言っておくと、私は吹奏楽が嫌いなわけではない。 青春時代に私を守り、私の土台を作ってくれたのは、紛れもなくこの吹奏楽である。 当時の私のアイデンティティだったし、音楽で"自分"を保つ、最初のきっか

伏線回収と確信の話。〜2019年の振り返りと新年の抱負〜

2010年代が終わり、2020年代が始まりました。 本年もよろしくお願いいたします。 浅いながらに歳を重ねてくると、自分独自の時間軸や意思・感覚といったものが生まれてきたせいか 新年だとか〇〇の日だとか、そういう区切りに興味が薄れてきております。 それでも、一年を振り返ることはとても有意義で、新年は気持ちを新たにするいい機会なので、今回も振り返りをば。 noteを始めたての昨年の振り返り記録はこちら⬇︎ noteでの予告通り、おみくじはやはり「吉」を引きました。 今年

1日だけのBARを開きました、の話。〜かかりきらなかったプレイリストを添えて〜

無事に終わりました、世界の終わりに思いを馳せるBAR。 終わってすぐ記録を残そうと思っていたのも束の間、 本家のTHE END OF THE WORLD PARTY in 名古屋 に参加したことで すっかり熱と余韻にやられている今日この頃。 そういえば名古屋でもアゲハ蝶がとんできました。 友達の家まで歩く途中と、ライブハウスまで車で送ってもらっている途中、大通りを蝶がひらひらと横切っていった…… ここまで来ると誰にも見えない幻覚を見ているのではないかと不安になってくるが、

2018年を振り返るつもりがいつの間にか新年の抱負に。前のめりな振り返りの話。

2019年明けてからもう10日ほど経っておりますが 本年もよろしくお願いいたします🌹 2018年のうちに振り返り切れなかったので、 今更ながら2018年の簡単なまとめを。 2018年はマジで音楽以外のことに興味がなくなり ひたすら音楽や表現に感動している一年だった気がします (2017年もそうだったかもしれないけれど) そして何より新たなバンドメンバーが見つかったことがでかい。 素晴らしすぎる。最高。ほんといい奴らに出会わせていただきました。 毎年、3割が「凶」だと言

シンクロニシティ〜蝶と暮らした10日間の話。

かじかむ指で慌ててスマホ画面を滑らせると、 10日ほどの命だと書いてあった。 私は"終わり"を拾うことにした。 "終わり"の予感が近いものに、妙に惹かれてしまう。 それは"終わり"を目前にしたものが放つ、 どうしようもなく美しい火花を何度も目撃してしまっているせいだろう。 ボヘミアン・ラプソディの"ライブ・エイド"シーン。 (先日2度目を立川の極上音響上映で観ました) 最後のコンクールの1つ目の音符が響く瞬間。 (あの黒光りのステージはもう存在しないらしい) 千秋楽