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二重人格の話。〜気持ちが沈む理由を探ってみた深夜3時〜


昨日今日と、どうも気持ちが沈んでしまう。


正直そこまで熱意はないが面白いと思える部分を見つけそれなりにうまくやっている(こやつは別人格である)ライスワークの仕事をするにも
なんだか手がつかない。


数日前までは一周回って前向きだったのにさ。


なぜこんな気分になるのか。

こういう時は、冷静に、客観的になって分析してみるのがよい。
お得意の"二重人格ちゃん"の登場である。


・漂い続けるただならぬ空気
・うるさいワイドショー
・Twitterなどで露わになる人間の嫌なところ

うーん、これはもう一時期よりは落ち着いたし、対処するマインドも心得ているつもりだ。

・外に出られないストレスの蓄積

基本家にこもっていることが多いのであまり苦ではないが
今までの生活は「家にいる」「スタジオにいる」「ライブハウスにいる」「映画館や美術館にいる」「人と酒を嗜む」のいずれかなので
「家にいる」以外の4つが禁じられている(特に3つは断固として禁じられている)ストレスは、確かに蓄積されてきているかもしれない。

だがデリバリーで美味しいご飯をいただくこともでき(余裕がある人は活用すべきである)、映画や音楽もオンラインでたくさん享受できる形を、様々な人々が生み出してくれている。ありがたいことに。


・予定されていたライブの中止延期(これは出演も観る方も)

これはあまりにもダメージが大きく、とても悔しいしやるせないし残念だったが(特にライラは4月からが本当にいいところだった)
それは一旦自分の中でうまく折り合いをつけることはできているつもりである。


そう、今目前にあることに対しては、少なくとも "大丈夫なつもり" ではあるのだ。



では何が気分を沈ませるのか。


昨日、自粛期間は2年かかるといったような説をちらっと見かけたが
それが今まで漠然と感じ取っていた不安をより強いものに変えてしまったのはきっと間違いない。

それは、この家籠り期間が続くことがつらい、という訳ではない。

正直今、私は幸い食べることができているし、街全体の生活インフラも止まってはいない。
ある人たちが見えるところ見えないところで頑張ってくれているおかげでそこまで不自由はない。

いざそうとなれば、きっと様々な人の努力による工夫や発明により、色々なものが少しずつ変わっていき、少しずつ戻っていく思う(でないと経済が、生活が回らないという大課題を背負っていると思うので)
※これはあくまで自己中心的な見解にすぎない


私の気がかりはそこではないのだ。



” この先、芸術が元どおりになるかわからない ”


それが、私の心に薄暗いもやをかける、いちばんの要因なのである。


昔から(それはある地点から)、この世界は(自分の手で何かを起こさない限りは)最悪だ、自分ではどうしようもないことがこの世界にはたくさんあるのだ、という考えのもと生きてきた。

だから基本的に心から興味や熱意を持てるもの以外に関しては、とてもドライでペシミストである。
そもそも期待してないし、そんなもんだろうと思っている。

(だから些細なことでも素敵なことがあると、とても嬉しくなる。よく笑顔でいることが多いと言われるのは、そのせいかもしれない)


でも音楽だけは違った。それに最初に気づいたのは、たぶん中学生になったくらいの時。
見かけでは誰にもわからなかっただろうし自分でも大丈夫なふりをしていたけれど、本当はボロボロで頼るものがなくて崩れそうで
そんな時に手を差し伸べてくれて、私の身体の半分になったものが、音楽だった。

そこでは自由になれて、負の感情から生まれる光がたくさんある。
自分と似たような(と勝手に思わせてくてる)人もたくさんいた。
そしてその光が目の前で放たれて、形になり昇華されていくのを、今まで何度も目撃している。

そしてそれは当人を救うだけでなく、その音楽世界に浸っている人、思いもしなかった遠くの人をも救っている。

(そのことに本当の意味で気づいたのは、私が上京して、大人になってからのことだったが。)


だから、そんな私でも、音楽にだけはつねに夢を見て、希望をいただいて
それを心の支えや生きるための糧にして、ここまで生きてきた。

(そしてそれは音楽だけでなく、芸術全般に広がっていく)


その、自分の中では唯一確かなもので、支えであり中心となっていたものが
今、" 不安定で不確実であやういもの " になってしまっている。


じゃあ私は何を信じて生きていけばいいんだ?



そうだ、これが今の気持ちのいちばんの原因である。

"私"を保っている概念が、あやうくぐらついてしまっているのだ。



「これは、まずいね。」

冷静な分析家のマリエがそう言っている。


(ちょっと前に、愉快な人々に「マリエは矢沢要素あるよね」と言われたことがあったが、こういうことかもしれない)


この事態の情報がどんどん入ってくるようになってから、
絶対に元に戻ると信じて前を向こうとするマリエがいる裏で

「でも本当にできる?その時にこの環境は、芸術文化は今のまま残っている?」
いつも私の右肩のあたりにふわふわとつきまとう、灰色の小さな不安を振り払えずにいるマリエがいた。

そんなことを考え出すときりがないし、どうなるかわからない未来のことでうじうじするのは心の無駄使いな気もするが。


ではその状況を避けるために、今まで積み重ねてきたものを守るために、
そのために自分も何かしなければと思いつつ、敵がでかすぎてどうしたらいいのかわからなくなる、途方にくれる。

それでも確かに行動を起こしている人たちがいる。
今は微力でも自分で協力できることをする。



こんな文章を書きながら、時刻はAM3:30
ラジオからは敬愛する音楽家の、深い夜にぴったりな優しい声と選りすぐりの音楽が聴こえてくる。

ちゃんと聴こえるじゃないかと思う。


そしてその声に今夜も安心する。


やることをやって、信じて、行動していくしかない。
閉じこもらずに、いろんなものを観て聴いて力をもらって、今できる形で音楽を続け、待つしかない。


そしてもしかしたら、これを機に思わぬ良い変化、新しい発見、未来に繋がる転換もきっとある
そう信じよう。


想像力と信じる気持ちと、受け入れる力、発想の転換を大切にしてれば
きっと大丈夫だ。

そう思わせてくれる先人たちがたくさんいたはずだ。



二重人格はたまには役に立つし、自分でも面白い。
こんな得意げに書いているけど、人間誰もが二重人格かもしれない。

("マリエ映茉" という名前はほぼ本名だが、
どちらも名前でどちらも名前じゃないかもしれないし、「マリエ」と「エマ」の2人の人間が合わさっているのかもしれない。)




こんな、自分の思考を整理するために書いた走り書きを、ともすれば読んだ人をネガティブな感情にしてしまう可能性もあるものを、表に出すのもどうかと思ったが

今しかないこの感情や体験を、残しておいて作品に昇華するために
そして「よくここまできたね」と懐かしみながら見返してやることができるその日のために、ここに記しておくことにする。


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