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こんな時期に思うこと、の話。(途中加筆あり)〜本当の”あの人”などいないのだ〜


連日の、「みんなそうだろう?」と言わんばかりにあまりにも勝手で一方的な決めつけを叩きつけてくるワイドショーの報道。

それを信じ込んで、また一方的な決めつけを他人にぶつけてくる人たち。
過剰になくなっていく物たち。

”そうじゃない”人たち、"知られていない"人たちの、タイムライン上での悲痛な叫び。




こんな世界、もううんざりだよ。




そんな言葉をこぼしたくもなる。
窓の外はこんなに春が近づいていると言うのに。


流れていく様々な言葉たちを見ながら、ふと3年前に父が亡くなった時のことを思い出した。

父のことを思い出す時は面白いほどにたくさんある。
山下達郎の音楽を聞いた時、ハートランドビールの瓶を手にした時、志磨遼平の文章を読んだ時。



父は私が11歳の時にいなくなった。まだ幼い弟と私たちを残して。
これは誰のせいでもない、きっと誰も悪くない。

この世界には自分の手ではどうにもできないことが存在する、と気付いたのも、
漠然と自分の中で"神様"みたいな存在を探すようになったのも、きっとその頃からだったと思う。

その”神様みたいなもの"は、のちに"音楽"となる。


しばらく一方的な手紙が定期的に届くが、当時の私はその言語が読み解けなかった。(文学的な話や、ジョンレノンのこと、哲学的なこと。中学生の私にはあまりにも早すぎた。)


私が実家から離れ上京してから、彼との距離は少しずつ縮まっていった。
手紙の数も増え、ごく稀に、会うこともあった。

大学生の頃の私もまた、彼の言語を本当の意味では理解できていなかった。真っ白で無垢な私にはまだ早かったのだ。



それから数年が経ち、彼のことが少しずつわかってきて、
また私も"自分は何者か"を確信し始めていた頃、

突然彼は、遠くに行ってしまった。


これからいろんな話を聞いてみたいところだった。今の私なら彼の言語を理解できると思っていた。


(前置きが長くなってしまったが、この話はまた気が向いたら別のnoteにしっかり記すことにする)


1人で黒服に身を包み向かった先は、まるで夢の中のようで、
一本の映画を見ているかのようだった。

十数年ぶりに会う親戚たち。初めて会う、彼のそばにいた人たち。
おそらく私が幼い頃に会っているか、私の話だけ聞いているか、といったような、父の古くからの友人達。


もうここにはいない彼のことが、色々な人の口から、視線から、語られる。
なんだか愛おしくて、美しい時間だった。

様々な事情により、別の場所では、良い思い出話ばかりではない事を聞かされる時間も多くあった。(それは彼の事実を知るためであり、残されたものを処理するためでもあった)


この時にとても印象的だったのは、それぞれの人が語る「彼」の姿は、
語る人によって面白いほどに違うということだ。

A氏は「とても親切で素敵な人だった」というが、B氏の口からは「めちゃくちゃな人だった」と。
たくさんの人の話を聞けば聞くほど、わからなくなった。


映画化された後に読んだ岡崎京子『チワワちゃん』の中には、その時の感覚とよく似たものがあった。

私の父は特に変わった人だったかもしれないが、人間誰しも、きっとこういう結末になるのだろう。


本当の「あの人」なんて、どこにもいないのだ。
他人のことは誰にもわからない。
人によってものの捉え方や感じ方は全然違うし、本当のことは誰にもわからない。


そして自分が直接感じたことでしか、真実は成立しないのだ。
(でもそれはもしかしたら、真実とはかけ離れた大きな勘違いかもしれない)



だから、どこかの誰かが"正義"だと豪語する事を、声の大きな人が「あいつは悪だ」と主張する事を一方的に信じること、自分の主観だけで何かを決めつけ事実とすることは、あまりにも短絡的すぎると思う。

自分にはわからない"そのこと"や"その人”の事情や理由や真実があって
それを想像できないことは、容易に人を傷つける。

人間は一人一人、本当に全く違う生き物だな、とよく思う。
それぞれが置かれている状況も、価値観も、考え方も、感じ方も。

だから我々が誤解されてしまうのも仕方ない気もするし、
こんな事態になってこそ知る、今まで知らなかった人たちの事実もたくさんある。


人間、人を傷つけないことなんて無理だし、
間違っている、考えろ、それを正せ、なんて、
それこそ自分の正義をここで振りかざすつもりもさらさらない。


ただ、今この世界には ”想像力が足りない" と思う。

でも実際に見たり体験しなきゃわからないよな、とも思う。


世界は広いが、人によってはあまりにも狭い。
そこしか知らないということは、自分では気づけないのだからどうしようもない。


ウイルスの危機の前に、
生活が、文化が、心が、どうかダメになってしまわぬよう。







ここまでが、3月の頭に書きかけていた文章である。

"人間なんてそんなもんだろ" という諦めが見える。


ただ、この時の気持ちとは、今は少し違っている。


こんな状況の中で、できることを届けようとしてくれる人たちがたくさんいて。美しい言葉を綴る人たちがいて。
そんな中でも前を向こうとしている人たちがいて。
それは大きなことじゃなくて、ほんの些細なことでも。それだけでも十分に。

たくさんの前向きな声明、未来を見据えたスケジュール、前向きな解釈、きちんと考えた上での発言、そして困窮している事実をきちんと主張すること。

それがここ数日多く見られる気がする。


世の中捨てたもんじゃないなと思うこともたくさんある。


あと、少しネガティブに聞こえてしまうかもしれないが、

我々はマイノリティなんだなと改めて実感する。

きっと、今だけじゃなくても、ずっとずっと昔から、
知られていない故に気付かれず、自覚のない刃で傷つけられているマイノリティは、今私が想像できるものできないもの、たくさんあるんだと思う。

だから今回の音楽や演劇やライブハウスが悪者にされている(ように見えることもある)件で特別に不平不満を言うつもりはないし、
世間に、大多数の人間に、理解して欲しいなんてはなから思っていない。



我々はそういう生き物だと初めからわかっている。

だからこそ私は、音楽を、生きづらい人間が心の拠り所にできる空間を作ることを、やっていきたいと思っている。


そして、想像以上に、音楽ライブや舞台が中止になることに対して、
悲しみ、生きる活力がなくなる、心が沈む、と嘆く声も多く見られる。

不謹慎かもしれないが、誤解を恐れずにいうと
私はそれを密かに嬉しく感じている。
仲間が確かに、この世界にはたくさんいるんだなと、
生身の音楽はそれだけ求められている、人が生きて行くために必要なものなんだと、確かに感じている。

ミュージシャン、演者、イベント主催側はじめ発信する側にとっては、
本当に心が痛むしやるせない気持ちで、たまらなくなる。

でも、みんなきっと前を向いて、先のことを考えている。


だから沈んでばかりいられないなと思うし、気持ちを沈めてばかりいても何も変わらないし
むしろ自分自身の心がダメにならないように、一緒に少しでも顔をあげよう。



幸いなことに音楽は、ライブ会場以外でも鳴っている。
自分が望みさえすれば、いつでもそこで、鳴ってくれている。


音楽が、芸術が、この世界からなくなることは絶対にないはずだ。


そしてあわよくば、見直されることもなくこの世界にずっと蔓延り続けているクソみたいな慣習や価値観たち(どの場所にもきっとあるよね)が

これを機にどんどんぶっ壊されて、世界がどんどんいい方向に向かっていけばいいと思うよ。

(と、とある文章を読んでさらに加筆しました。)

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