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シンクロニシティ〜蝶と暮らした10日間の話。

かじかむ指で慌ててスマホ画面を滑らせると、
10日ほどの命だと書いてあった。

私は"終わり"を拾うことにした。

"終わり"の予感が近いものに、妙に惹かれてしまう。
それは"終わり"を目前にしたものが放つ、
どうしようもなく美しい火花を何度も目撃してしまっているせいだろう。

ボヘミアン・ラプソディの"ライブ・エイド"シーン。
(先日2度目を立川の極上音響上映で観ました)

最後のコンクールの1つ目の音符が響く瞬間。
(あの黒光りのステージはもう存在しないらしい)

千秋楽のカーテンコールでの横顔。
(2018年2月、KAATでの出来事である)

肌寒い朝の改札で手を振る後ろ姿。

家に帰ると玄関前に黄色い羽が止まっていた。
近づいても逃げようとはせず、「こんな季節にどうしたの」と話しかけながらしばらくその姿を見つめていた。

顔を合わせたこともない隣の部屋お兄さんの、帰宅した足音と不審がる目線を背中で感じた。
そっと手を差し伸べると、蝶はゆらゆらと羽ばたいたあと足元にぽとりと落ちた。

「アゲハ蝶 成虫 餌」とスマホ画面に打ち込みながら、
ほとんど誰も迎え入れたことのない部屋に、黄色い客人を招いた。

砂糖水をティッシュに含ませ、爪楊枝でストローを伸ばす。
そりゃあ可憐な花に止まって優雅に蜜を吸う方がよかろう、
砂糖水には目もくれない。

冬とはいえ玄関前の花壇には小さな紫色の花が咲いていた。
冷たくて自由な外に放してやるのと暖房の効いた部屋に閉じ込めるのと、
どっちが幸せだろうと考えた。

冬だけじゃない、いつだってこの部屋の外の世界は冷たくて自由だ。

冷たくてあてのない自由な世界を心のままに彷徨うか、
自由を犠牲にし心を殺してでも暖かな安住の地に留まり続けるか、
それは人間にとっても永遠の問題じゃないか。

そんなことを考えていると、おとなしく指に止まっていた蝶が前髪に登ってきた。

"終わり"までそばにいてやろうと思った。

いつの間にか、朝起きるとそいつの居場所を確認することが日課になっていた。

おとなしくティッシュの上にいるときもあれば、立てかけてあるCDの裏に隠れていることや、モノクロのポスターの薔薇の花に蜜の夢を見ていることもあった。

そして夜は蛍光灯の周りを黒い影を作りながら飛びまわる。
蝶が舞う部屋で暮すのもなかなかロマンチックで悪くない。

蝶が肩にとまったままキッチンをうろうろしたりもする。

日に日に勢いよく飛びまわるようになると同時に、
壁にぶつかったり何もない場所にやたらと前足を伸ばしたりするようになっていた。
まるで何かに夢中になっている人間のように。

客人だったそいつがすっかり住人となった夜、
テレビのCMから「my favorite things」が流れてきた。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」で育った私は、空覚え英語で続きを口ずさむ。
(父親が毎週のようにレンタルビデオ屋でVHSを借りてきて、そのVHSはしばらくすると私のものになった。3歳の私の夢は「マリア先生になる」ことで、その夢は後に「バレリーナになる」「SMAPのメンバーになる」「宝塚の女役になる」「ミュージカルスターになる」と続く)

なぜこうも幼少期に覚えたものは体の奥に染み付いているのだろうか。
「my favorite things」は無意識に映画のOvertureメドレーへとつながる。
オーケストラの"タメ"も、ジュリー・アンドリュースの歌のニュアンスも、全部再現できる自信がある。

部屋はあっという間にオンステージとなり、冒頭のテーマを大声で歌い終え、ふと部屋を見渡すと、
ついさっきまで部屋の隅にとまっていた蝶が床の上に横たわっていた。

慌てて砂糖水を飲ませるが、もう羽が呼吸をするようにわずかに上下するだけで、そのまま静かに動かなくなった。
蝶に人肌のような体温はないが、確かに冷たくなったのを感じた。

ちょうど10日目の夜だった。

私がアゲハ蝶を見過ごすことができずに部屋に入れたのは、"終わり"に惹かれたからではない。これは2番目の理由だ。

子供の頃から、実家の庭には夏頃になると毎年2羽のアゲハ蝶が飛んでいた。祖母がよく「おじいちゃんとおばあちゃんかしら」なんて言っていたのを覚えている。

上京して最初に住んだ街が池袋だった。
夏に近くのコンビニまでいく道すがら、アゲハ蝶が飛んでいた。こんな都会にも蝶がいるのかと少し嬉しくなった。
それから二度引越した今も、家のそばにはいつも何羽もの蝶が飛んでいる。

スピリチュアルなものにはあまり興味はないが、
私はシンクロニシティというものだけはどうも信じてしまうたちである。

私を育ててくれた身近な人たちは、だいたいもう雲の上にいる。
だからアゲハ蝶は私を見守ってくれる誰かなのではないかと思っていたりもする。

最後に私の思い出の歌を聞いてもらえて、最後をちゃんと見守ることができてよかったなと思う。
また何度でも蝶になって会いに来てね。

人生の大半は思い込みだ。これは私の持論である。

久々に「サウンド・オブ・ミュージック」のサントラを聞いてみると
冒頭のテーマの歌の入りですでに泣きそうだ。

サウンドオブミュージックといえば、レディーガガのこれ、本当に素晴らしいので見てください。

最後にご本人登場で泣くよね。
アリーもうすぐ公開なので見なくては。


「言葉は浮かんですぐに消えてしまうから、飛び立ってしまう前に蝶の標本のように残しておきたい」
そんな投稿からnoteをはじめ、蝶の標本をカバー写真にしていたら、
本物の蝶の投稿をすることになった。

シンクロニシティ。

今年はたくさんのシンクロニシティがあった。

またその話は後日に。

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