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「好き嫌いは激しくていい」ってどういうこと!?


「好き嫌い」は悪いこと?

「好き嫌いしちゃいけません」
今まで生きてきて、あなたも1度は言われた事があるのではないでしょうか?
世間的/一般的には、食べ物から人間関係まで、とにかく「好き嫌いをするのはよくない事」という風潮があるように思います。
でもこれって、本当にそうでしょうか?
出されたものは、何でもありがたくいただくべき。
皆と分け隔てなく仲良くするべき。
学校ではどの教科でも、良い成績を修めるべき。
本当にそうでしょうか?

私は、そうは思えません。
むしろ、「好き嫌いは激しくていい」とも考えています。
この記事では、そんな私流の『好き嫌いへの向き合い方と付き合い方』をお伝えしていきます。

感覚を抑え込んでいたら、こんな事が起きました

まず最初にお伝えしておきたいのですが、これは「好き嫌いがない人はダメ」という話ではありません。
嫌わずに受けいれられるものが多いというのは立派な長所ですし、強みです。
そうではなく、今回私が取り上げたいのは「好き嫌いはよくない」という風潮や思い込みから、自分の"自然な好き嫌いの感覚"を抑え込んでしまっている場合があるという事なのです。

具体的な例を挙げますと、
「皆と仲良くしないといけない」 と苦手な人でも遠ざけることなく関わり続け、自分はどんどん疲弊してしまう というような状態です。
心の底では「本当はこの人、苦手だな…」「正直、もう関わりたくないな」と感じているのに、「でも、そんな事思ったら悪いし」「悪い人じゃないし、いい所もあるから」というように思い直してまた接触し、結果また疲れたり、しんどい思いをしてしまう……
こうして見ると、自分で自分を追い込んでしまっていますよね。
この大きな原因が、「"自然な好き嫌いの感覚"を抑え込んでいる」=「好き嫌いはいけない」という価値観 なのです。

また、好き嫌いをしないようにしていると、もうひとつ困った事が起こってきます。
自然な感覚にフタをして、心を麻痺させている時間が長くなると、「嫌い」に耐えられるようになる代わりに「好き」も分からなくなってしまうのです。
こちらでもひとつ、具体例を出しますね。

私の実体験なのですが、激務の会社に勤めて我慢に我慢を重ねていたボロボロ時代、たまの休みにアニメを見ようと、久しぶりにコレクションしているDVDを再生した事がありました。
選んだのは、作中屈指の感動回。そのアニメシリーズが大好きな私は、何度見ても毎回号泣してしまう、最高な回なのです。
…ところが。

今までなら涙が止まらなくなって、何枚も何枚もティッシュを引っ張り出していたシーンがきても、その時の私は泣くどころか、作品に感情移入する事すらできていなかったのです。
まるで、自分の周りによく分からない膜が張ってしまったようで、全然心に響いてきませんでした。
大好きなはずの作品に対して、こんなボーっとした、冷めた感覚しか持てない事にものすごくショックを受けたのを覚えています。

当時は原因が分からなくて落ち込み、狼狽するだけでしたが、今なら「自分の自然な感覚を、好き嫌いを、無理に抑え込んでいたせいで、心が麻痺してしまっていたんだ」と分かります。
(ちなみに今は超没入してアニメや漫画が見られる状態へと復活しておりますので、ご安心を!)

だから、好き嫌いの感覚というのは、もっと大切にして良いものなんです。
私達は人間なのですから、自然に湧き上がってくる感覚がひとりひとりにあって当たり前ですよね。
あなたの好き嫌いは あなただけのものであり、個性です。
それを無理矢理に抑え込んで、つまり 自分の感覚を否定しながら日々を過ごすというのは、すごく不自然で、不健全だと感じてしまいます。

でも、そうは言っても「好き嫌いを優先していたら、社会でやっていけないよ」「好き嫌いを表に出すなんて、やっぱり失礼な感じがする」
という方もいらっしゃるでしょう。
では、どうすればいいのか?続けてお話ししていきますね。

なぜ「好き嫌いはよくない」と言われるのか?

そもそも、なぜ「好き嫌いはよくない」という風潮や、世間の空気感があるのでしょうか。
私の考えはこうです。

私たち人間は社会を形成し、その中で暮らす生き物です。
ひとりぼっちでは生きていけませんから、どうしても周りの人々と関わり、助け合って生活していかなくてはなりません。
そんな状況で、「○○さんは好きだけど、あんたは嫌い」「仕事だけど、これは嫌だからやりたくない!」というように好き嫌いを全て丸出しにしていたら、人間関係だけでなく、社会生活そのものがうまくいかなくなってしまいます。

もちろん、子どもの時は皆 素直な感情をオープンにして生活していますが、成長していく過程で好き嫌いを表現した結果、ネガティブな経験をしてしまうと「こういう事を言ってると、なんだかまずいぞ」と学習していくのですね。
そうして大人になる頃には、「好き嫌いはよくない」という考え方ができあがってしまうのです。
更に、周囲の人々も大なり小なり同じような経験をしてきていますから、結果として世間的にも「まあ、好き嫌いはよくないよね」というような風潮ができてしまうのです。

この風潮の本質ってなに?

しかし私は、この「好き嫌いはよくない」という一文は、少し言葉足らずだと思うのです。
個人的な意見ですが、「好き嫌いはよくない」という言葉の本質は、『好き嫌いを態度に出すのはよくない』(と思っている人が多い)ではないかと考えています。
もっと言うなら、『好き嫌いを態度に出すなら、よく考えなさい』でしょうか。

つまり、この言葉が本当に伝えたい意味とは「好き嫌いをあからさまに態度に出してしまうと、社会生活に悪影響が出るからよくないよ」という事であり、「好き嫌いを"感じる"のはよくない」の意味ではないのです。

しかし、「好き嫌いはよくない」という端的な表現が広く一般的に使われているために、「"好き嫌いを感じる感覚"そのものに罪悪感を覚えたり、否定してしまう」という事が起きているのではないでしょうか。
「あの人、話すと気が重くなるな…悪い人じゃないのに、こんな風に思うなんて申し訳ないな。私の心が狭いのかも」「本当は○○さんともっと仲良くしたいけど、ひとりだけ特別扱いになってはいけないな」といった風に。

また、好き嫌いの中でも、主に「"嫌い"の感覚」がよりネガティブに捉えられているように思います。
そもそも 嫌い という感情そのものがマイナスの方向ですから、これは仕方がない事なのかもしれません。
ですが、ここで改めてお伝えしておきます。
好き嫌いの感覚を大切にする事と、好き嫌いを態度に出す事は、全くの別物です。
あなたの好き嫌いを感じられるのは、あなただけです。
あなたは、あなたの感覚をもっと素直に感じていいし、大切にしてよいのです。

「やっぱり、あの人嫌い」「皆は良いって言うけど、私はイヤ」「全然詳しくないけど、これが好き」など、いつ、どんな感覚が湧いてもOKです。
そんな自分を「そうなんだ~」と眺めてみてください。
ですが、それを態度に出すかどうかは一旦立ち止まって、よく考えましょう。

場合によっては誰かに相談した方がよい事も、自分の胸に秘めておく方がよい事もあるでしょう。
でも、もし「今は我慢しよう」という結論が出た場合でも、「こんな事思っちゃダメだ」と思いながら耐えているのと、「めっちゃムカつくけど、○○のためだから堪えてやってるんだぞ!」と思いながら耐えているのとでは、感じるしんどさがまるで違うのです。

この差は、ひとえに「自分の感覚を受容しているかどうか」につきます。
他の記事で何度もお伝えしていますが、楽になるには『自己受容』が本当に大切なんです。
だからこれからも、あなたが自己受容していくためのお役に立つ記事を、更新していきますね。
私と一緒に自己受容して、楽になっていきましょう。
今回も読んでくださってありがとうございました。
このnoteが少しでも、あなたの力になりますように。

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