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最期まで自分の人生を自分で選択するために アメリカ編

こんばんは。
先日、こちらの記事で延命治療について書かせていただきました。

記事では、スウェーデンの延命治療の在り方について書きましたが、読んでくださった方から、延命治療についてのコメントをたくさんいただきました。本当にありがとうございます。

コメントをくださった方々の中で、
アメリカにお住まいのローリーさんという方がいらっしゃいます。
ローリーさんはシカゴで見られる野鳥についての記事をたくさん書いていらっしゃいます。写真付きの記事は、分かりやすく、野鳥好きの私は楽しく勉強させていただいています。


ローリーさんから、アメリカの延命治療についてコメントをお寄せくださいました。とても参考になりましたので、コメントの一部を紹介させていただきます。

アメリカではかなり早い時期に遺言書を作成し、そこに延命措置のこと、自分の意識がなくなった場合に治療方針の決定をする代理人の名前などを明記しておきます。

アメリカの方は、元気なうちに遺言書を作成し、延命措置についても記載されていると。医療費が高額なアメリカだからこそ、大事なことかもしれません。しかし、それだけではないのでしょう。

アベマタイムズさんの記事にアメリカの延命措置や事前の意志表示についてかかれていました。

以下、記事から引用させていただきます。

アメリカの場合、まず、6カ月以内の命だと判断されたら、『このまま治療を続けるか』『治療を拒否して自宅に戻って最期を迎えるか』『自分が最後にどうしたいのかを書くリビング・ウィル(living will、生前の意思)』という3つの選択をする。
心停止した際に蘇生措置の拒否を提示する「DNR指示書」のほか、医療的な処置、介入をしてほしいかどうか、その度合いをどこまでするかをお願いする書類を「POLST(ポルスト)」という。

「最大限の処置をしてほしいのか、緩和を中心に、とにかく痛みを抑えたいか。あるいは、その中間か。また、人工的な栄養の補給(日本でいう胃ろう)を行うのか、行わないのか。また、1年ぐらいやってみて、それでダメだったら治療を止めるということも選ぶことができる」。

そしてもう一つ、「リビング・ウィル」だ。

州によって呼び方は違うが、患者本人が元気な時に書くもので、意思表示ができなくなった場合にどうしてほしいのか、自分の気持ちをまとめておくということ。医療機関は患者に対し『リビング・ウィルはあるか?なければ書く権利がある』と確認しなければならない。各州に法律とフォーマットがある。法的拘束力を持っているので、書いてあることは必ずやらなければいけない。

https://times.abema.tv/articles/-/2732113?page=1



アメリカでは、延命措置を含むリヴィングウィル・事前指示を示しておくことについての法律が定められています。
リヴィングウィルは1976年、アメリカのカリフォルニア州で制定された自然死法がはじまりで、現在はすべての州で制定されており、そのリヴィングウィル・事前指示書には法的拘束力があるそうです。

日本はアメリカに比べ、延命措置(リヴィングウィル)について考えることに消極的で、実際、自分や家族が病院に入院することになってからはじめて、考えるというパターンがほとんどではないでしょうか。

本人や家族に死が迫ってから、急に延命措置について決めなくてはならないのです。本人の意識がなければ、本人の気持ちがわからないまま、家族がその責任を負います。


延命措置について事前に家族間で話し合うことも、日本ではなんとなくタブー視されているところがあります。

自分が死ぬときのことを考えるなんて、縁起でもないとか、そんな暗い未来のこと考えたくもないとか。とても大切なことなのに、話し合いすらしにくい雰囲気があります。
でも、自分の人生の最期について考えておくのは、決して縁起が悪いことではないですよね。
むしろ、考えないことの方が、悲しい結末を招く可能性があると、病院で働く私はつくづく感じています。


昔、ある患者さんがこんなことを言いました。

「かあちゃんは、お腹に管を入れて栄養を取るようにするって言ったけど、俺はそこまでして生きたくない」

この患者さんは入院後、

「めしは食わない、いい、食ったところで、どうにもならないんだから」

と、ほとんど食事を取りませんでした。それでも、出された食事の1割くらいは食べていたと思います。しかし、食べなければ栄養状態は悪化していきます。すると、今度は食事が摂れないならと、点滴が始まりました。

「これさ、見てよ。点滴。飯を食わないから、今度は点滴だってよ、嫌になるよ」

そして、次には、家族の希望で胃ろうを作る話がでたのです。本人は、そこまでして生きたくないと言っていましたが、家族の強い希望で、手術をする方向になっていきました。

その患者さんは、それから、一切食事に手をつけなくなりました。その後、食べない分を補うよう、さらに点滴が増えていったのです。


食べられなくなったら、そこまでで、自然に死にたい。


本人の希望はありました。
しかし、その希望は、家族の想いと医療により妨げられてしまいました。


日本では、
本人の気持ち < 生きて欲しいという人の気持ち
という優先構図が多いのかもしれません。

生きて欲しいという家族の愛情はとても嬉しいものですが、時にそれが本人を苦しめる原因にもなります。大切な人がこの世からいなくなるのは、辛く悲しいことですが、命を削られている当人の気持ちを一番尊重して欲しいと、私は思います。

もし、この患者さんが、家族と前もって自分の希望を、リヴィングウィルを話し合っていたら、別の結末があったかもしれないと、そう思うのです。




人生の最期は、自分で選択したい。

医療者でも家族でもない、自分のことは自分で決める。
日本でも、それが当たり前のように叶う未来が訪れて欲しいと、願います。






本日も読んでいただきありがとうございました。

よろしければこちらの本も読んでくださるとうれしいです。


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