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【読書】まだ今からでも遅くない~『第十二の予言 決意のとき』(ジェームズ・レッドフィールド)~

私はスピリチュアル系の本はそれほど積極的には読まないのですが、例外的にジェームズ・レッドフィールドの「聖なる予言」のシリーズは、4冊ともすべて読んでいます。特に第1作の『聖なる予言』は、少なくとも5回は読んでいると思いますし、第2作・第3作も複数回読んでいます。

数ヶ月前から、「聖なる予言」シリーズ、特に第4作にあたるこの『第十二の予言』を読み返したくなり、それこそそういう思いは「聖なる予言」的に無視してはいけないので、読んだ次第です。

↑単行本


しかし読み始めて、ちょっとうんざりしました。いや、内容以前に山川紘矢・山川亜希子夫妻の訳があまり良くないのです。このご夫婦の訳が上手ではないのは承知しているとはいえ、読んだ中でも一番下手かもしれない。


登場人物たちが山を登っているのか下っているのか分からなくなったり、日本語にするのを放棄して英語のままで使っている用語の意味が、よく分からなかったりするのです。「読もう」という意志をもって読んでいるのでなければ、途中で読むのをやめていたと思います。


上記のとおり、「聖なる予言」シリーズは繰り返し読んでいるのですが、今作だけは購入時に読んで以来、読み返していませんでした。その理由は、アメリカでは2011年2月に出た今作が、翌月の東日本大震災と原発事故を、ある意味で予言していたことです。

創造の最後の局面は(中略)、二〇一一年の春に始まるだろう

p.315

日本語版が出たのは2011年12月で、私は発売後すぐに読んでいますが、いろいろな意味でやるせない思いに駆られたものです。

これまでは、恐ろしい出来事が人々に訳も分からずに起こっていた。そのような危険を避けることを可能にする警告を聞くために必要な高い意識を、私たちが持っていなかったからだ。
(中略)いつの日か、動物たちがすでにやっているように、人類は自分たちの予感に敏感に気付いて、たとえば、地震や津波が来る前に町を離れてもっと高い場所に移るべきだなどと、みんなが分かるようになるのだろう。

p.172~173

この部分は、今読み返してもちょっと辛いです。友人たちのご親戚を始め、あの震災の犠牲となった方々の話を聞いているので。


あれから11年経ち、ようやく読み返す機が熟したのかもしれません。今作の中のある部分を、特に読み返したいなと思ったのもありますが。


例のごとく、備忘録代わりに心に残った部分を抜き出しておきます。


歴史上、今という時代、我々は物質的な安易な生活を続けてゆくのが次第にむつかしくなってゆく。広範囲にわたる財政的、社会的な破綻が起こるからだ。しかし、全ての問題は我々の中にスピリチュアルな覚醒を促し、われわれの新しい能力を目覚めさせ、新たな能力やものの見方を促進すると言われている。
しかしながら、私たちの一人ひとりが意思決定を迫られることになる。より深い霊性を受け入れることができるか、それとも事態を恐れ、すべてを破壊の前兆と捉えるか?

p.29


最初に現れる新しい能力は、共時性の流れを維持できるようになることだと言っている。不思議な偶然の一致がどんどん頻繁に起こってくるようになると、私たちは何かに導かれているということがわかってくる。そしてさらに、この歴史的な危機から守られてさえいるということがわかってくるのだ

p.30


グルタミン酸ソーダをとっていると、エネルギーレベルを高く保つことも、注意深く意識を研ぎ澄ませていることも、できなくなるのだ

p.59


世界は今、混沌としている。しかし、我々が注意を怠らず、現在の歴史的な意味を忘れなければ、ちゃんと正すことができるだろう。我々は霊的に成長し続け、お互いの覚醒を助け合わなければならないのだ

p.72


政治の世界では左派も右派も両方が極端に走りつつあります。それぞれが相手から大きな脅威を感じて、極端な対策を採る必要があると思っているのです。(中略)中庸な立場をとっている人たちまでが、(中略)両側から極端だと非難され、彼らもまた、次第に極端な立場へと追いやられてしまうのです(中略)。この政治の両極化はとても危険だと、文書は言っています。(中略)両者がともに暴力的になるか、独善的になるからです。

p.129


一つの宗教を取り上げると、どの宗教も不完全なのだ。したがって、必要なことは、それぞれに神とのつながりについて自分たちの宗教が正しいことを他の宗教の人々に教え、自分の宗教の教えに欠けていることを他の宗教から学ぶということなのだ。(中略)宗教同士が自然に和解するように、意見の一致を得ることなのだよ。

p.186

言っていることには同意しますが、本書を読んでいると、ジェームズ・レッドフィールドが一神教、特にキリスト教を結局は一番良いと思っているのは明らかで、それがちょっと気に食わないところです。個人的には『新・蔵王権現入門』の記述の方が納得がいきます。


予言の一つは、社会に混乱と無秩序がはびこり、すべての人々を辱めるようになった時、終末は近いと言っています。自分に有利になるような嘘のために、真実が無視される時代のことです。

p.262


終末が近づくときに起こると多くの人々が信じている出来事が、もうひとつあるの(中略)。キリスト教では、ラプチャー(空中携挙)と呼ばれているけれど、他の宗教も同じ思想を持っています。これは、救世主が地球にやってきて、ハルマゲドンが始まると、信者の体が霊体へと高められ、彼らは天国で新しい神と対面し、そこで守られて過ごす、というものです

p.263

本書によれば、イスラーム教の十二イマーム派にも同じような考えがあるそうですが、「正しい」信仰を持っている者だけが困難から守られると言っているようで、ちょっと抵抗があります。


つながりの法則によって、僕たちが信じていることや応援していることは、みな影響力の場を送り出して僕たちが交流するすべての人々に影響を与えるそうだ。つまり、彼らを僕たちの意識と行動のレベルへと引き込むのだ。良い方にも悪い方にも(中略)ね。そして同時に、個人の影響力は他のすべての人の影響力と地球規模でまじり合い、どんな時も集団的に全人類の意識のエネルギーレベルを決めている、と言っている

p.317


これはカントの良心の絶対無条件的道徳律を再確認しているのだ。あなたのあり方が他のすべての人のあり方の規範となるかのように行動し、そうありなさい。

p.318


政治ではこれは極左と極右が相手の人間性を否定し続けて、一方が極端な行動に出ることを意味している。これは普通、世界を救いたいという欲求から、独裁政治という形になる。宗教においても、極化はよりネガティブになる。歴史の前例によれば、その抗争は常にその時代の科学技術を使いつくすまで行われる、と文書は言っている

p.318~319

現代の情勢に当てはまってしまい、何だか怖いです。


読み終わって思うのは、書いてある内容としては今の時代に必要なことだと思う反面、発売された当時に、人々の意識がもっと変わっていれば、今はもうちょっとましな時代になっていたかもしれないということです。

でも、意識を変えるタイミングとして、まだ今からでも遅過ぎはしないと思うし、そう信じたいです。


見出し画像には、今作の舞台の1つであるセドナの写真を使わせていただきました。

↑文庫本

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