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今巻も、いろいろ勉強になりました~『組織としての生命――生命の教養学15』(慶應義塾大学教養研究センター)~

慶應義塾大学での授業を書籍化した「生命の教養学」シリーズの15冊目です。


このシリーズは、文系理系両方の分野から、その年の共通テーマ(今巻の場合は、「組織としての生命」)について考察していくもので、各巻それぞれ興味深いです。


以下、印象に残った箇所を備忘録的にまとめます。


数学は、1人で一生懸命勉強するというイメージがあるかもしれません。しかしながら、実際に数学の研究を行う場合、さまざまな人との議論を通して共同で研究を進めることが多く、どのようにさまざまな人とうまくチームを組んで研究を進めて行くか、ということが非常に大事です。

これは「生存戦略としての多様性」の坂内健一先生の言葉。まさに「1人で一生懸命勉強する」と思っていたので、意外でした。


人間社会も、個々人がリスクを背負い自己責任とされるのではなく、リスクを分散して、「失敗した分はみんなで助け合うので大丈夫、失敗もあり」と言って安心できるような社会づくりをすると、みんなより多くのリスクを取って成果を出すことができるのではないかと思います。(中略)そういうシステムがあればリスクを取っても全体として損をする確率も低くなり、成功する確率があがる場合もあります。

これも堀内先生の言葉。本当に、こういう社会づくりをしたいものですね。


cognitive inertia=認識の甘さ

これは「企業組織の寿命」の山尾佐智子先生の講義で出てきた概念です。

カメラのフィルム市場で世界の90%のシェアを誇っていたコダック社の没落や、日本企業が有機ELディスプレーで遅れをとった理由の説明で出てきたのですが、要するに「自分たちの優位さに胡坐をかいてしまった」ということです。そうなってはいけませんね。


「個体が有する生産性・性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れる」ことは、物理学の用語で「創発」と言います。

これは「昆虫の社会 協力と裏切りがうずまく組織」の林良信先生が紹介した言葉。創発が起きる組織でありたいものです。


ちなみにミツバチは、受精卵が雌の子に、未受精卵が雄の子になるということも、ワーカーも未受精卵は産むことができるということも知りませんでした。ただ、残念ながらというか、実際にはワーカーが産んだ卵は他のワーカーによって除去されてしまうので、ほとんど巣の中に存在しないそうです。


脳の大きさは群れのサイズで決まっているのであろうというのが、社会脳仮説です。(中略)ダンバーはこの説にのっとって、人間の脳の新皮質の割合から想定される集団サイズは150人くらいであるとする学説を唱えました。

これは「人類進化の群れ・集団・組織」の河野礼子先生の言葉。理想的な集団のサイズが150人という話は以前聞いたことがあったのですが、脳の大きさがそれを裏付けているのですね。

ダンバーはオックスフォード大学の進化心理学者で、150人という数はダンバー数と呼ばれます。


一般的に発展段階の国家において、軍が近代化を主導する重要な役割を担うことは、よく知られている現象です。(中略)軍隊は、経済、科学技術、法律、教育、思想、社会など、さまざまな要素と非常に密接なかかわりをもつ組織です。(中略)2年なり3年なりの兵役生活を送った後、やがて兵士は除隊して故郷に帰ります。すると彼らの近代化に伴う経験が、それぞれの郷土に広がっていきます。(中略)兵士たちは新しい文化を身につけると同時に、それを日本各地に伝える文化の伝播者という側面をも担っていたわけです。

これは「生命体としての軍隊」の黒沢文貴先生の言葉。なるほど、非常に納得がいきました。


教会は自発的に選ぶ対象ではなく、「そこに産み落とされる」ものだったわけです。(中略)幼児洗礼に飽き足らず、成人洗礼をもう一度受けたいと考える人々は、目の前にある社会に対して決して従順ではない。(中略)つまり、今日的な言葉で言いますと、再洗礼を主張する人々は、「社会の変革者」、さらに言えば、「無政府主義者」ということになります。ですので彼ら彼女らは、単に教会から「面倒くさいやつ」とされただけではなく、国家や都市の政府によっても、治安を乱す恐れのある者と見なされて、厳しい処罰の対象となりました。

再洗礼派が弾圧された理由が、以前からどうも謎だったのですが、上記の「宗教の組織と政治の組織」の田上雅徳先生の言葉で、ようやく理解できました。ちなみに再洗礼派について理解するにあたっては、『不寛容論』の中の記述も参考になりました。


また、田上先生の締めくくりに近い部分の言葉が心に残りました。

「大きな生命体である国家に対して、小さな生命体である個人を犠牲に供しなさい。それは尊いことなのです」と説くナショナリズムの言説に、政治的生命体のイメージは多かれ少なかれ貢献してきました。(中略)生命体のイメージが教会や国家による個々人の抑圧を最終的に正当化してきた、この負の遺産を私たちは看過してよいはずはありません。


なお今巻で気になったのは、2人の先生が組織の定義にウィキペディアからの引用を使っていたことです。もちろんウィキペディアの情報にも有用なものはたくさんありますが、研究者たるもの、普通に『広辞苑』とかの定義を使ってほしいです。まぁ、些細な瑕疵ではありますが。


今巻も、とても勉強になりました。







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